日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

とりとめないここ2週間くらいの出来事と雑感など

みなさまお久しぶりです。

 

悲しみの爆弾が、地雷のようにあちこちにまだ埋められていることを思い知らされ

それが数発の大爆発を起こした時点で、

めったにしないのだけど人に助けを求めたら

冷静に自分のやり方の見直しを迫られました・・・

 

わたしは悲嘆にくれつつその地雷のような「悲しみ」を

ひとつ、ひとつ、見て昇華させないといけないんだろうなぁ、、、

もう人生かかっても終わらないかもしれないよなぁ、、、

と思っていたのだけど、そんなもんではなさそうです。

 

なんでアンマに会ったのかということの意味を

もっと考えよ、という出来事だった気がします。

 

が、しかし。 

そうこうしているうちに

逃げ場が無くなったために臨界点に達した身体が反応を起こし

頭痛と嘔吐と倦怠に襲われながら数日を過ごしていました。

 

気持ち悪さの元をたどって、吐き出そうとしていたんだけど、

あまりの気持ち悪さにリラックスするスキがなく

神様!いるなら助けてよー!と布団の上で泣き出す始末。

こんな気持ち悪いのはここ数年なかったです。

 

しこたま神様に悪態をついていたら(スイマセン)、

少しずつ緩んで行くのが感じられて

なんとかしのぎながら過ごす間、

自分がまさか手を延ばすことになろうとは想ってもみなかった、

バルバロ神父訳『新約聖書』と『キリストにならう』とに

向い続ける時間が続いた。

 

メジュゴリエで出現されるマリア様は毎月25日に

全世界に向けてメッセージを出されているのだけど、、、

「心を開き、聖書を読みなさい」

とおっしゃっていたので、図書館から借りてきていたのでした。

読めるのかな?と半ば疑問に思いながらも、

「聖書」に救いを求めている自分、、、

1年前には考えもしなかった事態です。

 

が。

ふと「ヨハネ福音書」から目を通してみたら、

まるで遠いところの存在だと思っていたヨハネ

「あなたたち」

と語りかける言葉が、

そのまま、直接、自分に向けられている言葉みたいに染みてきて

夢中で読みだした。

自分が聖書をこんな風に読んでいることにほんとにびっくりしました。

 

更に『キリストにならう』を読むと、これはまるで

クリシュナの教典をバイシュナヴァの先生にならっていた時に教えてもらったことが

そのまんまここに、クリシュナ→キリスト

となっただけで、著されている。

そして、何の抵抗もなく読み進められる。

 

いまから思えば、三年前

「バガヴァット・ギーター」を読んだときに受けた衝撃が、

精神世界というものの存在を真っ向から教えてくれたのだけれど

今回は同様に、、、

聖典の揺さぶりは、ほんとうに、不思議かつ、深いものだ、、、、

と再度思いました。

 

 

 

出会いはいろんなところで絡まりうねりつながっていきます。

 

そもそもこんなふうにキリスト教(というか、聖母を通したキリストの教え)

に出逢うなんて予想もしてませんでした。

 

マリア様の本気度は本当にすごくて(それだけ終末なんだろうと思いますが)

いつの間にか本当に自分はマリア様のみこころのまま動かされている感覚があります。

そして、アンマとの出会いがそういう流れの中で何の齟齬もなく

自分の中で片付かなかった問題を、まとめてくれた。

 

 

以前、魂の伴侶メープ氏が、

「あなたのまわりは白いもやみたいにいろんな神様が寄ってきていて、

自分の弟子にしたいと思っている。

だから、そういう神様同士でちょっとしたいさかいもある。

だから、あなたが何か「一つ」に決めたほうがいい、

そうすれば恩寵は一つにしぼられてあなたに流れる」

と言っていたのだけれど、

アンマに出逢ったことで、ようやく、自分の中でその<ひとつ>が

なんの気後れもなく、確定できた。

 

そんな気がしてます。

 

そうこうしているうちに、ようやく元気を取り戻しました。

メープしも、まもなく、また来日するそうです。