日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

遊びをせんとや…

 

今日は、たくさんの時間、静かに、料理をしました。 

 

私は米はたいてい圧力鍋か土鍋で炊くのです!(早くておいしいから)が、

圧力鍋の蓋がとれなくなって一瞬焦りました…

 

そして、レーズンと長芋を買いに買い物に行ったはずなのに

一瞬、何を買いに来たのかわからなくなって立ち尽くしてしまいました…

その二件以外! 

非常に静かに、そして内心は熱く料理をして過ごしました。

 

いやしかし、ほんとうに、料理と言うのは、

鎮静作用があるな・・・

ゲージュツだなあ・・・・

それにしても和食ベースで地味だ・・・・

と思いながらも、鎮まった気持ちを持って、座りました。

涼しくて、とてもいい夜でした。

熱中症のお陰で、身体をやすませたこともあって、

何だか、内側がとても静かで、穏やかで、力に満ちています。

 

あ!こーれーはー、明らかに、

ヴァータが鎮まってきているのだな、フムフム。

 

うーん、、、またその話になってしまった ^^;

……ほぼ青山さんの本は読み終わったかなーと、気が抜けているときに

新たなる本を紹介頂いてしまったわけなのです。

題して…

「大いなる生命学ーアーユルヴェーダの真髄」 !!

 

この本は、他の紀行文とは一線を画しており、

専門的かつ、哲学的でありまして、それでもってめちゃめちゃ面白いのですね。

恐るべし、古代の叡智・・・という。

のっけからこんな感じなのです。

 

純粋意識(プルシャ)は、無形の姿で存在するだけではなく、

自らを表現したいと欲した。

 !!

プルシャ(純粋意識)とプラクリティ(根本原質)は

炎とその熱のように切り離して考えることができません。

!!!?

さて、このプルシャ、プラクリティと呼ばれる非具象の場から、どのようにして創造が行われたのでしょうか?

 

!!!!????

プルシャが自らに’覚醒’したとき、自らの知性に気づいた。この知性が具象のうちでもっとも原初の具象、マハト(普遍知性、理知)だ。

 

ぞくぞくぞくぞくぞくー!!!

 

純粋意識であるプルシャ、根本物質であるプラクリティ、そして普遍知性であるマハトには’区別’という概念がなかった。…それはちょうど、炎と熱、そしてその光が別々の概念であっても実際には分離できないのと同じだ。…しかし彼らはこのアハンカーラ(自我)の顕現により、はじめて個々の’形’をとった。……この非具象から創造の最初の脈動が起こったということは、すなわち、彼が自らの多様化を欲したということだ。普遍の存在が、なぜかさまざまな個性を持とうとした。……

多様化を欲することが存在の’本質’なのだとしか実際のところ言いようがない。

 

・・・ 

 

はぁ…すごい。

 

ちょっと端折ったのでわかりにくいと思いますが、、、

 

と、ゆーことは。と、ゆーことは。

私たちが悩み苦しみ妬み嫉み泣きわめき笑い喜び他人と自分を分け隔てどうして私はあの人のようになれないのだどうしてあの人は分かってくれないのだどうしてあの人はわたしのことを好きになってくれないのだどうしてわたしはこんなに無力で平凡でろくでなしであのひとはすべてを手に入れていて苦しい辛いもうだめだ……

みたいな。

このすべての意識の発現についてすらももとをただせば

すべて神様が多様化を欲したことに拠る!

つまりは、これらの苦しみは、

すべて神様の戯れのせいではないのかーーー!

 

そ・し・て。 

遊びを、せんとや、生まれけむ

戯れせんとや、生まれけむ

 

というフレーズが私の頭の中をこだまするのであります。

さらに、この分離を産んだのが…とか始めるともうだめで、

毎晩続くと体がもたないため、閑話休題のためにと新たに手に取ってしまった…

神々の科学―奇跡の瞬間 | 青山 圭秀 |本 | 通販 | Amazon

 

「そうか、それはいい。しかし、アルナーチャラにも行くようにしなさい。

「……!」

私はしばらく言葉が出なかった。

……

それは今、イタリア人の彼女たちが行こうとしているティルバンナマライのことである。サンスクリット語で「炎の山」という意味であり、山自体がシヴァ神のご神体と言われる。

……

突然、私の右手をグイと握るものがいた。驚く間もなく、手に何かを握らされる。相手の顔を見ようと思ったが、巨大な月光にかき消されたかのように全く見えなかった。…私がかろうじて見たものと言えば、オレンジ色の僧衣を身に着け、去っていく男の足だけだった。

 …

 

・・・ 

途中で止めることなどできなかった・・・。

 

それにしてもすごい運命ですね。。。 

「運命は緩く織り込まれている」

って、どこかに書いてあったのを、いま思い出しました。 

 

世の中には、すごいことが満ち満ちていて。

すばらしくって、面白くって、きっとこういう世界を

神様はつくって、見て、遊びたかったんじゃないでしょうか。

 だって、すごく、面白いでしょうきっと?

 

だから、精一杯、戯れながら、生きていくしかないんだな

などと

おもったりします。

 

今日は、元気だからかね。

おやすみなさい。