日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌 ーakiko

オオカミみたいな女になりたい

ル・グィンがなくなり、石牟礼道子さんがなくなり、

そして、金子兜太がなくなった。

 

最も好きな文学者3人が立て続けになくなった。

 

こうして「次の時代」なるものが押し寄せてくる

のかもしれない。

 

わたしはある俳句雑誌の編集をしていたのだけれど

金子兜太の句が何といっても、いちばん好きだった。

 

こんな句があるんだよ。

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

 

 

ちょうど寒紅梅が後半の時期に入って、白梅や普通の紅梅が咲き出す。重なる時期があるんですよ。その時期が春の盛り上がるという感じですね。
 
山田:  それを詠まれたのが今の歌ですか。
 
金子:  ええ。「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」
 
山田:  「青鮫が来ている」?
 
金子:  その頃から既にずっと庭全体が、朝なんか特に青さめているんです。海の底みたいな感じ。青っぽい空気ですね。こう春の気が立ち込めているというか。要するに、春のいのちが訪れたというか、そんな感じになるんですね。それで朝起きてヒョイと見てね、青鮫が泳いでいる、というような感覚を持ったんですよ。それですぐできた句なんですけどね。私の場合だと、見たままを、そのまま丁寧に書くということよりも、それを見ることによって感じたもの、その感じたものからいろんなことを想像して書く、というふうなことがほとんどなんですね。想像の中にうそが入ったり、ほんとが入ったりしていい加減なんですけどね。それが自分では面白いんで。

 

こんな句も。

 

水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る

 

昭和二十年、敗戦。補給を絶たれたトラック島では、餓死が相次ぎ、金子さんの部下も次々と命を落としていました。彼らの非業の死は自分の責任である。金子さんは激しい自責の念を募(つの)らせ島を去ります。
 

 
生きるとか死ぬとか、ということを言わないで、これからもひたすら生きてやろう、と。そういう思いを書いた。帰りの船の島から出る時に、
 
     水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
 
こうずっと船が走っている水脈(みお)がずっと見えていますね。ちょうど夕暮れ時でしたけど、炎天のもとで、桟橋から出てくるわけですけども、ずっと水脈(みお)がひいていますね。その水脈(みお)の向こうに去って来た島があるわけですね。その島には死んだ人たちの墓碑がある、という思いですね。「炎天の墓碑を置いて去る」というところに、この人たちに報いたい、という思いがあった、込められていた。その辺になってくると、とにかく生きる、と。そして死者に報いたいという思いがあった。これは思想というよりも、思いというふうに思ってもらった方がいいかも。実感の出てきた思い―思想じゃないですね。

 

 これを読んだとき、ぶわーっと風景が目の前にひろがった。

何にも感情の解説もないのに、悲しみと決意とが心に広がってゆく。

俳句は、すごい、と思った。

 

兜太先生の句は、躍動していて、破天荒で、いのちそのもの

という気がする。

 

 湾曲し火傷し爆心地のマラソン
 
長崎の原爆の地ですからね。それに向かってふんだんな批評を込めて作った句なんです。「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」ちょうど山里の被爆の中心地がありまして、まだ黒こげが残っていましたけどね。そこへ人間がマラソンして元気のいい人たちが走って来ると。そうすると、被爆地の黒こげのところに入ると、火傷(やけど)をして歪んでいるという。そういう如何にもなんか人間が悲惨に潰れているという、その思いを書いた句なんです。この句なんかが前衛俳句と言われた私の時期の代表句になるわけです。つまり原爆の爆心部の見方が、既にその中に露骨にあるわけですよ。あってそういう句が出てくるわけですね。自分の肉体の中に死臭が染みているわけです。その肉体に染みているものがあるから、そういう句ができる。
 
山田:  一貫性という、そういうものこそを詠っていくべきだ、ということを強く思われた、ということですか。
 
金子:  基本的に人間がどう生きているか、という問題。それを肉体でどう消化していくか、という。その方だけが基本であって、それ以外のことはみんな付けたりだ、という思いが強いです。今でもその思いです。だから季語というのは美しい日本語だからどんどん使いたいけども、なければならんという、そんな規制は絶対受けたくない。とにかく世の中で無ければならんというのはない、というのが、私の考え方になっているわけです。自分の肉体が納得するものだけがある、という。そういう考え方なんですよ。だからそういうルールみたいなものは一切要らない。どうも根っから自由人―自由人に憧れて俳句に入っているわけだけども―どうも子どもの頃から私はそういう一種の自由人の素質を持っているということにもなるんでしょうかね。どうも絞められるのがダメですね。

 

 

金子先生は、東京帝国大学卒、日銀入社

のバリバリのエリートだけれど

戦争を経験しているから、なんというか、底が抜けている。

金子さんは、大正八年に生まれました。かつてニホンオオカミが棲んでいたという険しい峰々に囲まれた秩父。ここで金子さんの命が育まれたと言います。
 

  
金子:  キラキラ見えているところ、山の向こうに。屋根が見えているでしょう、たくさん。荒川がこう行っているでしょう。そこの小高い山とキラキラした荒川との境面辺りが私の育ったとこですね。山の向こうです。夕焼けになった時―ちょうど西ですよ―ちょうど赤く染まって、補陀落(ふだらく)とか言うでしょう、浄土の世界。ああいう感じになるんです。

 

 
 おおかみに螢が一つ付いていた
 
これも、俳句。
 
どんどん、どんどん、戦争に向かっていく気配のある国で
気骨のある魂がいなくなっていく
 
かつて日本にいた「おおかみ」は絶滅しちゃったんだろうか。
それとも、どこかにまだ息をひそめて隠れてるんだろうか。
兜太先生は、秩父には、まだオオカミはいきていると思うと
どこかで言ってた気がする。
 
オオカミは大神と奇しくも同じ音。
どこかに潜んでいて、絶体絶命の時だけ現れて
敵をかみ殺して、疲れ果てた旅人の傍で寝て、目覚める前に立ち去って
仲間の窮地にはみんなで助け合って、
誰にもなつかず、孤高のようでいて、ひとりではなくて
優しいのがオオカミだ。
 
 
地に足をつけて、天と繋がって、
吐く息と一緒に余分な力を解き放って、
ここぞというときに大きな力を出せるようになりたい。
オオカミみたいな日本の女でありたいと思うのだ私は。