日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

ワタシノ・グレート・ジャーニー㉕ 誕生~北米編<完>

いつぞの記事の続きだ!!

という感じでございますが。

そして、ブログなんて書いている場合か!という声が

どこかから響いてまいりますが……

 

ずっと結論がかけずにおりました。

 

結論なんてつけてたまるか!

という気持ちもしたりしなかったりしており(*ノωノ)

でも……次回は最終回です!

な~んて言ってしまった手前、思案してました…

そういうときは、書くにまかせるに限る。

 

北米~ヨーロッパの家族を渡り歩き、

「もう家庭訪問は十分だ」と感じた私は、

突如、日本に近づく道を選びました。

 

フランスからアジア圏のマレーシアに入り、これからの国は

労働せずに旅をするほうがいいと

ローカル線で、扉の空いた列車に座りながら

マレーシア半島の先っぽまで行って、

そのままジャングルの中をコトコトと北上。

いくつかの場所で滞在して、宿の主人に

ジャングルを案内してもらうなどの謎の旅を続け、

国境を越えてタイに入り、

タイに入国するや否や、非常にすばらしいほどの倦怠感と高熱が出て

この旅で初めて病院に入りました。

 

マラリアか!感染症か!!

死ぬかもしれない(3度目だし)……

……と思っておりましたが

案の定、死なず、かわりに私は

「日本に帰ろう」

と決意します。

 

その後、バンコク付近で1週間程度過ごして

私は8か月間あまりの旅を終えて、日本に帰りました。

(税関で別室に連れていかれるなどのアクシデントはありつつ。)

 

最初、皆が日本語を話すことに頭がついていかず、クラクラしていました。

それから徐々に、また日本人として過ごすことになりましたが

大学に復学しても、もはや以前の自分とは全然違う感じになっていました。

 

何かが全然違う。

 

熱に浮かされたようにクリンギットインディアンになりたい私でもなく

社会的な階段をのぼっていこうという意欲に満ち溢れている私でもない

かといって、孤独に耽っている訳でもなく、

すばらしいマスターの居る洋食屋さんでアルバイトにはげみ

旅の間の自分への宿題として続けていた柔軟体操の延長で

ヨガの教室をみつけて再開し

授業に出、友達と集い、恋愛をしました。

でも、旅に出る前に抱えていた空虚感とは少し違うかたちの

ぽっかりと穴が開いたような気持がやってきました。

 

わたしはこのとき、

「外を探しても見つからないものがある」

ということを知ったのだと思います。

 

そして

旅を纏めるように、半年程かかって、図書館に通って、

戦後の新聞記事の身の上相談記事を時代ごとに読み漁り、

家族小説を読み、家族の変遷を追った卒業論文をかきました。

(読売新聞だけは、戦前からそういう記事をあつかってたんですね。

それが、時代ごとにほんとうに相談内容が違うのです)。

 

題して!!

 

『家族幻想から遠く離れて』

 

シュール。

 

発見もあったし、書きとめる熱意があっただけに評価されたものの、

そのときは、なんだか構成上、結論としては

イメージとしての「家族」は社会から与えられた幻想なんだから

時代がかわれば移ろいゆくはかないものである。

だから、ひとは家族という枠をこえて

直につながって生きないといけない気がする、

なんていうことを

いろいろと一生懸命にあれこれ書いたわけなんですが、

それはそれとしても…いま思うに、

体験としては、ちょっと違っていたのだと思う。

 

わたしがこの先、

家族をつくれるかどうかわからないのですが

でも、おおきな意味でも「家」という「場」には、

家長、、、お父さん、、、

もしくはそれに代わる存在がぜったいに必要で

それは、ビシッとその家という場を統べるひと。

たぶん、その背後により大きななにか…それは信仰かもしれないし

神様かもしれないし…を背負っているひと。だからこそ尊敬されるひと。

 

おかあさんは、頑張ってその家長ポジションにとって代わる必要はないし、

がんばってしまうと、何かが狂う。

そしてそれは、子どもに如実に影響する。

お母さんは、ニコニコと太陽のように笑わせていてあげたい。

 

というようなことを、

外国のたくさんの家に滞在した体験を通して、私は思っていたのです。

 

きっと昔の、ネイティブのひとたちは、

たとえば一つの「家族」という単位でそれが成立しなくても、

もっと大きな「共同体」というレベルでそれぞれの役割のひとが

いたんだろうなあ…と思うのです。

そして、それは常に霊的なもの、信仰に支えられてもいたのだと思う。

だから、おかあさんが孤独にがんばることもなく

家長がちょっとなあなあでも、なんとかなって、

だれもがいっときは、安心感を持って過ごせていたんじゃないでしょうか。

そういう大きい拠り所、みたいなものを、

わたしも無意識に欲していたのかもしれません。

 

 

もしも今後自分の人生で、「家族」をもつなんていう

ものすごいジャーニーがあるのであれば、

わたしは、家長と信仰を大事にしたいと思う。

そして、もうひとまわりおおきなつながりとともに

そこで生きてみたいなと思う。

 

…そして願わくば、

自分の家族関係のからまった糸がすこしずつほどけて、

やわらかくなればいいなと、そんな風に思うのです。

 

 旅を終えてから、大学を卒業し

それと同時に、なんだか別の道がはじまりました。

いまも何かの過渡期です。

またこういうのかけるのは10年後くらいかな…

まだまだ旅の途上です。