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日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

なにもしないこと。そして、奈良の断食療養所!

突然ですが。

何もしないこと、ってできますか?

 

わたしこれできなかったんです。

何かしてないと、気が済まない。

怠けてるって自分が許せない。というか認めたくない。

そしてそこには人からどう思われるか、

みたいな気持ちがくっついてくる。

 

でも。

 

でもでもでも!

 

去年の年末から年始にかけて一週間くらい。

あんまり大声ではいえないんですが

はい、わたし、ほぼほぼ、何にもしませんでした。

 

何もしないことができた。

  

去年の年末、ある人に

「何にもしないことをしてみたら?」

っていわれたのを実践したのです。

 

というつもりも実はそんなになくて、笑 

 多分言われた事が心に植わっていて、気づいたら、、、 

 

わたし

なんにもやりたくない。

有益なことなんか何一つやりたくない。

だいたい、有益なことってなんだよ、それ?

みたいになって。 

やるのは気持ちが向いたことと瞑想くらい。

 

そしてひたすら非生産的な自分は、、、、、

なんというかとてーも不思議に感動的でした。

 

つまり。身体が休まり、心のおしゃべりも少なくなって、楽になって、自分の身体の中にうごめく気持ちとか、緊張とか、感動とか、そういうものがなんとも直にくる。

 

そしてしばらくすると。

 

道端の木が愛しい。

朝日が愛しい。

前を歩く子供が愛しい。

花が笑ってる。

月が静か。

あのカップル仲いいねえ~。

木漏れ日が床に入ってくる!

このトタンの錆具合が最高なんじゃないの?

、、、なんてーことにいちいちボロボロ泣いている!

こんな感じがぱーっと自分から大きく広がっていく。

なんだこれは?

わたしって博愛主義者だったのか?

いや、これって単なる「あほう」ですよ。

 

阿呆万歳!

 

朝起きたら、生きてることが実にまぶしいんだよ!

 

 

少しずつ日々の義務が混じり始めてきたいまではありますが、そういう自分がいつになく頻繁に戻ってくる。気持ちを向ければ愛おしい気持ちが湧いてくる。

なかなかにはじめての体験です。 

 

そんなこんなしていた年始ですが、、、。

奈良にある断食療養所のHP翻訳を頼まれていたので、

そろそろ博愛モードから起動して仕上げなくちゃとパソコンに向かう、、、

 

おお……そうだった……

 

静養院――「それは何もしないという断食の考え方」

 

というコンセプトから始まる「何もしない」ということがなんで大事か?

という、、、

「何もしない」を極めてきた、断食療養所100年の歴史を懇切丁寧に説明した文章を、

かみしめながら翻訳するという。

 

こりゃー、天からの差配だね!

 

外からのストレスが何もないときにはじめて内から自然治癒力が恢復してくる。

そういうことなんですね。

 

自然に戻ると全部が愛おしくなるらしい。

体はゆるゆるに緩んでいます。

 

ちなみに、、、回し者ではありませんが、来年2018年に、なんと100周年をむかえる、日本最古の断食療養所。

3代にわたって経営され、生駒宝山寺のふもとにある療養所(道場ではないです)です。

 

とてーも古い建物ですが、ずっと断食を指導してきた「気配」がみち満ちていて、

シンと静謐で、なんというか、、、

守られているものがあります。

 

 

所長は優しくホスピタリティーがすーばらしい。

院長は古老の賢者。

初代をしりませんが、お医者さんだったらしいです。

 

朝晩、般若心境と静坐の辞という詩の音読の時間があるの。 

この、静坐の辞、、、。

全文暗記したんですが、著作権あるかもしれないので書きません。(笑)

いや、でも、一部ならいいか。

 

静かなること林のごとく

また疾きこと 風のごとし

常に実 而して また 常に虚

悠々たるかな 静坐

 

ってね!

 

所長曰く「これはー、人間の生きざまなんですね」。

これがほんとうに素敵なんだけど、最近はやり?のリゾート断食みたいな感じとはちょっと違うので、妙齢の女子たちにうけるかどうかはわかりません。

わたしにはどストレートです。

静坐の辞が夢にまででてきたもんね。

 

静養院はあらためて思い出すと、なにもしない、のだいご味が

詰まってました。