日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

心のなかで、一揆を起こそうと思った。

わたくしは、メダカの学校、という場所に行ってきました。

知ってます、このお話?

 

 

種子法のベースにあったのは、新しい品種をつくるために素材となる品種=遺伝資源は、国や都道府県が“公共の資産”として持つという考え方です。これが民間に委ねられた場合、遺伝資源を基にして改良された新品種について、改良部分だけでなく種子全体に特許をかけ企業がその所有権を主張するということも起きかねません。ロイヤリティ(特許料)を払わなければその種子が使えなくなる。遺伝資源が企業に囲い込まれてしまう。これは「種子の私有化」を意味します。

 すでに民間が主体となっている野菜などの作物では、圧倒的な技術力と資本を持つ数社の多国籍企業が、中小の種苗会社を次々に買収し、世界中にシェアを拡大しています。今スーパーなどで販売されている野菜の多くも、そうした多国籍企業の種子によるものなのです。種子法がなくなることで、公的に支えられてきたコメや麦などの主要作物の開発についても、効率や経済性の追求に傾いていかないか心配されます。

 もともと種子というのは自然のなかにあったもので、人間との関わりでいえば、どんな新しい品種もその基になる種子は数万年の歴史の中で先人たちが積み重ねてきた改良の賜です。そうした本来は公のものである、もっと言うと、“誰のものでもない”種子を、特定の誰かが所有していいものなのか。しかも、人が生きていくのに必要な食べ物の種子が一部の企業に独占されるのを許してしまうことに私は違和感を禁じ得ません。

 

 

なんだか、最近ほんとうにずっと「種」のことが頭を離れないのです。

先日の踊りも、「種子」をやりたかったのです。

種というこのすごいもの。

 

「種」なんて、いちばん神様に近いものが、

「所有さ」れ「手を加え」られ

「独占」される。

 

 

この半端ない気持ち悪さ。身震いするような気持。

もはや農協で買う種もみなF1種なんだそうです。 

 

在来種の「交換」すら制限されるという事態に

反骨精神がものすごいかきたてれてきました。

 

これから、表面的な安寧と引き換えに

奥の方ではものすごい穢れが起こって来るのだろうか…という感じすらします。

だって、そうでしょう・・・?

 

もう大事なものが守れないのは、ほんとうに、いやなのです。

 

 

「メダカの学校」は、いろんなことを教えてくれる。

黒焼き玄米の方法も、野草の食べ方も、マコモの栽培方法も、浄化法も

味噌づくりも、お米の栽培方法も、黒焼きの梅の方法も。

はじめて学校に、まじめに入学したいと思いました。

 

今日は私が恋い焦がれていた「たかきび」(自分で作ってみたかったの!)

それから「インゲン」の在来種の種を買ってきました。

 

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これからは、一反百性の時代、なんだと思います。 

 

心の中で、権威に一揆を起こしながらの