日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

モノローグ

深度と強度がほしい。今欲しいのはこの2つであります。

生きていると自分の薄っぺらさがわかるのでほとほと嫌になります。

更には自分の弱いところもわかりまくることがあった次第で

自他への入り込み方が弱くて浅い…

もっと深くがっつりといかないとと思いまして

だから、深さと強さはふたつでセットの望みであります。

男気(!)に関しては、同世代の男性には負けない自己評価を持つ私でありますが、

強い女になりたい。…(^^;

 

そのように感じた七夕の日です。

 

みなさん、星に願いをいたしましたか?

 

わたしは今日久々に日記帳を開きまして、日記を書きました。

以前、ブログを書いていなかった頃は頻繁に

ここにろくでもないことを書きまくっていたのですが、

ブログをはじめてから、時間的にどちらかしか無理!となり、

なかなか書かないでいました。

でも、この二つはどうやら機能が違うようですね。

 

「読んでくれる人がいる」ということから貰うエネルギーは素晴らしくて、

(例え何のフィードバックがなくても分かる。フィードバックはさらに嬉しい)

何てありがたい時代に生まれて

すごいツールを使っているんだろうと思います。

家族でも恋人でもないのに

自分の与太話を聞いてくれる人がいる、なんてね。

 

でも、同時に「日記」という独白的なツールの持つ力は

「溜め込んでいく力」なのかな…と思う。

すぐに、言わない。

すぐに、表現できない。

人には、言えないが自分の中にうずいている。

極めて不道徳。

極めて個人的。

間違っているかもしれない見解。

その他もろもろを、何だか知らないが記してしまうことでかろうじて

わかるものもある気がして、

それは自分の中に溜め込んで、あるときにちゃんと昇華できるように

温めるなり凍らすなりしておいた方がいいんだろうな、、、と思いました。

 

強くて深い女になるのに必要なもののひとつは、

溜め込みでありますよ、多分。

言わない方がいいことを、言わないでいられることとか

やらなくていいことをやらない力っていうか

育てていける力というか、でしょうか。

 

そんなこんな、です。が、

 

先日、私をヴリンダ―ヴァンに連れて行ってくれた先生が

体調不良から復帰されたということで、久々にお会いしに行ったのですが…

その際……

わぁ~っとヴリンダ―ヴァンが迫って来るのです。

あの光、あの風、あの甘さ、あの砂嵐、あのピンクの衣、あの気配……!

が、迫って来る。

ヴリンダ―ヴァンに呼ばれてると感じました。

 

もちろん、行ったことがあるから体感としてよみがえってきたのですが

でもそれは、とりもなおさず日々、

ヴリンダ―ヴァンを瞑想している人の近くにいたからに他なりません。

それほどまでに、想いを寄せるということはすごいんだと、感じました。

強い想いを持った人の近くにいるということも、すごいことだと感じました。

強い想いを持った人で居続けるということは、さらにすごいことだと感じました。 

 

その先生はいつも「いつ死ぬか分からない」と口癖みたいにいうのです。

ヴリンダ―ヴァンに居るグルも、御年70代後半で、

やっと出会えたひと(サット・グル)だという

そういう切実さのなかでヴリンダ―ヴァンを想い、生きてることを感じました。


わたしも、いつまで会えるかわからない人に、場所に、囲まれているな。
願わくば、想いを持った人に会いながら
自分もそのようになりたいと思う。
 
できない理由もやらない理由も、いくつでも見つかる。
 
 これからどうしようか?
 
決めればそう動くんだろうし、
そうしてきた、と思うのです。
 
う~ん、
日記にかけばよかったね(^^;