日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

木の実と踊り

アトリエ公演(=日頃練習している場所での公演)が無事(?) 終わりました。 

 

前回の大きい公演は半年かけて準備したけど

今回は準備期間、ほぼ1か月(ないくらい)。

怒涛の一か月弱が終わりました…。

 

ここ2週間くらい

本は床に積み重なり

返した方がよさそうなメールは積み重なり

取り合えず見えてるところだけきれいにして

髪はぼさぼさで

服もとにかく動きやすさ着替えやすさ重視で

食材は野菜室で眠り

栄養が取れない上につかれるので

プロテインアミノ酸を交互に摂り過ごす日々…^^;

(これが妙齢の女子だろうか?)

 

つみほろぼしをかねて、今日髪をきりに行きました...(^▽^)

 

 

金曜日に観に来てくださったヨガの先生が、

こんなブログを書いて下さった。

 

舞踏|ヨーガ行者 ガネーシャ・ギリのブログ

 

これを読んで、わたしはほんとにびっくりした。

たぶん、先生はいちども舞踏なんて見たことがなかったと思う。

 

「祓いであり、祈りであると思う」と。

一回見ただけで、そんな「読み」が出来る人がいてくれるんだなー・・・

ということの静かな感動というか驚きというかで

ちょっと泣きそうになった・・・

 

そして、すごいなーと、思った。

 

「暗黒舞踏」は、

わたしたちが、前に進もう、成長しよう、拡大しよう、人より得よう

そういうところの真逆を目指しているんだと思う。

 

わたしたちが「成長」のために、切り捨ててきたものに

光をあてる作業で

本質は山猿であっても

現代っ子で、大学まで出てしまったわたしにとっては

もしかすると、とっても難しいことなのかもしれない。

 

それは、「混沌」だったり、「匂い」だったり、「もののけ」だったり、

「影」だったり、「愛おしさ」だったり、「猟奇」だったり、

「冷たさ」だったり「暗闇」だったり、「皺」だったり、

「精神」だったり、、、そういうものだ。

 

社会的な進歩や成長には、必要ない。

そういうものたちのカケラの集合が

踊りの要素。

 

これまでたいへんアタマをつかって生きてきたわたしにとっては

これまで「得た」と思っていた「知識」だったりなにかが

マーヤ。

それをひとつひとつはぎ取ってアタマからっぽにしないと

0地点にすら立てない。

 

なんてこった!

 

なんてこったの人生だ!!

 

もうみんな、恋愛したり、結婚したり、子供を育てたり、お金稼いだり

そんなことしているのに

わたしは顔を白く塗って、

木の枝を人の顔に突き刺しそうになりながら電車乗って

踊ってるなんて

狂気の沙汰。

 

でも、これが人生なのかな・・・

 

うん、笑えるな・・・。

 

そう思った。

 

毎日の終わりには、屋上によじ登る。

そうすると、風がいいかんじに吹いてくる。

あぁ、この風が自分の心の中まで入ってくるといいのになー

といつも思った。

というか…「来い!」と念じた^^;

そしてこの曇ったところとか、詰まってるところとか、汚れたところを

ぜーんぶ吹き飛ばしてくれたらいいのになーと

想いながらひとしきり風にあたって

ダイノジになって寝っ転がって、あんまりよく見えない星を見ながら

しばらくして

寒くなって部屋に戻るワタクシ。

 

そして、今回は、はからずも再開した社会(会社)生活が

自分の心理的なものにひじょーに作用していて

しかも、本一冊1か月くらいで仕上げる(ベースはあったけど)という

キリキリする作業が舞い込んできて

想像以上にいろいろと大変だった。

 

「お世話になっていおります」の世界と

表現の世界は、真逆である。

 

ということが今回はっきりくっきりとした。

 

 

踊りの前の日に願をかけつつ

「ポエタロ」(タロットカード)をひいたら

 

 

なんと・・・

 

 

 

 

 

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木の実かーーー、、、

 

 

 

木の実(こんなカードあったの?)

 

 

 

何を隠そう、今回は木の実の踊りだったのでした。笑

 

 

まんまだ。

 

 

終わったあとの打ち上げで、例年通りわたしは

「祭り上げられ係」

となり、各方面から血祭りに上げられたわけですが、

今回は踊りの中で自分なりにすごく「自由」になったときがあって

びっくりして、納得したのだけど、

それが今回の踊りの

Fruit(=実)

だったような気がしている。

そういう瞬間がなにかあるときは、

どんなに疲弊していても、踊り終わった後身体が軽くなるので、

気力が戻って来るので、わかる部分があって

あぁ、だめなところはいっぱいだけど、出来て、よかったなと思いました。

 

今回使った「拍子木」は、実の父親が作ったもので

それを「打つ」ことに自分なりに「祈り」と「祓い」をこめたかったのだけど

そこにまだ恐れはあって、技量不足だったかもしれない。

 

まだまだ、ぜんぜん、全くもって足りない事ばかりだけど

そうです。

 

「大いなる祓い」

それから

「大いなる祈り」

に、ほんのすこしでも近づけるように生きることが、

今生の目的なのかもしれないと思っています。