日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑱ 誕生~北米編

 何がうれしいって、声をほめられるのが一番うれしいです。

 

というのも。

大学を卒業した後、私は「声」の産婆さんに出合いました。

そのころ「自分の声は人に届かない」ということを密かに、相当悩んでいた私。

そんな折、演出家の、故、竹内敏晴さんと出会いました。

竹内さんのレッスンは、すさまじかった。

最初にふらっと行ってある演劇の訓練をしたときに、

「人間になれというゆさぶりだね」

と言われた私は、その意味がわかり、崩れ落ちそうになりながら山手線にのり、

その後一週間ほど頭の中で「ガーン」という音が鳴り響くほどショックをうけました。

というのも。自分が人間じゃないことがわかっていたからであります!

その忠告が比喩でないことも、よーくわかっていたからです。

そして、それを誰かに言ってほしかったのだと今になってみれば思います。

言ってもらって、幸いでありました。

 

以降、わたしは竹内さんの最晩年の一年間に運よくレッスンに通うことができたのですが、竹内さんは、声の産婆とよばれるほど、人の「声」にこだわり続けたヒトでした。

生まれつき難聴で、声が発せられなかったという障害からくる「声」というものに対する、なみなみならない取り組みをされた方です。

そのレッスンは、長時間の野口体操からはじまる、からだのレッスンでもあった。

そこでわたしは、「声」というのは、

そのひとの生きざまだということを思い知りました。

だから、今、気持ちが言葉になって、ちゃんと声としてでるときの喜びは計り知れないのです。これまた調子のいい時しか、全部は一致しないんですがね、、、 

なんでこんなことを書いたかと言うと。

 

今日はものすごく久しぶりに、鉄割アルバトロスケットというすばらしい集団のパフォーマンスをを見に行って、

俳優のたくさんの声を聴いたのと、

めちゃめちゃ笑ったおかげで、声がちゃんと出るようになったからでした。

いやあ、、、笑うって。

笑うって、やっぱりすごい解放なんですねーーー!

 

さてさてさて!

クイーン・シャーロット島というのは、現在は呼び名が変わって

ハイダ・グアイと呼ばれています。先住民ハイダ族がいた場所です。

風景は、こーんな感じ。

saiyu.co.jp

 

この湖面のスススっと波打つかんじを見るだけで

晴れ、雨、曇り、がいちにちのうちになんどもやってくる島の空気や

深い森、深い緑の湖、ひやっとしたエアー、美しい月夜の晩、

コールタールの塊のようなカワウソのファミリーや、クジラの影が

わたしのなかによみがえって泣きそうになります。

 

わたしはここで、ひじょーにショッキングな出来事にであうのです。

 

農家の長は、わたしを島までのせてきてくれたジョンの奥さん、リンダでした。

リンダは、モスグリーンのセーターのよく似合う、金髪のすごい美人。

ジョンは、機械整備工場ではたらいているといい、完全に尻に敷かれてた*1

 

なんでも、看護婦として南米に行って働こうと思っていたが、

想像と違ったのでやめて、かわりにオーガニックファームをはじめたという

かなりのバイタリティの持ち主。

そしてこの家は、完全なDIYであった。

水洗トイレまで自分でつくってあった!

電気がない。

日が落ちるとローソクの明かりのみ。

メールチェックなんてできやしない。

日の出とともに起き、日の出とともにローソクをともす。

ガスがないから、料理は、オーブンでする。

火は薪。

 

そして、ここにはふたりのとっても可愛い女の子がいました。

5歳と7歳。

彼らは、学校にいっていませんでした。

いわゆる、ホーム・スクール。

そして、彼らの行動は、当時のわたしにとって

おどろきもものきでありました、、、

 

つづく!!

*1:+_+