読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

想いは重い件

身体の調子がおかしい。

昨日から心臓がほんとうに

心臓の形でもってどきどきしている

どきどきして心臓が痛い。

「救心」してほしい…

おまけに体に湿疹ができている…

手の皮膚がなんだかすれるように痛い……

おかしい……

一体、何が起こっているんだろう。

 

案外じつは繊細なワタシ。

 

 

行かなければいけないとわかっていながら、足が向かない。

いたわらないといけないとわかっているのに、近寄れない。

意識を向けるだけで、何とも言えず元気がなくなる。

 

いったい何なんだろう。

 登校拒否児童のようです。

 

いやしかし。

人のためになることっていうのはいったいどういうことなんだろう。

 

あるひとと話をしていて

「あのひとの痛みは、わたしの痛みです」

ううむ。

そうか。

思いやりだね。

 

でも。。。

 

わたしの元気はあなたの元気でもある。

あなたの元気はわたしの元気にもなる。

 

自分がどうしたいのか。

自分が元気になるのはどうしたらいいのか。

大事なのはそれじゃないのかな、、、

 

わたしに思いやりが欠けているんでしょうか?

調和はそんなに大事なんでしょうか。

調和するってことは、自分の元気レベルを下げて

場に同調することではないと思うから

だから

まあ、、、

調和大事ですが、、、

自分の事しか責任が持てないと思う私がいる。

 

 

「あなたがいないと何もできない」

なーんて言われ

わたしがいないと物事が動き出さない事態にも直面して

これは何かの力が働いているよなーー!と思う反面

想いが重い。

でも、このおもりが外れたからって、

天高く飛び上がれるわけではないこともわかる。

 

でも、

今わたしは自分の元気にしか責任が持てない。

朝、元気に起きられないと一日が進まない。

協調性のない人間と思います。

でも、情で動いて自分を抑えてはいけないことも学んだ。

 

どうしら自分と他人のその二つの輪がうまくかみ合って

動けるようになるのか? 

 

昨日、あるひとに言われました。

 

毎日を全力で生きることです。

そうしている人には、根源の存在でさえも手が出せない。

でも、全力で生きるってよく言われるけど

どういうことだと思う?

それどうやったらそれができる?

、、、

もう嫌だ、死んでしまいたい、死ぬってなった時に

はじめてほんとうの力が発揮されるんです。

だから、嫌だ、もう死ぬというところまでやってみる。

それらね。

「嫌」という感情を、よく見ることです。

、、、

感情ってなんだと思いますか?

――リアクションでしょうか?

そうです。

じゃ、なんのための?

ーー自分を守ること

守るだけ?

ーー攻撃も、、、

何を守るの?…そう、肉体でしょう?

 

形あるものはみ体を守るために反応するんです。単細胞の時からそうなんだよ。

だから、身体は本当に大事。

肉体を維持するのにいちばん必要なのは、

呼吸と、、、、食事ですね。

 

お釈迦様も苦行をして気づいたんです。

食べなければ、死ぬ。息をしなければ、死ぬ。

貪瞋痴にあるように肉体にとらわれてしまう。

肉体にとらわれないようにすることが、とても大事なんです。

健康

という文字を本当に考えたことありますか?

 

、、、ああ、なんか今日はわたしのエンゼツでおわっちゃった!

 

とその人は昨日はバツが悪そうだった。

 

でも、調子よく終わった時はこう言ってたね。

「わたしがいま一番言いたいことわかる?え、わかんないの?

 

 

自分のケツは自分でふけっ!てことだよ!

 

 

ううむ。

この人すごい人なんです。

どうすごいかって

全部「読ん」でしまうんです。

そして、徹底して自分で知りなさいという。

自分でわかるんだよ。できるんだよ。思い出せるんだ。

 

そして遥か先にいるのに、フツーに生きて、フツーに人と交わり

そして非凡に事を成す。

 

かっこよすぎる。

 

また、改めてかけたらと思いますが、

たまにその人がブラックホールに見えます。

 

 

協調性より調和より思いやりより、

まずけつをふけるようになることだと。

どうしても私もそっち派です。

それだってなかなか難しいんじゃないですか?