日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

ジーザス・クライシス

先日稽古場に行った。

アメリカ人1人、ペルー人1人、

新潟からバスで来た青年1人、お茶大の舞踊学専攻の女の子1人、

そしていつものメンバー3人と私と師匠

という人員だった。

 

青年は、以前公演を見に来てくれた方だった。

2泊して新潟に戻るという。

たぶん、踊りのクラスにいくつか出るためだけに、新潟から出てきたんだと

直感した。

確か、公演の打ち上げの時に、「ボクはずっと引きこもりで、そこから脱するとき

一人で浜辺で踊り出していた」のようなことを語っていた気がする。

 

彼の踊りは、素晴らしかった。

ただ、沈んでいく身体が「溶ける」というイメージそのもので

その重量とか、気持ちとか、何かがほんとうに美しかった。

舞踊学専攻の女の子も、うまかったし、美しかったが、

たぶん、そんなに誰にも教わってないであろう彼が、気持ちと命がけの点で

全てを凌駕している気がした。

 

わたしは彼の踊りと語りをみたときに、ある文章を思い出した。

それは、我らが坂爪さんが「みっつ」という青年にであったときに書かれたもので、

わたしは坂爪さんの文章がいつも好き!という感じのファンではないのだけれど

 

 

「言葉の中に世界があって、そこには自分の居場所もありました。」

 

―これを読んで号泣した。

 

その青年に会った時に、この文章を思い出した。

 

坂爪さんの

「私は、それを見た瞬間、何かもう、自分のボギャブラリーでは到底言葉にすることが出来ない強烈な感動を覚えてしまった」

というところそのままの感覚だった。

 

わたしたちは、いつの間にか、損得で・世間の基準で・自分が貰うことばかりに、

行ってしまっている。

でも「ほんとうのピュア」は、

何よりも強い

と、思った。

 

              ****

 

この一週間程度、大小さまざまな決断をしないといけなかったので

神経をすりへらしていた。

そんなある日、四ツ谷の上智大に、

ペルーからの踊り手の公演を見に行こうとしたら

間違って、隣の聖イグナチオ教会に入ってしまった。

が。そこは驚くほど「祈りの気」みたいなものが充満していて、

高ぶった神経が一瞬で鎮まった。

それから毎日、わたしは仕事が終わった後、

そこで祈るようになった。

 

それから、はっと気づいた。

「・・・わたしは、神様を信じてなかった、

(そして、まだ信じるすべを確立していない)」

という強烈な事実。

 

師匠が

「踊りにすがってみればいいじゃない」

という、その「すがる」ことの意味。

「いいかげんなことをやっているとね、そのうち、踊りから見放される」

ということの意味。

「男は裏切るけど、踊りは裏切らない。やったらやっただけ、返してくれる」

ということの意味。

 

私はまだ「信じて」いなかったんだ、、、、、、、、、

そう思ったら、

何かつきものが落ちたみたいに色んなことに合点がいった。

「信じていない」から、「任せられない」私なのだった。

 

最近のわたしの状態はなにかが凄くて、

ものすごいシンクロが日常的に起き、

色んな人から神がかり的な速度で連絡がきたり、

関わってくれと言われたりする。

わたしの目に見えないところで何か、

とんでもないことが起こってるんじゃないかなと思ったりする。

 

が。

が、しかし。

わたしは一体何なのか?

