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日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

赤羽の想い出その2

第二話です。
H先輩はよく、
「ボクはもし一年間の休暇が取れたら、本格的に写真の勉強をしたい」
と言っていました。
現像も自分でやるほどの熱の入れようでした。
 
そしてあるとき、一冊の本を見せてもらいます。
それは、「土方巽」という人の生涯を色んな人に
インタビューをしたものをまとめた本で、私の会社からの出版でした。
「おーつくん、これはね、ツチカタじゃあないんだよ、ヒジカタっていうんだよ。
この表紙を撮った写真家がね~、いいんだよ。すごいだろ?」
と見せてくれる。
のちの私の踊りの師匠の師匠でした。

その頃。
営業の仕事にデータ管理が本格的に導入され
それまで「売上スリップ」で管理されていた本の売り上げも、
どんぶり勘定で万事OKだった出版物の出荷も返品も
全てがデータで数値化されはじめ、
在庫もシステム管理が徹底されはじめていました。
「営業」といえど、必然的にPCに貼りついている時間が長くなる。
 
わたしは奇しくもそういう、
本というきわめてアナログな情報源が、電子化され、管理され、
売れるものが残されていくようになる
出版業界のひとつの時代の終わりと始まりにいあわせていました。
 
しかしまだ当時、野球部上がりのバリバリの営業マンの活躍した最後の時期。
営業トップもそういう人たちでした。
「データがなんだ!」という
経験値と勘とコネをこよなく愛する人たちであり、
そして、わたしは総じてそういう人々にとてもかわいがってもらいました。
 
その一人がクマさんという60歳近いおじさんでした。
営業に出ると必ず巨大な大福やみたらし団子やたい焼きを買ってきてくれ
「食べろ!」という。それも、とても上等なやつです。
 
それが週に何回もあるので、
「これじゃあ、私が大福になるよな………」と思っていました。
 
でも私が売れない商品のフェアをやらないといけないときに泣きつくと
裏側のコネクションで「ほらよ!」とどこからか
たくさんの注文書を貰ってきてくれるのでした。
 
そんなクマさんの地元は赤羽。
 
クマさんは暇さえあれば昼から飲んでしまうほどののんべいであるらしい。
H先輩とは「赤羽仲間」だという。

「赤羽に来なさい、Hとね。来るんだよ、
田舎者がビックリするような美味しいところに
連れてってやるからな!ハハハ!!」
 
と豪快に笑う。
 
「クマさん!飲んで大丈夫?   ガンマGTP大丈夫?」
「お前そんなのどこで習った!?大丈夫、大丈夫~、
なんてったって、俺はよぉ、赤羽なら警察官だって友達なんだから!」
 
と訳の分からない力説をする。
 
「おーつくん。クマ先輩にはお世話になってるからねえ…
これは行かないとマズイでしょう」
とH先輩。
 
「そうですねえ…赤羽。行きましょうねえ・・・」
と私。
 
そうこうしているうちに、日程が決まった。
まず、「まるますや」という昼間から珍味とお酒が飲めるお店に行き
その後、クマさん愛用の高級寿司店に連れて行ってくれるという。
まわりからも、「何をいっても治外法権なクマさん」であったため
我々は昼間から、社用車で送ってもらい、赤羽に到着。
まだまだ日も高いころから飲み始めたのです。
 
その日は全く何をしゃべったのか記憶にないけれど、
私とH先輩は、あれを食え、これを飲め、という豪快なる接待にあい、
寿司の苦手だった私も美味しくて色々食べることができ、
この日を境に、寿司の苦手意識が消えたのです。
 
夜になって、クマさんはへべれけ。
先輩も真っ赤でふらふら。
私は、まずまずいい具合には酔っていました。
 
クマさんはぜんぶおごってくれたうえに、
赤羽からタクシーで帰りなさいという。 
「いやいや、大丈夫です!赤羽から高円寺までは
直通バスがあるんですよお~心配いりませんっ!」
と、ろれつが回らないクマさんをなんとかなだめ、お礼を言って
 送って行こうか?という足元のおぼつかないH先輩にも、
直通バスがありますからとお礼を言って、
 私はすこしだけ酔ったまま赤羽駅から高円寺行のバスに乗りました。
なんだかすごく時間がかかったけど、
とってもいい気持ちでした。

あれれ、まだ終われません!
明日に続く!