日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

近状報告その2。ハッピーについて。

こんにちは!!

 

元気が貯まってきました!なんて記事をアップしたのに、

急降下で谷底に撃沈し、

発熱、嘔吐、悪寒、関節痛、その他もろもろの症状に見舞われ

 

 

それがほんとうに

 

 

全然治らない。

 

 

つらい。かなりつらい。

今週はワークショップもあるのに・・・・

 

 

理由を考える。

 

 

理由がビンゴだと、それだけで軽くなる場合があるのだけど、、、

 

・・・あれ?

 

 

うーんやばい。これはやばい。

ということに思い当たりました。

思い当たっても軽くならないヤツかもしれない、、、。

 

この辺はまた折を見てかけたら書こうかなとおもいます^^;

 

あまりにつらいので、横浜にある、生体活性化ハウスに逃げ込んで、

二泊しても頭痛は残った。

三泊すると生命力が戻る」という言葉に従い

三泊辛抱して泊まったらにきれいさっぱり消えました。

ほんとに 助かりました。

三泊目はカード払いでしたけど( ;∀;)

 

さて。

途中まで書いて、頭痛のために息絶えていた、’夏思い出’をアップしようとおもいます!

 

              ☆☆☆

 

 

 

8月末近づいたある日わたしははたと気づいた。

 

 

夏だってのに、夏休みらしい何かをひとつもしてない・・・

 

 

そして、こう思った。

 

 

そうだ、海に行こう!

 

 

何ていい考えなんだろう!

 

 

ここ何年も、純粋に海に行きたいなんて思ったことがなかった。

いつも夏は超絶忙しかった。

 

 

日帰りで行ってこれる最高の海といえば

伊豆しかなかろう。

 

そこで、PCを開き、

 

『伊豆 海 穴場 人が少ない』

 

というようなキーワードとともに調べたところ・・・

出てきたところがココ。

 

本当は教えたくない!伊豆の穴場ビーチ3選

 

九十浜というマイナーな海岸。

調べるほどにその美しさが、ちっちゃいながら沖縄的なものを彷彿とさせて

わたしの心に迫って来た。

 

実は沖縄に行くと、わたしは、

米軍基地とか、御嶽とか、辺野古とか、戦争とか、霊魂とか

いろんなことに気を取られてしまい

純粋に楽しめないというやっかいな性分であるのだけれども

ここではたぶん、そういう重いものがないのだから

純粋に海をたのしめそうだな、と思った。

(めんどくさい性格だ)

 

思い立ったが吉日!

 

明日さっそくささっと行ってこよう!!

と思ったけれど

その「気軽さ」はもう充分に味わってきたのだから

今夏は、誰かと行った方が楽しそうだなーと思って

友人何人かに声をかけた。

すぐに返事をくれたY氏の希望日が31日だったので、その日に決定した。

 

しかしY氏は男性である。

 

ほかに行きたい人はいないのだろうか?と思っているうちに

計画通りに進まない夏を過ごしていた

藤山家のことがあたまに浮かんだ。

 

いやしかし、家族水入らずですごしている夏の終わりに

「海行きます?」なんて聞いてもいいのだろうか?

断るのも面倒だったりするのではなかろうか??

わりかし勇気いるな・・・断られてもへこまないようにしよう・・・

などと考えつつ、遠慮がちにお誘いメールをしてみた。

 

すると・・・

ソッコーで「行く!」というテンション高めでの返事を

ゆっきぃさんがくださった。

 

勇気をだして言ってみるもんですね!

 

さらに、藤山家参加をうけて、友人Mが参戦を決意。

 さらに

日程決定に重要な役割を果たしたY氏が怖気づき(笑 予定があったらしい)

結局

私+藤山家のみなさま(ゆっきぃさん・亮一さん・そしてそらちゃん)+友人M

という素晴らしいメンバーで行けることになった。

(もちろんY氏にも来てほしかった)

 

 

しかも、ゆっきぃさんの提案により、

安くてしかも結果すばらしくリラックスできる貸しロッジにて一泊することになりました。

しかも、車でピックアップしてくれ、ごはんまで作ってくれたのですよ。

 

お泊りで海。

 

何年ぶりでしょうか?

