日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

  このような一日が終わる。

社会的に生き始めると孤独になり

社会から距離をとると至福がやってくる

…みたいなおかしな構造は、やっぱりおかしい気がしており

これはやはり、わたしの「選択ミス」ではないかと思われる。

 

そんなこんなで

昨日はすべてを放り出してルン・ルへ行ってしまった。

ルン・ルはすごい。

頭蓋骨が床にめり込むくらい緩む。

もう身体がなまりよりも重くなって、意識は深いところに入っていくけど

案外外界の状況もいろいろ把握している。

終わった後は、非常に血行がよろしくなり

もうなんでも大丈夫!

な心境になる。

 

このような所に、自分でもいけるようになったら、どんなにいいだろうか?

(よくないかもしれない、行ったことがないからわからない)

 

植原先生は言った。

 

「お釈迦様は、難行苦行は意味がないとおっしゃったけど、それはウソです。

難行苦行よりも、もっとすさまじいことをあの方はやってのけた。

それはね、「吐く息とともに余分な力を解き放つ」だけです。

でも、余分な力があるということは、余分じゃない力もあるってことだよね?

その余分じゃない力はどうするのか?

それは、「吐く息ととともに余分な力を解き放つ」ことを実際にやった人だけが

わかります。

だから、やったひとは、何が起きたか教えてください。

教えて貰ったら、その人がどこまでいってるか、瞬時にわかります」

とおっしゃった。

 

植原先生は、ほんとにすごい。

77歳にして、身体年齢が28歳だか、30歳だか、その位らしい。

 

昨日は、なんか、小さくアメリカン・インディアンのうた

みたいな歌を歌い出す人がいらっしゃった(邪魔でもなんでもなかった)。

 

もうなんでもあり!の場所だ。

 

そうこうして、

一日経つともうこのザマな自分が無様すぎて泣けた。

 

だが、わたしの神の探求も続く。(爆)

 

菊谷さんにおすすめされたこちらの本を読んでいる。

『神の探求』

これが、また泣かせる本で、わたしは電車に乗りながら

もうわんさか涙を流してもはや変態の域である。

エドガー・ケイシーが、リーディングによって語ったことをまとめた本で

こりゃあ凄い本だ。

内容を紹介する気力が無いので(笑)

もうこれはみなさんご自分で読んで頂きたい。

以下のレビューどおり。

「ケイシーは熱心なクリスチャンでしたので、聖書の言葉をたくさん引用していますが
聖書を知らなくても、心の深いところへしみ込んでいくような不思議な本です。」

 

ちょっと引用するけどね。 

>もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。…わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

>あなたがたがわたしを選んだのではない。

>わたしがあなたを選んだのだ。(ヨハネ15・13~16)

 

 

あなたがたがわたしを選んだのではない。

わたしがあなたがたを選んだのだ

 

…って……。

 

ズドーンときました。

 

それならさ、それならさ…

 

なんとかしてよ神さま…

 

お願いしますよ…

 

 

朝、ひととおりジャパして、洗濯物干して

朝神社に自転車をとめて、神明宮に朝の挨拶をして

電車の中でプレマバクティチャンドリカの朝の講義の録音を聞きながら四谷に行って

四ツ谷で降りて教会でマリア様に挨拶して

(朝のマリア様はほんとに美しい…)

急いで職場に行きながら、マハ―マントラ唱えて

なんだかんだやって

夜四谷で降りて教会に行って

わたしはマリア様がすきなので

マリア様に挨拶をしていたら、また声が聞こえた(気がした)。

 

「わたしの下に(元に)来なさい」

 

わたしクリスチャンじゃないのだけど、いいですかね。

 

 

ミサに出たら司祭が「とにかく、ロザリオの祈りを一生懸命にしなさい」と

というので(司祭に寄って物凄い場が違う)

キリストさまのドMでドSなのがすんごく苦手(すいません)なので

キリストに祈る代わりにクリシュナに祈って

ハレ―クリシュナ一生懸命唱えるとまた涙がわんさかでる。

でもって、急いで高円寺の公民館で

踊りの稽古しながら昨日のルンルの状態が再現できないかとか

あれこれやって、疲れ果てて(爆)帰宅。

 

一個わかったのは

神様にちゃんと祈ると体が緩み、脳みその疲れが抜け、ハートが開き

元気が回復する。

 

これはもう、ものすごい、自己修繕技法である。

なので、サラリーマンとか、一日15分でもやったらいいのに!

売り上げ上がるよ!

疲れ、抜けるよ!

おまけに、世界平和だよ!(万々歳!)

 

と思った。

が、これらを巷のサラリーマンにいったところで

頭の可笑しい人だと思われるにきまっている切なさ。

だってほんとだもん!と地団太踏んでも、非力な小娘には何もできないのであった。

もし、「そうだね!それがいいね!」って言ってくれるサラリーマンがいたら

まずはお友達から仲良くしてほしいとお願いしたいくらいだ。

 

みんななんで騙されたと思って

自分で試さないんだろう?・・・って思うのよわたしはいつも( ;∀;)

 

わたしは今生の人生では

どこにもたどり着けないかもしれない。

たどり着けないどころか

どこかで野垂れ死にかもしれない。

でも、一人で死ぬのはわたしのような軟弱者には

結構つらいです、神さま。

 

、のような一日でした。