日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

ふと感じたり思ったりしたこと

去年の同時期、

前回ルンルの記事を書いたのと同日に

わたしはルンルの合宿から帰ってきて、こんなことを書いていた。

 

月を呼んでごらん?近江にて。 - 日月日誌 hitsuki nisshi

 

 
無言で行き、しんどさに身もだえながら一定時間をへて
重い身体をひきずってとぼとぼとうつむいて無言で帰る。
(だってそれ以外の何ができよう?)
というようなことを繰り返し到達した昨年の同時期
踊りの稽古を終えて、夜行バスに乗って翌朝、着き、
るん・るを受けました。
そのときに、るん・るはすごかったのです…
シーンとして、波一つない誰の呼吸も止まっているのではないかと思えるほどの
静寂。
2日間を終えて東京に戻り、
翌日会社に行った私は、はっとこう思います。
「会社やめよう」
その翌日、お弁当箱をあらっている上司をつかまえて
「やめます」
と言いました。
 
辞めた後から、体の中に響くるん・るが
全然異なってきました。 
 
>シーンとして、波一つない誰の呼吸も止まっているのではないかと思えるほどの
静寂。
 
これを体験したのが、2年前の同時期
 
これを書いたのが、1年前の同時期
 
1年前のルンルで覚えているのは、メキシコに行く前日高崎に参加して、
そこで、涙がざーざー出たという経験。
 
終わった後先生が
「今日のakikoさんは、すごい顔をしていたなー。どこに行っていたわかる?
もしそれで踊ったらみんな魅了されるよ。」
 
そのときは、それがどこなのかとかは思い至らず
自分の中の何かがただただ、浄化されていくような感じだったから
 
「未だかつてない経験でしたが、それが何なのか、よくわかりません。
でも、涙がでました。いいのかわるいのかわからないけど…」
 
と言ったのだ。
 
そしたら、先生が
「ただ、'涙が出る'んです。」(それ以上でもそれ以下でもない)
とおっしゃって
はっとした。
 
そうか、それが ものごとをありのままにみる、っていうことなんだ。
なにも付加しなくていいんだ
 
それ以来、自分でいらぬジャッジをしてしまったりするときに
折に触れてこの言葉を思い出してきた。
 
そして、今回 同時期に感じられたのは、静寂だけじゃなかった。
感じることができる部分が拡大されたのかもしれない。
 
何もない中で、満ちている場所。
 
あれどこかなー、ってずっと考えていたのですが、、、
 
産まれてくる前に居た場所
あるいは宇宙。
 
なのかもしれないな。
 
そして、
 
満ち満ちてあるそれは
物質が満ち満ちて有り余るいまここにあっても
ひそかに満ち満ちて同時に存在しているのだと思われてきました。
 
いろんな出来事や体験がおきるけど 
わたしは、ほんとうは自分が楽に生きたくてやってるだけです。
 
どこにいても、ここではないとか
自分がほんとに感じてることを受け取れなかったりとか
身体のなかでせき止めている部分が感じられたりとか
どこにも繋がっていないような生きづらさだったりとか
他の人とうまくつながれなかったりとか
そういう諸々の「たいへん」なところから楽になりたいと思ったし
そしたらひとつずつ、地道に向き合うしかなくなっ試行錯誤していると、
ものすごい力で背中をおしてくれるような出来事や出会いがあって
自分ではあるけないような距離を追い風で走らせてくれるようなときがあったりする。
 
それは、自分の力ではまったくなくて、恩寵以外のなにものでもない。
 
ただ
そんなことをしていても、一銭にもならないし
なんの役に立つのか、どうなるのか、なんてまったくわからないけど
感覚を磨いていくこと
ものごとを捻じ曲げないで、まっすぐにとらえること
優しい気持ちでいること
出来事と神様に感謝すること
頂いたら受け取ること
そしてお返しすること
 
それで
暑くて何のやる気がでなくて、家のなかに閉じこもっているときにも
いまここにあるものにちゃんと気づいて生きていけたら
いいな
 
 
 
空は刻一刻と変化です。昨日は、月がピンクの流れにさらわれていた。

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