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日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

その2.全身で真っ赤になる桜の木のこと 

大人になってから、あるとき書いた文章がのこっていました。

ほんとに忘れられない小学校の想い出だったのです。

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誰でも自分なりのおまじないのかけ方や、気の落着け方のひとつやふたつ、持っているのだと思います。青春時代というか、小学生のとき。染色についての短文を教科書で読みました。桜色を糸に染めようと、花を煮て漬けこんでも赤くは染まらない。でも、花が咲くその直前の幹や枝を煮て媒染する、するととんでもなく美しい赤色が出るのだ、とある。なんてことだろう!つまりは桜の木にとっては、咲く前が勝負。全身で赤くなろう、と懸命になっている、という桜の気概(こんな興奮した記述ではありませんでした)。以来、生活圏に特別指定木を決め、拝み話しこみ、そばにすり寄っては元気を分けてもらう、という生真面目な信仰を始め今日にいたります。目に見えない世界が見える世界と隣り合わせにあること、染織家がそれをうつし取ったように、見えないものをあつかう仕事のあることのほうを意識したのは、ずっと後のことです。

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桜の文章を書いたのは、志村ふくみさんという人だったと、大人になってから知るのであった。人間国宝だよ!

 

該当の文章……

とーても美しくて、淡々としているのに、ふくみさんの興奮と、桜の木の気概が文章にうめこまれていたから、それを読んだわたしの記憶に、冊子にかいた文章みたいに、相当に盛った記憶として刻印されたみたいにのこったのだと思います。

 

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まだ折々粉雪の舞う小倉山の麓で桜を切っている老人に出会い、枝をいただいてかえりました。早速煮だして染めてみますと、ほんのりした樺桜のような桜色が染まりました。その後、桜、桜、と思いつめていましたが、桜はなかなか切る人がなく、たまたま9月の台風の頃でしたが、滋賀県の方で大木を切るからときき、喜び勇んででかけました。しかし、その時の桜は三月の桜と全然違って、匂い立つことはありませんでした。そのときはじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを。一年中、桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯めていたのです。知らずして、そのい日を私はいただいていたのです。それならば私は桜の花を、私の着物の中に咲かせずにはいられないと、その時、桜から教えられたのです。植物にはすべて周期がって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。(志村ふくみ『一色一生』Amazon CAPTCHA 

 

そして、この話にはだいぶ未来に後日談があるのです。