日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

釈迦にはスジャータがいて。

何だかいきなり10月に入り目の回るような忙しさだ。

でも超元気だ・・・・気力に満ちている。

人と会ってその人がうれしくなると、

わたしもうれしいしかなしいとかなしいしという、

実にシンプルなところに立ち戻った気がする。

 

今日は、同居人だった後輩Kちゃんの

記念すべき人生の岐路とともに居た気がする。

少しでも身体が楽になるように手伝えたことはわたしの学びになった。

 

シンクロナイズドスイミングに満ち溢れた日々は

これは、もう人知を超えたところの話だし、

自分ではなにもしないように、計らわないように。

うけ取り下手なわたしだが、

これだけは、感謝して受け取りたいのだ。 

 

昨日は徹夜で本を読んでしまった。

 

今朝、それでも目はらんらんとして、本を読みながら電車に乗り

職場に着き、仕事を終えたら空から羽が落ちてきた。

 

スジャータについて読おもいめぐらしていたら

スジャータのミルク粥」についていきなりMさんからメールが入ってあわてた。

さらに、一年半くらい購入するか迷っていた(迷いすぎですが)

クシャ草のヨガマットをひょんなきっかけからMさんがくださった!

(欲しいものをしっている・・・。)

 

クシャ草はなんだかとても「安心」なエネルギーでかつ、

大好きな黄色だ。

すごいのだ。

ありがとうなのだ。

(下記一部。)

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 きれいだな。

 

長いこと、釈迦のありかたについて疑問があったのだけど

それについてなんだか妙に腑に落ちる本に出合った。

(何の本か知りたい奇特な人がいたら個別にメールください)。

 

そこには「スジャータをどうとらえるかが大乗と小乗の違い」とあり

「釈迦はスジャータの目を見て心を動かされて粥を受け取った」とあり

「決して男を誘惑する気持ちではなくて、子供のような純粋無垢な気持ちで

釈迦を高貴な人として接した」ドラヴィダ人スジャータの無垢な慈愛の心と

釈迦の慈悲慈愛の心が響き合ったことで、

「釈迦はバラモンを超えて、一瞬にして大悟の悟りを得た。」

 

そしてさらに

釈迦はスジャータに対して一番先に説法をしたかったのでしょう。

とあった。

 

わたしは、今生では女性だから、やはり女性として物を見るし、

女性としてものを考えるし、

でもはて、いろんなすばらしい修行などについての女の位置の低さよ・・・

と思ってぷんぷんしていたわけで。

 

>釈迦はほんとうは一番最初にスジャータに説法をしたかった

 

そうだよ。

 

そうに決まってるじゃないか!

 

そして、釈迦がもしほんとうにそう思っていたのなら、

そしてほんとうにそういう経緯で悟ったのなら

すごいことだなぁ・・・。見方変わるなあ。

(それにしても命の恩人に「説法」ってね。もっとなんとかなんないのかね) 

 

スジャータもマリア様も、

地母神のあらわれなのでしょうか。

 

わたしには真偽のほどはわかりませんが、

でもこの本に出合ったことで、胸のつかえがするっと落ちて

「これでいいのだ」と思った。

そして、釈迦についてももっと知りたくなった。 

 

今日クシャマットを持ってきてくださった魂の先輩Mさんにあって、

その話をしていると、それを聞いたMさんが

開口一番

「だからさ、イエスにもマグダラのマリアがいてさあ~!」

と来たよ。

 

それー!

それが、言いたかったんです、まさに今。

何も言う必要ないのかもしれませんね。

 

 

(私個人の全く勝手な見解ですが!)

 

エスにもマリアさまが居て、

釈迦にもスジャータがいて

クリシュナにはラーダーラーニーがいる。

 

それぞれのシャクティ

陰と陽はふたつでひとつ。

 そして、それらの女は、圧倒的な「利他」。

 

 

ずっと、釈迦と女性の関係性について疑問を持ってたし

仏教ヒンドゥー教も)の中での女性のステイタスというか、

そういうのに?だったし、

それが氷解してきたことがあって

わたし、今生で女に生まれて良かったな、、、、と思ったのだ。

ほんとうに。

 

今度のインドの旅で、

わたしはスジャータ村に泊まることになっているのです。

すごいうれしいですが

生きて行ってこなければ。

 

そのまえにビザか。