日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

これでいいのだ。

「過去」にまつわることと

「未来」を感じることの

両方が同日に起こった。

 

とにかく、生活を成り立たせるということを懸命に組み立てないといけない。

それで、カッコ悪くじたばたしているのですが

「過去」の自分の片りんに出合った。

リクルートスーツ(わたしはこれが嫌で嫌で仕方なかったが、喪服だと思って買い、「いまだけ」と念じながら着ていたことがあった)に身を固めて、同じ顔をした若き日本の学生たちに出合った。

 

なんか違うぞ…のおもいとともに、

その場近くに会ったチャペルに行ったけれど

そこは全く何の祈りの気配もない場所だった。

軽くへこんだ。

 

品川まで歩けそうだったので、整体に行くために品川へ向かった。

途中、またカトリックの教会に出合った。

こんどは(期待は捨てて…)

…すごく近代的な設備だった。

誰もいなかった。

何となく口をついて出たフキラのお祈りを唱えた。

帰り口にふと見ると「あなたへのメッセージです」という箱に入った

たくさんの小さな封されたカードがあった。

「自由に頂いていい」ということだと思ったので、

ひとつピックアップして駅に行く道でひらいてみた。

 

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。(ヨハネ4:18)」

---there is no fear in love, but perfect love casts out fear.

 

 

はは~ん、

私の中に生じた恐れを見破っておられるな…

と感じた。

 

そんな感じで、品川駅から整体に向かう途中

何故か入ってしまったギャラリーでの器の展示がすばらしかった。

和の器 工房 草來舎(草来舎・そうらいしゃ)

 

長野、伊那谷で、アカマツやリンゴや灰などを釉薬として使用している

とても暖かい、とても美しい器にほれぼれした。(明日までです)

2017東京展示会のお知らせ | 和の器 工房 草來舎

 

とりわけ、高温で焼いたために鉄分が出て

きらきら渋く光るマグカップはすばらしかった。

大きい器はかえなかったので、小さなボウルをひとつだけ

「大事にしますから、今日はこれを買います」と心に決めた。

わたしは無礼を承知で

「器だけで生計を立てていらっしゃるのですか!!?」と聞いた。

「そうです。あと教室をしたりね」と。

 すごいな・・・とそう思う。

ふたりとも、人格のにじみ出る「人間」的な手と顔をしていた。

そして、自然の色、の嘘のなさ、なんというか、

すばらしい色に・・・・・感激してしまった。

 

 

その後、整体…

そして、その院長が今年で引退するという衝撃の事実を…知った。

全然知らなった……わたしはほんとうに、ラッキーだったんだ。

院長の木村さんは、とてつもなく、すごい人だ。

むつう整体 みらいゆ品川 – すべては内に

ものすごい熱量で、研究に研究に研究に研究を重ねて

「何もしないー0波動」に到達し、毎日進歩し続けている。

これはもう受ければわかるということだから説明しないけど

「施術者の想いがどれだけ純粋か」にかかっていると

どこかに書いておられて、とにかく自然治癒力を100%信頼する。

「余計なことをしないこと」がすべてだ、と。

 

 

この整体を受けると、一日シャットダウンになる。今日もなった。

でも、今日は、なぜかどうしてもこの後、

学生時代にほんの少しかかわった人の集まりに出なければいけない気がした。

どうにかこうにか体制を立て直し、

今の私にとっては決断力のいることだったのですが、集まりに出かけた。

今日、なにかこれはメッセージなんだと感じていた。

 

 

弁護士、銀行マン、商社、コンサル、、、、

みんなホントにすごいのだよ。

そこでわたしは現状報告として、

自分の現状を余すところなく発表するという貴重なる機会を得た。

みんな軽くビビってた・・・・

というか、「理解不能」状態に陥っておられた・・・・

わたしは、自分の中に「劣等感」が産まれるだろうかどうだろうか

という観察をしていた。

 

案外そうでもなかった。

だが、非常にソワソワした。

と同時に、「過去の自分」が居た場所の地場を知った。

「こういうところにあのときの自分はいて、

こういうふうな不自然を受け入れて、こういう風な頑張り方をして

でもそうするしかなかったんだ…」

と思ったら、過去の愚かな自分の像が(今も十分愚かだけど)、

少し愛おしいものになった。

さらに実は私には少し男性嫌悪的なものがあるんだな…ということを

再度確認した。

嫌悪というか、基本的に、社会的にまっとう(と思われている)

権力をふりかざした男性

というのがほんとうにだめなのです…。

そうじゃない男性もたくさんおられるとおもうので、

全般的な嫌悪ではないのですけど。

 

 

私は早々に座を辞して

2年間、非常にお世話になったアルバイト先の洋食屋のマスターに

挨拶をしに行った。

私はそこの看板娘だった(というのは、スタッフは私のみだったため)。

マスターは、不思議な人だ。

ほんとうに(何の下心もなく)私を可愛がってくれ、

どれだけご飯を食べさせてもらったかわからない。

 

「もー来るなといったじゃないか!何かいいことがあったの?」

というから

「マスター。今までひとつもいい報告ができなくて誠に申し訳ありません」

と言ったら、笑っておられた。

そしてマスターの最愛の奥さん(早くに亡くなった)の写真を初めてみせてくれた。

「いつもウチの姫のことはお祈りしてますよ。

いつまでもいつまでも元気でいるんだよ」

と言ってくれ、別れた。

以前、中途半端な挨拶しかできてなかったから、なんか胸のつかえがおりた。 

 

自分の現在の位置、

自分の行く先の片りん、

自分のしょってきた偏り、

自分の心の志向性、

みたいなものを、今日はたくさんみつけた気がする。

 

これでいいのだ。

 今日は、こういう日だったのだ。

あしたからも、また、人生は続いていく。