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来し方行くさき今の日誌 ーakiko

あっこさん、日本のかみさまに会いに行く~番外編 褐色の聖母と女性性

みなさまこんばんはー!

 

今日、出社したら、会社のシャッターが下りており、

おかしいな…とおもいつつ、待てど暮らせど開かない、、、

中に入るのを諦めて近くの喫茶店で作業しながら電話をかけて理由を聞く。

 

ご想像にお任せいたしますが、衝撃の事実をはじめて知ったワタクシです…

 

なんかテーマ曲が流れてきそうな展開であります、、、

 

 

さて。

今日は、衝撃の事実によって体中の力が抜け、ほぼ何もできなかったわけですが

本を一冊読みました。

『聖母マリア崇拝の謎』

、、、この本をなんで買ったかというと、

「黒いマリア」さまについての記述があったからです。

 

その前に。

わたしがはじめて意識したマリア様は、グアダルーペのマリア様です。

 

記事はこちらでっす!↓

 

そこでわたしはこんなことを書いてました↓

 

ふと、わたしは「グアダルーペのマリア様」に親近感を覚えたのであって、

たぶん、それ以外のマリア様だったら、そうは思われなかっただろうなとおもった。

ヨーロッパのマリア様は、わたしには、少し、まぶしすぎる。

褐色の肌をされておられて、ちょっとものうげで、色づかいも決して透明彩色でない、

そういうマリア様だったから、わたしでも

近寄らせてもらうことが出来たんだな、と思った。

メキシコで出逢うことができたのは、

ほんとうにちゃんと計らいのあった恩寵だったのだと、今日、感じました。

 

そういう思いがあったので、

「白くないマリア様」について知りたい渇望がずっとあったのです。

(今でも、キラキラしたマリア様にはものすごい気後れするワタクシです)

 

そして…はからずもこの本はわたしの「何故!」の渇望を

大きく癒してくれたのです!

 

興味ある人がいるのかわからないけど、

どうしても書いておきたいので、まとめることにしました。

 

前半部分の論述はてきとーに流しながら読んでいると、

ぱたっと「黒いマリアの正体」のページに行き当たりました。

そこは、こんな記述で始まります。

 

「ロカマドール」というまちに、「奇跡の聖母」として有名な木彫りの「黒いマリア」が祀られている。そこを訪れ、黒いマリアと対面した柳宗玄(柳宗悦の息子!)は

「真黒い顔、かんむりゃ衣をつけているが、二つの顔だけがじっとこちらを見下ろしている。美しいというものではない。人の心の奥までを見抜くような凄みのあるその瞳。むしろ醜怪と言うべきかもしれない。ともかく、この世のものを形容する言葉では形容できぬ恐るべきなにかである」

 

黒いマリアへの疑問が膨らんでいったらしい。

 

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ロカマドールのマリア様。この像・・・ものすごい美しいと思う……

 

ラファエロのあの「ふくよかな聖母」とは全く別種の異質の光、

としています。

 

ラファエロのマリアはこちら。

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ぜんっぜん違いますな!

 

古代オリエントの大地母神に行きつくか、

ヨーロッパ先住民のケルト地母神の伝統が尾を引いているのか・・・・

 

柳さんは黒いマリアの不思議に引き込まれ、フランス各地の黒いマリアを丹念に調査していく中で、アカデミックな研究者から見放され曖昧なままにされていた「黒いマリア」に対するある結論の方向に行くのです。

 

黒いマリアは必ずしも異端の女神や不吉な印ばかりとは言い切れない。

それはそもそも「母なる大地」の褐色色からくるのではないか――

 

 

キター!

 

褐色のマリア様! 

そして、「母なる大地の褐色色」という表現のすばらしさ!!!

 

そして。

柳さんの推論から、著者の山形さんはこんなふうに書きます。

 

キリスト教一色にみえるヨーロッパ文化の断層から幾世紀にもわたって押し込められ、封印されてきた異教世界の地母神がようやく顔被りを取り去って黒い姿を現しはじめたということになるだろうか。

黒いマリアはヨーロッパ文化の古層に埋もれるように生き続けてきた異形の女神たちである。それは、ローマ・カトリック教会が遮二無二封じ込めてきた古代オリエントの女神たちではないか。

 

 

さらに、柳さんとは違う視点の、田中仁彦さんの説を紹介してくれているのだけど、

それがまた面白い!

