日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑥ 誕生~北米編

間があいてしまったー!

前回書いてから、

なんとも色んなことが巻き起こっておりました。

 

昨日は、地味~な事務作業を終え、

歩いたり走ったり自転車に乗ったり電車に乗ったりバスを待ったりしながら

都会のトライアスロンともいいたい時間と空間の使い方をして

シゴトで3人の方とお会いして帰宅。

一度眠って起きたところ。

おかしい。ゾクゾクする。

猛烈に身体が硬いし捻じれている。

肩が凝り、頭が死にそうに痛い

バイな~とおもいつつ、動けばなんとかなるかなと稽古場へ向かうも

悪化の一途をたどり、

トイレで吐きながら最初のマッサージを終える頃には、

「帰ってください」とのことで(あたりまえよね)帰宅。

そのまま着の身着のまま電気すら消せずに眠りました。

本日。

晴れて、

絶好調であります!!

 

いやー、なんだったんだろう、あれ……。

しかし体調が悪いと何もできないことを痛感いたしました。

愛だの神だの想いだのどーでもいいからまずここに布団持ってこい!

みたいなですね。

ははは…

この一週間は何だかとてもジェットコースターでしたから、

あらためて整理することとして。

 

そして今日。

わたしは思った。

 

踊るって、そういうことなのか、と。

ぜんぜん分かってなかった!

何かがしっくりきてなかったの、そういうことね!!

、、、、、た、た、た、楽しい。

なんてことを初めて思いました。

ほんとうに気づくのが遅いんですが、

ようやく自分の実感としても踊りの賭場口に立てた気がいたします……

 

ハイ。

前置きが長すぎました。

前回の続きです。

 

ジャーニーに入る前、私の暗黒時代パート1の話であります。

(パート2はあるのか、ないのか!?)

 

定期的にお医者さんに通う私。

暗黒な気持ちを吐露し続けます。

先生は本当に根気よく付き合ってくれました。

父は時間を割いて症状の研究をし、会社を休んで私を病院へ連れていき、

先生から「こう言ってあげたらいい」と言われていることばを私にかけてくれ、

母も、自分の過ちらしきことを懺悔したりしている。

 

母子ともども刻々とよくなる症状。

ただ、わたしには一抹の不安がありました。

それは、薬を飲んでいたからです。

今のこの気持ちは、ワタシの実力なんだろうか?

先生はこういいます。

「風邪をひいたら薬を飲むでしょう?

それと同じなんです。

しかも、これ、量は極めて少ないんだよ。

勝手に止めてはだめですよ」

 

自分では判断ができないから、

徐々に量が減っていくのを感じながら飲み続けました。

 

先生に、自の分ばかばかしさを吐露するのも尽きてきて、

映画を見続けるのも、散歩に行くのも飽きてきて

こだわっていたこともばかばかしくなり、

何か完全に解決しているわけではないことを感じながらも

気持ちは明るくなり、普通に生活をし、夜も眠れ、笑い、

学校にもちらほらと行き、適当に生活できるようになりました。

よかった、と思いました。

 

私は高校3年生になっていました。

 

そして、前の状態に戻らないためにも、万事、適当に処すことを意に決しました。

友達と学園祭で演奏してみたり、

友達の家に泊まったり、

適当に勉強してみたり、

ボーイフレンドを作ってみたり、

花火に行ったり

実にあっさりと、まずまず楽しそうに

そして、自分のほんとうの気持ちは奥にかかえたまま

ほんとうはまだまだ、渦巻いている納得いかなさに蓋をして

適当にやり過ごして高校生活は終盤。

 

出席日数が足りずに、いちばん嫌いな国語の担当に、

最後まで小作文を書いて持っていかなければならない日々にうんざりしつつ、

卒業します。

 

その後、東京の代々木にある予備校に通いながら

半年間、文字通り死に物狂いで勉強しなおして大学に合格します。

そのころには、医者も薬も自分で必要ないと、

全く摂らなくなっていました。

 

わたしは国立で一人暮らしをスタートさせます。

そして、計画をたてて、初夏、ある場所をひとり訪れました。

さて。

田舎娘の初旅でございます。