日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

Incredible !ndia の旅。①転生を想うの巻

今日久々に即興で踊ったら

チベットマニ車を回す自分と、足の萎れた物乞いと

地面からはいつくばって起きる動物の動作が出てきた。

淡々とそれをこなしている自分。

はいつくばって生きてやるというか。

 

もしかすると、自分は過去に

チベットにも、インドにも、メキシコにも

居たのかもしれない。

 

あるひとに「仏陀の弟子だった」と言われたことがあるが

仏陀はあのカーストのばりばりすさまじい時代に

『人間に貴賤の差はない』とか言って回ったものだから目をつけられまくって

弟子は丸腰で布教するもんだから迫害されまくって殺されたり大変だったはず」

と言われて、なんだかそうなのかもしれないよな…と思った。

 

あるとき、特別な場所でのルン・ルが終わった後、

家でいつも仏陀の像の前で焚いていたお香の匂いが 

さぁっとしてきて、一瞬!!?と思ったことがある。

(そういえば主催の植原先生は明日からインド入りだ。

初めて行くところはすさまじい雨が降るらしいケド…(^_^;))。

 

さらに、ヨガの繋がりで出逢った人々と

500年前のインドで一緒だっ可能性がある、

という見解を裏付けるさまざまな偶然の事態などが頻発。

そして、アステカもしくはマヤの時代にメキシコで、兄弟たちと

グアダルーペのマリアと土着の女神を信仰していた疑いも出ている。

 

わたしたちは、転生を繰り返し、繰り返し、繰り返し…

そして

ここまでたどり着いて

転生の間に出合ったたくさんの人と

また再会して

そのときに果たせなかった約束を果たしたり

そのときに抱え込んだ複雑な思いを解いたり

そのときのカルマを解消したりまた新たに作ったり

なすすべなく来世に持ち越したり

しているのだろうか?

もしそうなら。

 

魂の願いが知りたい。

いやもしかすると知るのではなくて、

「思い出す」ものなのかもしれない。

 

 

今回のインドの旅で出逢った重要人物は約2名。

 

そのうちのひとりは、昨年出逢って、

なんだか知らないがとっても仲良しになった

飛び切り美しい目を持った少年

(だったのに!今年はひげが生えていた!

美しさと鋼のような足は健在だった)で

彼は、さまざまな雑務を担当していて

たくさんの要人や西洋人が出入りする環境に身を置くことで

そこから独自に学ぼうとしていた。

 

鋼のような足が、オレンジ色の袈裟からすっと伸びて

身体が一本の棒のような管のような透き通った身体をしていて

観ているだけで、こちらの気持ちも透き通ってくるようなひとだ。

 

彼は「サンニャーシン」だ。

去年は「ブラマチャーリー」だった。

ブラマチャーリーからサンニャーシンには3段階のステップが間にあるはずなのに

「そこをすっ飛ばしてサンニャーシンになった」

といって、ニカっと不敵に笑った。

 

彼があるときふっとこんなことを言った。

Chinese, German, American, Japanese, what't  the differences? 

Soul doesn't have any differences.

 

日本人だろうが中国人だろうがアメリカンだろうが、ドイツ人だろうが

魂で観たときにどんな差があるんだい?

 

……なのに、××●▽の連中ときたら、

金を持ってるかどうかで待遇に物凄い差をつけるんだ。

 

ほんとのグルは、弟子はほんとに少数だ。

そして豪奢な車や物を所有したりしない。

 

…僕はね、ここに英語を学びに来たんだ。

といって、またニカッと笑った。

 

彼は、たくさんの西洋人が出入りするのを横目で見ながら

どきっとすることを言う。

それはずっと心の奥の方でひっかかってたことで、

それは、ブログと言う媒体では書くべきことでないから書かないけれど、

とても大事なことだ。

 

 

わたしは今回

彼の目を借りて物事を観る機会を得た。

それはとりもなおさず、

現地人の目を借りて物を見る機会を得たということだった。 

 

わたしたちは暇があると寺院の境内(というのかな)に座って

ありとあらゆる話をした。

時折私の友人もそこに参戦して話はさらに盛り上がった。

 

去年はあんなに初々しい少年だったのに

今年はほんとうにインドのババ的なの何かを纏っている。

 

そして彼の歳にあってしかるべき健全な反骨心とか

尊大さとかを持ち、それを表に出しながらも

その奥にある岩清水みたいな清らかさと心にキープされてる篤い信仰心が

幾たびも襞みたいにして感じ取れて

わたしはときおり、深く感動した。

 

 

「呼吸の旅に、神の名前を呼ぶんだ、そうすればジャパの度に

数珠なんて持つ必要ない。

だって数珠袋持ってたら、仕事にならないだろう?

吸う息と、吐く息。

吐く息と一緒に、

シュリ・ラーダー

ってね」

 

といって、すーっと吸って、はーっと息を吐いて、

またニカッと笑った。

 

とはいえ、彼はだれにたいしても平等に接する。

なすべき仕事があればぱぱっとやるし、手が必要ならさっと手伝って

おふざけの一つや二つ言って、相手の気持ちを明るくさせる技量をもってたりする。

 

彼にサットグルが見つかるように、

彼のサットグルが彼を見つけるようにと

わたしは結構真剣に祈った。

彼はここでそういうひとを探してるんだー、と言った。

 

親にサービスはできないけど、ダルシャンだけは出来るので

ダルシャンしに何度かは帰るよ。村も見せてあげたいものだと言った。

 

僕の部屋を見せてあげよう、と得意げにいうので、

観てみると

オレンジの袈裟が4枚。

木の板に毛布が2枚しいてあるベッドと少しの本。

そして、櫛と知恵の輪。

「何も持たないから道路に寝ていてもとりわけ怖くなかった」

と、少しの間インドを放浪してた彼は笑いながら言い

「この知恵の輪で君の知力を測る」

といい、勿論私はその輪を解くことはできなかったのだった。

 

自分は愚かだ、

と心から思うときにやっぱり始まる何かがあるのではないかと思う。

そして愚かしさを見つめきれたらそれはたぶん、

純金みたいなものになるんじゃないかとも思う。

わたしも、もっともっともっと捨てないとためだよな、と。

もっと下に落ちる必要もあって

まだまだ中途半端に宙ぶらりであがいているカッコ悪さの中にいるような

気がした。

 

さて

 

今回は友人がともにおり

彼女と外出をするたびに珍事で感動的な事態に巻き込まれるのだった。

 

インクレディブルインディアの旅は

つづく。