日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌 ーakiko

恩寵

死ぬほどの体験がいつ訪れるのかはよくわからないし、

生涯のうちに何度来るのかもよくわからないのだが、

私にとっては、そのうちのひとつが

2015年の9月に訪れた。

って書いていて、結構最近だ

な!って思ってしまいましたが。

 

意識を失って、目をあけて、

ある人のことを思うともなしに思い出しつつ

これからの自分の事を思うともなしに思い、

起きて座って、セブンイレブンのバームクーヘンを食べた。

冷えていて、のどごし最高で、

こんなおいしいものがあるんだろうか、

なんてことを思うともなしに思い、

この味は生涯忘れないだろうなとぼんやりと思った。

 

20歳くらいから、ぼんやりと

わたしはこのまま、このように仮面をつけた人生を

ずっと送っていくのだろう、

本当に感じること無く、

本当に人と交わることなく、

社会の枠の中で、なんとか生き抜いていくんだろう、

しかし、それはなんて絶望的なんだろう。

そんな風に漠然とした恐怖の内にただ生きていた。

 

小学校5年生くらいのときに

自分は感情を失った

と思った。

それから石のような心を抱えながら、生きる日々を積み重ねて、

それが瓦解したのが高校2年。

そこから復帰してきたとはいえ、

未だ、自分は仮面の中で生き延びようとしていることが

苦しくて苦しくて仕方がなかった。

 

自分の身体がとっても硬直していて、使い物にならず

ただ、本の中の「言葉」にすがって生きている日々だった。

それから少しずつ、身体に注目し始めたころ

22歳くらいの時に、海外を放浪しながら身体を使い、足を使い、心を使って

日に日に自分に力が戻ってくるような気がしていた。

が、それを持続させる方法もわからず、

帰国してまた日本社会の中でなんとかかんとか

もがこうとしていた24歳。

「人形みたいだから、人間になれ」

と、ある人に言われて、頭をなぐられるみたいな衝撃を受けて

そこから、とにかくこの「生」をなんとかしたいと

そういう思いだけで

今思えば、暗闇の中であっちこっちに頭をぶつけ、元来た道をもどったり

不要な迂回をしたりしながら

なんとかかんとか、自分の心を取り戻していく過程で

すこしはマシになっただろうか?

 

そんな思いでいた矢先に、一辺死んだ。

 

それは、以前みたいな頭かち割られるみたいな衝撃、とは程遠く

なんて自分は愚かなんだろう

っていうことを、静かに深く体中の力が抜けるくらいに

思ったし、ものすごく大きな犠牲とともにある脱力だった。

 

踊りの進歩が遅い理由も

コミュニケーションがへたくそな理由も

なにもかもが、すべて、「自分がしている」

という奢りとか、エゴにあるとわかった。

なにも、自分だけでできることは、なかったんだ。

 

バガヴァット・ギーターの一節を読んだととき

はっきりとそれがわかって、泣けて泣けてしょうがなかった。

なんて馬鹿だったんだろう!

 

ものすごい代償とひきかえにしたけれど、

それはわたしにとってはひとつの

「啓示」であり「恩寵」だったと今はわかる。

 

だから、恩寵のあり方は

ときにとっても厳しい形をとって、現れるのだと理解できた。

でもそれはほんとにすべて「恩寵」なんだと思う。

そう思えるようになって、ほんとによかった。

そのときは、ほんとうにひたすら一生懸命だったのだから。

 

 

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…そのころのワタクシ。愛してるよ!