日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

自分の森を確保せよ。

来し方を振り返ってみると、

いままで、事にあたるときの原動力は、わたしの場合

ネガティブなものに注目することからだったと思う。

苦しみだったり、怒りだったり、つらさだったり、無価値感だったり

欠乏感だったり、不自由さだったり、自分はこんなんじゃない!感とかが

すごくあって、そういうところからしか何か始まらないみたいな感じ。

 

師匠の師匠は

「才能がないのにコンプレックスがなくてどうする!」といったという。

コンプレックスは原動力になる。

一方で

それに着目し続けることはとても苦しいことでもある。

それを忘れないとできないことはたくさんあったりする。

 

気づけば、

あれ?楽しいことってあったんだっけ?

好きな事ってなんだっけ?

そういうのって、持ってていいんだっけ?

みたいなことになっていた。

 

少しずつ、たぶんゆうに数年はかかってると思うけれど

楽しいこと喜ばしいこと好きな事の持つ

躍動みたいなものを探すことをはじめて、

やっと今、すこし、そういうことを原動力のひとつにできるように

なってきたのかな、とおもう。

 

私の名前は、明るい子なんだけど、

ほんとはとっても根暗だったので(今だってある意味そうだ)

どうしてこんな名前になったのか「?」で来た日々。

だけど、暗さを通過しないと明るさも分からないんだよな、

などとおもった。

 

そういうプログラミングなんだろうな。

 

「今回のakikoさんの踊りは、舞踏というかコンテンポラリーに近く思えました」

というメールが来たのだが

「そうです!わたし今回は音に合わせて動きたかったのよ!」

という回答が自分の中で出ました。

そして、

「あなたのいうところの、舞踏ってなんですか?」

と、逆の問いかけをしてみた。

 

返答を待っているトコロ。

オイ、ちゃんと返事してくれんだろうな(-_-メ)

 

             ***

 

……ここ何週間も人にまみれていろいろやっていると

自分の中にたくさんの想念がふつふつと自動的に湧き出して、

わいわいがやがや、頭の中がうるさくなる。

 

それを濾してきれいにするのにはやっぱり

 

瞑想するしかない。

 

 

きのうもきょうも、イグナチオ教会に行った。

1時間座ってると、ようやく想念が濾されて鎮まって来る。

きっちり1時間だ。(わたしの修行不足なのかもしれないけど)

昨日はちょうど、津波が襲ってきた時間にあそこにいた。

 

イグナチオ教会は、わたしにとって、都会の森。

 

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田舎にいけば、そこら中が木(=氣)。

その中に居れば自動的にチャージされるけど、

東京では自分のパワースポットは、自分で確保するしかない。

私の場合は、今の生活圏で言うと、神明宮とイグナチオ教会。

 

まだまだわたしの部屋は荒れているので(-"-)    

避難所としてのイグナチオ。

森の代替としてのイグナチオ。

 

都会の、ど真ん中にあってくれて

ありがとうございます!

 

あ、わたしでは説得力ないかもしれないけど、

イグナチオはほんとすごいよ。下もよんでみてね。

 

聖イグナチオ教会|ヨーガ行者 ガネーシャ・ギリのブログ