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日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑳ 誕生~北米編

こんばんは!

おおー!!二十話になりました!すごい!!

 

早速続きです。

 

ハイダ・グワイのリンダの家には、わたしとカナダ人の女の子など

何人かの滞在者・訪問者がいました。

そして、たくさんの動物や、植物や、風や、野菜があった。

雨の降らないときを狙って、雑草を抜き、耕し、収穫し、

売りに出すようにパックする。

ルーシーとチャスは「お話して~お話~」と

犬のようにまとわりつく。

 

暖炉であったまって、

夜はロウソクの明かりで手紙を書き、

朝は朝日で目覚めるという、原始的生活のなかで

私は、クイーン・シャーロットの空気に馴染みたくて

たくさん自然の中を歩きました。

 

ちなみにこのとき私の日本との連絡手段は、全部「手紙」。

メールもしない。

電話もしない。

だから、手紙が来たとしても、これを書いているときは存在していたけど

「今」生きているかどうかは、分からなかったとのちに言われました。

私が手紙を書いていたのは、大学の友人数名と、両親でした。

 

この旅は、わたしにとっては、クリンギット・インディアンに近づく旅、

であったはずなのに。

終わってからふと思い出すと、これは

「家族を知るための旅」だったんだと気づきました。

それほどに私の目線は、自然とともに、

そこで生きる「家族」もっというと「子どもと親」というものを追っていました。

 

リンダの家は、リンダがすごかった。

勇敢な戦場の女神のように、、、

畑をたがやし、

「オーガニックファーム」の火付け役として見学の人を集め、

ヨガをし、子供たちのお母さんをし、ジョンの妻をやっていた。

ご飯をつくり、畑仕事をし、それを対外的なビジネスにまでして

子どもはホーム・エデュケーションで育てる。

そういう、「力のこもった」家を営むリンダは、とても格好良かった。

 

ルーシーとチャスの天真爛漫さは破格のすばらしさだったものの

どこかで「学校に行っていない自分たちは

他の子に比べて劣っているのでは?」

という思考がつたわってきて、

そのことで年上のルーシーは神経質に、

そしてときとして、非常に卑屈になることがありました。

ルーシーにそう思わせる何かをリンダが発していることを、

私はひしひしと感じました。

 

そう、、、

クイーン・シャーロットのあと、

アラスカにほど近い「ユーコン州」に行くのですが

その超奥地の家族も、ホームエデュケーション。

そこでも同じような問題が起きていました。

「力の入ったおかあさん」と「敏感な子ども」の図。

 

……

どの家族も、みんなどこかで破たんしていたんです。

 

どんな家族も、たった二人の血のつながらない

男のひとと女の人からはじまっていること。

そんな不確かななかで営まれていること。

クイーン・シャーロットにやってきて、

いままで、なんとなく抱いていた「家族」というものへの見方が

少しずつ、ゆらぎはじめました。

 

つづく!