日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

どうやら、ここまでやってきた。

新月を目前にひかえて……

わたしはついに。

ついに!

 

かの職場で「笑いを取る」という偉業を成し遂げた……

 

お昼時の出来事。

机の上に「スペースを作る」ために

お盆ではなくお盆の内側のお皿を動かしてしまったことによって・・・

「お前馬鹿だなー」という「初」笑いが生まれた・・・・・

‥‥って、まぁ単なる私の天然ボケってやつなんですけどね、、、、、、

が。笑いが生まれた事により「天赦」が生じた気がした。

最後の最後でリベンジだぜ!

 

この世に必要なのは笑いだ…と痛感した。

 

そして、この世に必要なことを、今日はもう一個発見した。

このブログを業務時間中に読んでしまったことにより

……わたしは咽た(あやしい従業員だ)。

 

住職に聴く! 新年号 タオサンガ篇(12) | Tao Sangha

 

抜粋。

 

住職: やがて、思い当たったことがいくつかあります。

それは、シンプルな表現で言えば、「責任を持つ」ということです。、、、というのは、どのようなことあっても、またレベルはいろいろとあっても、“「責任を持つ」ことによって宇宙大は宿る”、という宇宙の法則がわかったのです。

 

-- 「責任を持つ」ことで、、?

 

住職: はい、責任を持つことによって、その人の行動なり言葉なり、また存在なりお互いの関係性なりに、宇宙大霊が宿るのです。

 この法則の一部に気づいたのは、実を言うとひたすらギターの練習に明け暮れていた18歳ぐらいの時だったんです。

自分が出した1音の響きに対して、“どこまで責任を持ち続けることができるか?”、という訓練をしていたんです。そして、出した響きに100%責任を持った音は、

自分の胸の奥から入り、それは全身に響き通るので、わかるのです。

 

「責任」…

 

この言葉にたどりついたときに

ものすごいさーっと光が差してきた。

 

責任・・・

このできることなら引き受けたくないとされるこの言葉の……

堅実さの力のすごさったら!

 

 

住職: それで念仏道場で修行を始めたのですが、1〜2年経ってから“このままでは心境が進まないし、どうしようかなぁ”と思っていたんです。でも最後には音楽で練習していたのと似たような原理で修行を始めたのです。

 -- それは、どんなものですか

住職: 2時間もの中、ずーっと途切れることなく、“全ての生きとし生けるもの救い”という責任を引き受けて、一心に祈り続けることにしたのです。

 -- そうだったんですか、、

住職: いやー、結構大変でした。渾身の意志力が必要でしたね。でも、そうして何カ月かやっている内に、まさに驚天動地のオドロキ体験あって、心身が根こそぎ変化しました。まるで生まれ変わったような自分

魂が復活し新たな命をいただいたような自分にんったんです。それは全く期待していないことでした

……中略

 

住職: 大霊が宿り、神さまに応援してもらうには、神さまが応援したくなるような、神さまがその人に宿りたくなるような生き方でなくてはならないということです

相手に対する責任を引き受けず、大霊が宿らない人間関係は、殺伐としたものになります。

住職: お客さまは神さまです。そして何らかのお客さまになれば、その場においては責任を持たなくて良い特権階級として、好きなようにふるまうことできるのです。

 

-- 関係性や場に責任を持ちたくないというのは、お客様という特権階級でいたいということなんですね。

 

住職: この消費者的なお客さま感覚が、すべての人間関係、友人や家庭にすら持ち込まれます。そうなると、言葉に責任を持たなくても良く

(お客さなんだから)、責任を持たずに関わることで、自分は奉仕することなく、費用効果を最大に上げること(お客さんなんだから)を、それこそ「無意識に」考えのです。

 これでお互いの関係性やコミュニケーションの場が、殺伐としないわけはありません。これで人生楽しいはずがありません。人間は、仲間と責任を引き受合い、協力し合って何ごとかを成し遂げたときに、最も人生の喜びを感じるようインプットされているのですから。

 

-- なるほど、、。

 

住職: これは、一致協力してマンモスを倒して食料を得てた時代からの

人間の基本です。その時に、「自分の働きは最低にしておきながら、なる

べく多くを得ることで費用対効果を大きくする」などという貧しい考えが

生まれようがありません。なぜなら、それではコミュニティの中で評判が

落ちて、もはや生きていくこと自体が難しくなるからです。

 

-- 、、、はい

住職: 責任を持たないというのは、単に大霊が宿らないというだけでなく、

関係が殺伐としてその場に不幸の神が来てしまう、ということなんですね。

それにも関わらず、責任を持って人や場と関わる人って、なかなかいないですね。

 

わかる。

踊りの師匠とはいろいろあるけど

ものすごい人の領域に入り込んでくる(それはいいときもわるいときもある)けど

それは責任から来るものでもあって

それを引き受けてるからこそ維持される「集団」があり「場」があることはたしかで

だから、「生徒」ではなく「弟子」を持つってことは

生半可なことじゃないこともよくわかる。

(善し悪しはもちろんある)。

 

 

今向かい合ってる人に責任をもってるかどうかとか

そういうのの含むことのデカさ!

「お客さん」でいることの罪悪。

「いい人」でいることの極悪。

とかほんとによくわかる。

 

そして、わたしはここがものすごく好きです。

 

>自分が出した1音の響きに対して、“どこまで責任を持ち続けることができるか?”、という訓練をしていたんです。

>そして、出した響きに100%責任を持った音は、自分の胸の奥から入り、それは全身に響き通るので、わかるのです。

 

・・・今日はこれを心にぐっと押し込んで踊った。

動きの一つ一つにどこまで責任持てるかーーー・・・

ってやったら

全てが、響く。

 

そしてわかった。

責任をもつコトをきめた瞬間に人生には

自分に響くことで溢れるんだってことが。

 

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アトリエ公演詳細決まりました。 

試演会形式。平成の……瀬戸際ダンス。

3/9 ・10(金/土)19:30~ 

四谷三丁目ランプ坂ギャラリー 

CCAAのランプ坂ギャラリー施設詳細

料金:1000円  ご予約受付中です!

uminiikimasho-asap@docomo.ne.jp

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