日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌 ーakiko ootsu

捨てるも拾うも…

捨てる神あれば

拾う神があるのだ…

でもって両方とも神なんだ。

ということを最近はほんとうによく感じる。

 

 

しかし昨日は…

いろいろと稽古中に思うことあり

「インドなんて行く必要ない!もう取りやめよう!

日本で出来ることが山ほどあるのに、

なんでこの大事な一週間をインドに行くんだ!馬鹿馬鹿!私のばか!」

と頭をかかえて泣きそうになった。

 

そんな折、魂の先輩Mさんとメールをしていたら

「考えるんじゃない」

とお叱りを受けた。

「うれしくて、うれしくて。」

のところに居ればいいんじゃない?というアドバイス付きで。

……

なんだかんだ、あーでもないこーでもないと

なってしまっているのは確かで

ふー・・・なんでここにきてこんなに

じたばたしてるんだろう…私。

と思って、ちょっとそんな自分にウケたら楽になった。

 

もう乗りかけた船だ。

あれもこれも放り出して、

ただ、感じてこよう。

と言う風に、思い直した。

 

それにしても思うのは。

 

自分で考えて行動に移すと

それを受けてさまざまなリアクションが返ってくる。

それは、良いものも悪いものもほんとうに様々で

その様々さ加減にびっくりする。

 

 自分で考えても

プラスの汲み取りをするときは

対象に向けて心が開いていて、

知りたい、変わりたい、感じたい、何かを共有したい

とかそういう意識で向かっている。

逆に汲み取れないときは、「誰かにやらされてる状態」のときだったり

それはそれほど切実なことでもないんだろうし、やらなくてもいいことだ。

あるいは、嫉妬とか自分のエゴで本質も見えなくなってるときだったりする。

 

色んな人がいれば、色んな意識がある。

そこから受けるリアクションも様々になるわけで

とにかく畢竟「自分がやりたいことやってるかどうか」だと。

自分がやりたくて…

ということだけやっていれば

人の評価もなんてのもどうでもよいし、

神から捨てられても、たぶんどこかでまた拾う神に出合うかもしれないし、

だいいち、やりたいからやってるんだから、ストレスがないよね。

そーいう感じで行きたいですよ。

 

 

てなことを、

いろんな人と関り

いろんな物事に向かっていくと

感じるのでありました。

 

それにしても今日は気持ちが揺れたけれど、

それでも心はなんだかとても元気だ。

とっても脆弱だった心の筋肉が、少しずつついてきた感じがします。

心臓に毛が生えてきたのかもしれない。