日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

ひとつになれなかった日。

ひさびさに踊りを観に行った。

 

観に行ったのだけれど。

これ見た友人がこう書いていたよ。

 

>今日は、3,500円で60分の美しい(けどちょっと退屈で感情移入できない)マスターベーションを見たなと思った。

 

>舞踏手は私を椅子の上に置き去りにしたまま彼の世界を繰り広げていた

 

・・・・すごいよね、この洞察ね。

これ以上言葉がありません。

そして、その通りだと感じました。

 

つーかさ、あんな 

「すごい本格的なる踊りやります、演劇もダンスも舞踏もひっくるめて。

すごい師匠の影響受けてます、ほんとすごいです」的な事書いちゃってさ。

そういうテキストで触れ込んだら

あれ初めて見た人はあれが舞踏、と思うとおもうよ

罪大きいよ、あんた・・・・・

舞踏がなんなのかなんてわからないけど。

と思ってしまいました。

はー・・・・

第三者不在の踊りはマスターベーションである

名言……

自分にもい聞かせようと思いましたー!

 

終わった後、演者の彼はすっきりした顔をしていたけれど

わたしは邪気に当たったみたいに、ものすごいもやもやしていた。

他の観客も、どうみても、浮かない顔してた。

世界は、何も変わっていなかった。

 

いつも踊りの先生が言うのは

「内部にはいりすぎたらだめ、外部だけでもダメ

でもね、ほんとは内部も外部もないんです」 

 

知的の子たちをみてると、よくわかる

彼らは、「内部」「外部」の区別の垣根がすごく低い

内部がすぐに、外部になってあらわれる。

そして、人の気持ちに、とても敏感なのも

人が「他人」ではなく感じられるからだろうと思う。

 

彼らのダンスは、ほんとにうつくしいのだ。

 

この感覚をだれかと共有したいのだけれど、

なかなか彼らの存在は「福祉」から出られない。

彼らのダンスは、福祉じゃない。

生きていること、そのものだもの。

 

彼らはすくなくとも、

だれも置き去りにしないよ。

 

 

ひとつになりたいんだ、わたしたちは。

 

何かと、誰かと、世界と。