仕事探しの延長で
過去を思い出しがてら、とかで、軽い気持ちで書き始たものの…
これはジャーニーを総ざらいしなくてはならない気がしてきて
……いやしかし、
結構長く深い作業になる気が……(遠い目)
でも、何だか、やったほうがいいことのような気がして
次第に闘志がみなぎってきた、みたいになってます。
ですが同時に、
今日は、体調がイマイチでして。
いや~書いたところで、
私以外の一体誰が興味があるのか?
などという気持ちが顔を出してきました。
、、、心が疲れてるとムクムクとそういうのが湧いてきます。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作りだされる。
『法句経』と呼ばれるお釈迦様の初期経典の一つの「真理の言葉」冒頭が
これですよ。
ずばっとこれです。
書くことに気持ちのせて、心をいいほうにもっていくんだ!
実は、今やっている仕事のことも、毎日毎日、書き留めたいことが出てきて、
別のところに書いとめようと、思ってます。
まったくお金になんてならないことだらけですが…がんばろう……
みたいなね。
いやね、ほんとーに、ワタシ、いま、超地味な日々なのですが、
その実すっごく琴線に触れてくることが、たくさんあってね。
ある人達にひとりずつ向き合う時間というのを取れる機会をもらって、
初めての事なんだけど、すごいんですよね。
昨日なんか夜、思い出して号泣です。
さて。
グレートジャーニ―なのですが、まだ何も始まってないですね。
国立のドトール・コーヒーでクリンギット・インディアンに憧れていた
女子学生がいたという話です。
そして日がな本を読んでいたときに。
星野道夫さんの『旅をする木』の「トーテムポールを探して」の章に、
こんな文章を見つけてしまうんです。
ハクトウワシ、ワタリガラス、クジラ、ハイイログマ……トーテムポールに刻まれた不思議な模様は遠い彼らの祖先と伝説の記録である。が、それは後世まで残る石の文化ではなく、歳月の中で消えてゆく木の文化であった。
二十一世紀に入ろうとする現代に、どこかの森で、ひっそりと眠るように残る古いトーテムポールを見ることが出来ないだろうか。森の中に倒れていても、朽ち果てていていいから、彼らの神話の時代に生きたトーテムポールに触れてみたい。
***
二十一世紀に入ろうとする現代に、
どこかの森で、
ひっそりと眠るように残る
古いトーテムポールを見ることが出来ないだろうか。
ですと?
そして、トーテムポール、、、
この魅力的なカタカナの羅列。
***
…誰に聞いても一笑に付されてきた。…
昨年の夏、信じられぬ話が耳に入った。
アラスカとカナダの国境近くの海に、クィーン・シャーロット島という孤島がある。そこにむかしのトーテムポールがまだ残ているというのだ。
***
なんだって?!
…その日、クィーン・シャーロット島の海は荒れ、小さなゴムボートは木の葉のように揺れていた。多くの島々からなるクィーン・シャーロットは、どの島も水際まで深い森が押し寄せ、自然は、人々がトーテムポールと共に生きていた時代と何も変わってはいない。…多くのポールはすでに傾き、幾つかは地面に横たわっていた。苔むし、植物さえ生えるトーテムポールから、消えようとする模様が何かを語り掛けていた。クマの両手に抱かれた人間の子ども、クジラのひれの間から顔を出すカエル…やがて一本のポールの前に来て、ぼくは立ち尽くしてしまった。それは人を葬ったトーテムポールであることはあきらかだった。
……雨はすっかり上がり陽が差してきた。海辺の岩場に座ると、海面は夕暮れの陽光にキラキラと輝いていた。ぼくが腰かけた場所は、背もたれのあるとてもしわり心地のいい岩だった。その時、ほとんど確信に近い想像が満ちてきた。それは、遥かな昔、この岩に誰かが座り、こんあふうに夕暮れの海をみていたに違いにないということだった。
……
いつの間にか、森の中から別のオジロジカが現れ、トーテムポールの間をさまよっている。神話は突然息を吹き返し、この世界の創造主、ワタリガラスの苔むした顔がじっとぼくを見下ろしていた。
***
神話だ。
ぜったいここには何かが生きている!
行こう。
絶対、クィーン・シャーロット島に行こう!!
単純ですねーーーーーー。
こうして、わたしは国立のドトール・コーヒーのあたりで、
クィーン・シャーロット島に行くことをひそかに決意します。