だからといって、わたしはまだ、何者でもない。

 

そうして私は

ほぼほぼ採用されそうになっていた、会社(すごいいい会社だった…)を

辞退した。 

たぶん、そこに入ったら、社会的に安定するだけで

たぶん、私の中の何も安定はしないだろう

と、思った。

 

が、しかしその辞退が結構痛くて苦しくなった。

 

           ****

 

そうこうしてるうちに、師匠に呼び出され

家で飲み食いしながら

「踊りが上手くなること」

について、話した。

 

わたしにとっては、本当は、

踊りが一番むずかしくて、

一番やりたくて

一番怖いことなのだった。

 

それを心の奥の方でわかりながら、

超怖いのだ。

踊りなんて、人生に何の保証ももたらさない。

「踊りが上手くなる、ってどういうことですか?」

と問う私に

「自分を知る、ってことじゃないですか」

と返答が来た。

 

 

「信仰」ができてなくて、「自分を知ること」が未熟である

という事実

がほんとに大きな壁で

そして、いちばん、知りたいことなのだった。

 

          ****

 

ヨガファミリーたちに、明らかにされた、また、自分でもうすうす気づいていた

グラウンディングの弱さの原因は

たぶん、その辺なんだろうな…と思った。

 

          ****

 

それから数日間、自分的限界である「グラス一杯」のお酒を飲みながら過ごした。

あぁ…タバコが吸いたい、と思った。

 

              ****

 

四ツ谷の教会で祈っていたら

横にマリア様の像があることに気づいたわたしは、

なんとなくマリア様の像にお祈りししていた。

それは、生きているみたいに、すばらしい石像で、

必死に話しかけると、マリア様がこうおっしゃった。

(気がした以上の何かな気がした)

 

「また、来なさい。祈りなさい。」

 

そうこうしているうちに、何か行事が始まってしまった。

その日から、ザビエルの9日間の祈りが始まる日、だったようだ。

一通りのお祈りを終えて、「洗礼を受けていない人には祝福を与えます」

という司祭の前に進み出て、祝福を受けたら

背中が一気に軽くなった。

 

その日の夜、わたしは 稽古場で新潟の青年に会ったのだった。

 

            ****

 

そうこうしているうちに、一週間が終わった。

 

週末の朝、母親を整体に連れて行った。

 

前回初めての整体の時に、院長が

「過緊張で常に興奮状態」

と言い当てた母は、睡眠がうまくいかなくなっていたのだった。

 

過緊張で常に興奮状態な母親のもとに暮らしていた私は

17歳で鬱病に陥り、毎日死ぬことだけを考えながら生きていて

周りに自然がなければ、どうなっていたかわからない。

わたしにとって、自然は、神さまみたいなものだった。

 

整体が終わった母とランチをしながら、

母親の「力の抜けたからだ」に初めて対面して、

ほとんどここ十数年、まともに見ることのなかった母の顔と目を見た。

なんだか、はじめてまともに言葉を交わし、落ち着いて話をした気がする。

そして、目の中にある「優しさ」みたいなものに気づいてしまったのだった。

 

インドから帰ってきて、家との関係が劇的に変化した。

故郷の自然をどうしたらいいのかは、私に託された。

愛している分、どうしたらいいのかわからなくなる。

なんとかなるだろうか。

 

実家に帰っていたとき、どういうわけか

魂の伴侶、メープからビデオ電話なるものが来た。

彼は、わたしの故郷の自然をみて

beautiful! 

I want to visit!

と言って、笑った。

すばらしい笑顔だったので、わたしもとっても嬉しかった。

 

その後、別の人とご飯をたべているときに、

実家の山の話が出たら、その方は

 

「売れないのかな?リニアとか。」

と言った。それに、軽くショックを受けた。

 

ただ…

話をしていくうちにわかった。

その人は、転勤族の両親のもとで、引っ越しを繰り返し

「故郷」が無いのだ、

そして、それがずっと悲しくもあった、

と言った。

 

 

そうか…と。

人の育ってきた境遇は、人それぞれなんだ。

そして、みんな、自分の境遇からしか学んで行くことはできない。

人の見ているものは、みんな違うんだ…

と、なんだか、妙に冷静に腑に落ちた。

 

そこからやっていかないといけないし

そして、そこからでも、やっていけるだろう、

と思った。

 

          ****

にわかキリシタンが四谷の教会で祈っていると

またなにか聞こえてきた。

――感じなさい、許しなさい、聴きなさい、動きなさい

と。

 

どなたでしょうか。