 

 

そしてさらに

この小旅行はもれなく「そらちゃん付き」だったのであります。

 

そらちゃん( *´艸`) ↓

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海へ向かう道での見返り美人

 

そして、

友人Mがとってくれた超絶すてきな雨宿りの写真。

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そらちゃんとおしゃべりはめちゃくちゃ楽しい。

 

 

そしてその一部始終は

ゆっきぃさんがブログにすばらしくアップしてくださったので、

そちらを読んで頂ければ十分かと思う。


 

海はこぢんまりとしていて

人は少なく

遠浅で透明でさかながキラキラ群れていて

天気は良く

要するに最高だった。

 

わたしは、そらちゃんが海に連れて行きたがった金魚のおもちゃを

必要ないときに「ポケットにしまう係り」という重要な役割をしつつ、

久々の海で、塩水を飲んでもウレシイような感じだった。

 

魚もたくさんいたし、

ちいさなちいさな、しらすの大群みたいなものが

キラキラ光ながら目の前を旋回するし、

ウニはいるしで、けっこう興奮した。

 

友人Mは藤山さんのもってきた浮き輪でプカプカ楽しそうにそこここに浮いていたし

亮一さんはシュノーケルでかなり遠くまで泳いでいたし(ウツボもみたらしい)

ゆっきぃさんはバタ足でどんどん泳いでいくそらちゃんを見て大笑いしていたし

そらちゃんはもう疲れを知らずにぐんぐん楽しんでいて心強かった。

 

 

海のヒーリングパワーは元気を与えてくれるそれでした!!

さすがに大自然の末端でもこれですね。

 

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拾ってきた貝殻を大事にならべるそらちゃんと、泳ぎつかれてゴロっとなっているわたしたち。

 

 

こーんな「夏休み」らしいことしていいんでしょうかね。

 

というか、意識的にこのような「幸せな家庭的行事」は

なんとなく忌避してたワタクシ。

 

幸せになってしまってはいけない感。

 

なにか欠損を抱えていなければ、生きていけないような。

満ち足りてはいけないような感覚。

 

満ち足りた瞬間にダメになってしまうというような焦り。

 

はて。

 

いったいこれはいつどこから来たのだろう?

 

 

 

小さい頃は、

夏休みなんて、毎日たのしくてたのしくて仕方なかった。

幸せになってはいけないのではないか、なんてあほくさいことは考えず、

ただただ、その日のその時間をまっとうしていたという

すばらしさ。

 

 

孤独でなければものは創れない。

何かを犠牲にしなければ何も成就しない。

 

その二つが師匠の口癖でもあったし、

それは、ほんとにそうだと思う。

 

一人で生まれて一人で死ぬんだから、もうぜったいに孤独だ。

何に限らず、大企業のサラリーマンだって、

専業主婦だって、アーティストだって

それを選んだ時点で

かならずなにかを犠牲にしているし

なにも選択しないを選択する人だって

それはもう大きな犠牲を払っていると思うから

プラマイゼロだと思う。

 

要は、どうすると損にならないか

ということを考えるんじゃなくて

何を選ぶかだけに注力すればいいのかな。

犠牲はその影としてもれなくセットだと思うから考える必要はなく、

そしてその選択は、誰にも強要されるものではない、というふうに感じた。

 

 

私が選ぶ、ってうことは、神が選ぶ、ってことなんだから。

 

選んで選んで選んで選んでないと思っててもやっぱり選んで

今のここなんだよね。 

 

 

そうこうしているうちに、

I先生のお話会での録音を聞いていたら

(わたしは会場では酔っぱらって、内容をよく覚えてないことがある)

バクティ」におけるこんな話がでてきた。

 

いつもお話会に、わたしはたくさんの疑問質問を抱えていくのだけれど

お話会に入った瞬間にそれを全て忘れてしまい、

別段聞きたくもなかったことを聞いたりしてしまうのだけれど

すごいのは

最終的に先生から

「あ!それ、めっちゃ聞きたいと思ってたことNo1だとおもってことじゃん!!

そうだよ、それ知りたかったんだよ!」

というお話が、別の方の質問などを経由して出てくることだ。

 

これ、毎回そうなんだよね。

だから、もう頑張って質問を考えていくということを放棄しました。

 

           ☆☆☆

人間の本質は、至福です。

ただ、心をもってかれることはマーヤになる。

だから苦しみと同じように、ハッピーもマーヤになる。

でも、苦しいときは「神様助けてください」というふうになるけど

ハッピーなときはそうならない。

だから、ハッピーな時こそ、神に感謝すること。

ありがとう神様、って!って思えるようなモードにしておくこと。

それが大事。

苦しみの状態で「神様助けてください」より

ハッピーを感謝している方が神様に近いの。

だって

我々にとって神がリアライズされる状態っていうのはさ、

最もポジティブな出来事が起こっているっていうことだから。

神にとってはネガティブもポジティブも関係ないけれど

我々にとってはすごい大きい。

ポジティブな状態でこそ、神になる。

だって、神様に対面するっていうのは

我々にとって、いまだかつて経験したことのないような

ポジティブな歓喜の体験だからなの。

ポジティブな時にしかポジティブなことは起こらないの。

だから、ハッピーでいなさいよ、っていうのはそれなの。

 

昼と夜は同時にはいられない、ってことだから。

我々にとって神様の経験は昼にしかおきない。

神に対面したら「歓喜」しかないんだから。