田中さんは、黒マリアの起源を「ケルト地母神」とした。

 

黒いマリアの背後にあるのは、恐らくは、ダナ(Dana)、アナ(Ana)、アニャ(Anu)など、Anの音韻で呼ばれていたケルト地母神ではないか、、、

 

インド・ヨーロッパ語根では

Anは「息をする」を意味していて、そこから

anemos 風

animus 霊

anima 魂

が派生。

聖母マリアの母は「アンナ」といい、ヘブライ語で「神は恵み深い」を意味するらしいのです。

わたしがインドのグルからいただいた名前は

「アンナプルナ」

ですから、これは耳をそばだてました。

プルナ=たくさん

なので、「神はたいへん恵み深い」という名前のワタクシです(たぶん)。

ヤッホー!

 

で。

 

田中さんによりと、ケルト地母神は、正統派教会から徹底的に排除されたらしい。

なぜなら、「父と子と聖霊」の三位一体のドグマ確立のために、断固として地母神進行を打ち砕いたというのだ。

 

黒いマリア信仰は、キリスト教以前にさかのぼる異教の地母神ではり、突き詰めれば古代農耕社会から連綿と受け継がれてきた豊穣と多参の女神崇拝の宗教に他ならない。

 

 ふむふむ。

 

さらに!

もうひとつの説があるらしいのです。

馬杉宗夫さんという人が、柳さんが衝撃を受けたロカマドールを訪れ、ひとつの考察をするのです。

 

これがすごかった!

 

馬杉さんの心に浮かんだのは、ケルト宗教の聖地であり、かつケルトの宗教を支配していた「ドルイド」という聖職者集団の存在だったそうです。

ドルイド」は聖地から聖地に遊行する漂泊者集団で、聖地に宿るアニマ(霊・魂)を崇拝していたんだそうです。

そして、それは

女性の性

と一つの重なる――聖地を一つの宇宙(コスモス)として、樹木や湧き水や巨石の内側に宿る霊力であり、そんな場所に黒いマリアは祀られているんだといいます。

 

なつかしの「カール大帝」は「樹木、巨木、泉」の崇拝を禁止したらしいのです。

しかし、土着の人は黒いマリアに似せて、白いマリアを黒く塗ったのではないかと推察。

なぜ、黒か?

黒は、大地の女神を象徴する色で、女性のセクシャリティの象徴とみなされていたからなんだそうです。

 

そんで、著者は結論します。

黒いマリアの歴史を通して見えてくるのは、父なる神を柱とする男性優位の三位一体キリスト教的価値観とは明白に方向を異にするもう一つのキリスト教である。

それは、第一にオリエントの大地母神でもあれば、ケルト地母神でもあるような、複合性と多様性に満ちたキリスト教であり、

外来性と異教性の痕跡をとどめながら独自の祭祀対象として民衆の生活に浸透し定着していったキリスト教である。

 

自由な性的主体としての宇宙の中心軸であるような、森でもあり泉でもあり、大地でもある女性のセクシュアリティへと続く黒いマリア信仰は、私達になんと大きな贈り物を約束しているだろう。

 

わたしはこれまでもずっと言ってきた通り、自然物にいちばん神様を感じるたちです。

 

でも、それはもう古代から、東西を問わず「信仰そのもの」であって、

黒いマリア様はそういう信仰とともにあったということ以上に、

女性の「性」を、タブーどころか、豊かに肯定してくれている!

 

そんなふうに感じたのです。

そして、ものすごくうれしくなったのです!

 

インドの、古い女神さまの寺院に行ってこられたヨガの先生が

古い女神のご神体は「穴」だった。

と教えてくれました。

これってすごくないですか?

 

神社の鳥居もまた、「穴」の入りぐちです。

参道は産道でもあります。

 

わたしは、たぶん自分のどこかにずっと、

「性」に対する不自由さを抱えて生きてきたのだけれど、

そして、それはある部分

日本の女性の集合的無意識ってやつでもあるんだろうけど、

それを、そろそろちゃんとみて、

解放していくときに来てるんだろうなって思うのです。

 

そして、それを肯定して肯定して、肯定しつくしたい。

そんなふうに思います。 

 

日本のかみさまに会いに行って、わたしはたくさんの「鳥居」をくぐり、

母の胎内に入ってきました。

山自体がご神体とされる三輪山にいたっては、たくさんのかみさまに会いました。

 

これからどんな激動がこようとも!

流れに身を任せて、神さまとともに、すすみたいと思います。

 

以上、長くなりましたが、本日の決意とご報告でした!

 

読んでくださり、ありがとうございます。 

 

つづく!!