日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

地味にビックリしたことやすごい納得したことや嬉しくなったことなどについて覚書のような文。

今日、夜21:00から聖母に向けてそれぞれお祈りしましょう

という呼びかけがあり、

予定を早めに切り上げて帰宅して、30分程ロザリオの祈りというのを捧げました。

 

 

で。

そのあと、だらしな~く、

ヒマラヤ山羊ちゃんの絨毯に伸びて寝そべっていたワタクシ。

 

 

 

そうしたら……

 

 

なんと。

 

 

バサァ!Σ(・ω・ノ)ノ!

 

 

っと顔に白い塊が上から落ちてきた・・・・

 

 

 

今日買ってきて、

包装も解かずにざっくりと水を張ったコップに活けてあったお花が

なぜか顔の上に落ちてきた(-_-;)

 

コップが倒れたか!水がこぼれたか!

とって確認すると、コップは微動だにしておりません。

 

どうやってそこから落ちてきたの?

ジャンプ・・・?(-_-;)

 

個人的には祝福だと思いたいのですが、

いかんせん体勢が体勢だったため・・・・

"(-""-)"

 

こういう時は、どうしたらいいのでしょうか。

どなたか、こういうときにどう解釈したらよいのか

教えてください、、、、、

 

地味に超ビックリしました、、、、

 

 

さて。

先日、予定にはなかったのだけれど、ルンルに行ってきた。

 

というのも、昨年、インドに行っていた時に、先生に買ってきてと頼まれ、

一生懸命探して見つけた

薬師如来が持っていたとされる「ハリタキ」

 

その薬効が素晴らしかった!ということで

ぜひ再注文したいのだけど、、、との依頼を先生から受け、

方々さがして(日本では売っているが異常に高い)

結局アメリカに注文し、それが届いたので、

それを更に届けるという子供の使い的な役回りをしていたためです。

 

・・・ちなみに、ハリタキは私もそれを聞いて毎日飲むようにしてます。

非常に苦いのですが、3つのドーシャを整え、

消化に非常によい働きをするそうです。

お味見したい方は気軽に声をおかけください。

 

で。

ルンル中、左の胸の奥にある「凝り」がなかなか取れないので

そこに意識的に呼吸を流す。

それに伴って身体が何とかしようと反応して動くのですが

まだ、あと一歩のところで取れません。

そこには一番のストレスがたまる場所があるらしいです……

もうちょっとちゃんと、毎日時間を取って

ヨガの呼吸法やるといいのかなとふと思いました。

 

さて。

ルンルが終わった後のお話の中で

日本の天皇についてのお話が出てきました。

あまりにタイムリーだったので、先日の勤労奉仕のときに感じた

一番の疑問と心配事を、終わった後でこそおっと先生に聞いてみた。

 

……で!

ものすごい意外なことを教えていただきました。

ちょっとびっくりなことでした。

もし興味あれば、わたしにこそっとお聞きください。

 

そんな私はいま

この本に首ったけです。

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『黒い聖母』(柳宗玄)

 

この本の中で、「黒の象徴」という章の中に

カーリー神についての記述がある。

 

神々は、いずれも、時として黒いという程度で

多くの場合、黒くない。

しかし、必ず黒く表現される女神はインドにはある。

カーリー神である。……

真っ黒の肌をして口からは赤い舌を出し、首にはどくろをつなげた首輪をかけ、手にはびきや生首を持った、恐ろしい姿である。

創造と破壊、生と死が絶えず繰り返されてゆく永遠の時の流れをカーリー神が司るのである。

 

 

 ふむふむ。

カーリーにはご縁の薄いワタクシでもそのあたりは存じております。

 

コレね↓(ホントはもっと残忍な感じです)

 

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その肌の黒は、死の色というよりは、すべてのものを併呑する色なのである。

黒は無の色であり、未存在の色であり、その意味でもっとも根源的な色である。

それは最も深い意味で、母神の色であると言うべきであろう。

 

カーリー神の肌の色の黒は、実は黒という漢字をこれに当てるよりは

「玄」という字を当てた方がよい。

というのは、黒はふつう単なる色名に過ぎないが、玄は色名である以上に豊かな精神的意味内容を持つ字であるからである。

……

老子』體道第一の末尾の著名な文に「玄のまた玄、衆妙の門」とある。

すなわち奥深い以上にさらに奥深く、容易に知ることのできないものであり、

一切の妙理はその玄を門として出てくるものであるというのである。

 

同じく、『老子』成象第六に、「谷神は死せず、これを玄牝(げんぴん)という」とあるのは、道は「玄牝」すなわちすべてのものを生み出す根源的なものであって、それは空虚な谷間に宿る永遠の心霊であるというのである。

それは、私たちの知るような光に対する闇ではない。光と闇を超越した根源的な原初の闇である。それは有と無の母体である。生と死のかなたにある闇である。

それはインド人の解するカーリー神の黒に類するものであろう。

 

現在、踊りの練習に出るのをサボリにサボってるワタクシ。

個人練習はしてるんですが・・・どうにも5月はあまりにたくさんの出来事があり

手に追えず、これ以上の負荷を担えないと感じて

踊り関係の仕事と集団稽古を停止しているのです。

 

でも、頭の片隅ではずっと踊りのことを考えている自分が居ます。

マリア様のお祈りをしているときも、今までやってきたこととマリア様が

一体どこでどうつながるのかを一生懸命読み解こうとしている。

 

すると、こんな本に出合う。

 

舞踏は、正式には暗黒舞踏と言います。

「暗黒」の意味は、自分で追及していきなさいというのが師匠の言葉です。

 

それがいつでも、まるで重しのように、自分の中にあって

こういう文章に行きあたったとき、

その重しにでっかい石があたって、キラキラ火花が散ったみたいに

嬉しくなる。

 

そうか…

根源的な原初の闇。

それが、黒であり、玄である。

それは、母の色である。

そうか、、、全ては、繋がっている。

こんな、滅茶苦茶やってるみたいなどうしようもない私の人生も

なにかひとつ、繋がった道筋が、もしかしたらあるのかもしれない。

 

それが、今の私にとっては、

ほんとうに救いみたいに、感じられたのです。

 

 

さあて、明日はひさびさに期待の舞踏の舞台を見てきます。

テルプシコールにて。

師弟関係の中で長期にわたって訓練されたグループの女性の公演はなかなかありません。

とても、楽しみです。