日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

恐怖はどこからくるのかな?そしてひとりのなんでもないただの女、という恩寵

ここ数日間、わたくしは

落ちに、落ちて。

マリアナ海溝付近を浮遊しておりました。

一晩を境にこんなに落ちることがあるのだろうか。

という……

毎日ブログを書いたのに、ひとつも上げられる文章が書けなかった

という…

 

どうしても身体に力が入らないので、

ちゃんと起き上がることが出来ないAM6:00

こんなときこそ、こんにゃく湿布から力を!!と

グツグツのお湯で煮たコンニャクを腎臓に当てていたら

安堵がやってきて、再度すこし眠りへと落ちた。

 

こんにゃく湿布はいいね。

こんにゃく湿布とびわの葉温灸はきっと日本の宝だね。

 

しかし、こんにゃく湿布をもってしても、真言をもってしても

この海峡では呼吸が浅くなっていく。

理由は何となくわかっているのですが。

 

それはずばり

恐怖

 

なのかな、と。

 

そうです。

ある日、朝、目を覚ましたら、いきなり鎮座ましまておられました。

 

このままでは・・・(生々しすぎるため想像におまかせします)!!!

 

というものでありました。

 

しかしね。

 

恐怖にかられて手に取った本を開くとその先に

「その恐怖を見よ」

と書かれてあるのです。

 

偶然手にしたほぼすべての本に

「その恐怖を見尽くせ」

と書かれてあるわけです。

 

手にした本はさまざまなジャンルでしたがそのどれにも意訳すれば

「恐怖万歳!」

と書かれてあるわけです。

 

そして、極めつけは、何気なく見たさかつめさんのブログに

現状を打破する道はただひとつ、自分が恐れていることをやることだ。 - いばや通信

というお話があった。

タイトルを見て、もんどりうちました・・・

 

普通に家があった当時は、どれだけお金を稼いでいたとしても「何かしらの事情で仕事がなくなったら、お金がなくなったら、自分は路頭に迷う羽目になってしまうかもしれない」という恐怖と不安が、常に頭の片隅にあった。しかし、実際にホームをレスするという体験を通じて「恐怖が現実になってしまった」私は、その体験を通じて「意外とどうにかなる」のだということを肌で覚えた。

 

わたしは「やってしまう」型の人間なので

心に響いた。

 

案ずるより産むが易し!!

 

しかし。

体験する前にこれはひとつ、

「恐怖」は、一体、どこから来るのかな~♪?

っていうことに一度、しっかり向き合わなければならない

とおもいました。

そうしなければ、このさき、どこかでまたいらっしゃると思うわけです。

 

このタイミングでこうなったのにもたぶん訳があって。

それは、ここ数週間くらい、踊りをあいまいな形で

つづけていたことに起因するような気がしています。

それでも週に2、3日は触れていたわけですが、

なんとなく、気持ちがそわそわして仕方がないわけです。 

 

実は、公演をおえて少ししてから

わたしは踊りたいのか?

という根本的な問いを日々、自分に問うていました。

今まで出してきた答えは

「踊り以外にやりたいことがまるでない」

というもので

しかし、これは、

「踊りたい」というもっともピュアな動機とは

微妙に異なるのではないか、と感じた私は戸惑いました。

 

そしてこの度晴れて認識した自分の状態としては。

わたしは今、がんばれません。

わたしは今、身体に力がはいりません。

わたしは今、やらねばらなぬことができません。

 

というものでした。 

 

所属するということは、

維持するためにたくさんの「やらねばならぬこと」が生じ

「声高にいわれる」ことと「言外に強要される」ことと

競争原理からのさまざまなよしなしごとがあって

さらに私が自分自身に課してしまうさまざまな呪縛ももろにあって。

 

会社はやめたが、まだ、

わたしはただのひとりの女になりきれていないんぢゃないか?

という不完全燃焼感がとてもありました。

せっかくこんな恩寵のような

「だれでもない」

時間を堪能できる環境を過ごしているのに。

小銭を稼いでいる場合か!とすらおもいました。(小銭は大事ですが。)

 

そんなこんなで、この半月ほど、どうやらあまり意識していなかったけれど

心と体がさまざまな紆余曲折を経験しておったようです。

身体の方が頭より賢いです。

でもほんとうは、わたしたちはいつ何時も誰であっても

まっさらな、ひとりのなんでもないただの女(男)

なんですよね。

いつしかそれを、忘れてしまうだけで。

 

昨日、身体から力が抜け、

重くてだるくて仕方なかった身体をひきずって

どうにかこうにか稽古場に行って、踊ったら、

汗だくだけど、何か蒸発して

変な思考が無くなって、変な想いもなくなって

とても内側が静かになっていき、くらげみたいな感じで

わたしは、海溝から、すこし上がったわけです。

 

踊りは、いいね。

 

踊りは、いいです。

 

むしゃくしゃしていた気持ちが一変して透き通ってきました。

 

少々さぼってたつけで、今日は筋肉痛が来ましたけど…

 

ただ。とにかく、一度全部まっさらにして。

義理も人情もこれまで過ごしてきた時間も経済問題も政治問題も

すべてを脇に置いて。

ただ、ただ、踊る、ということにもう一回立ち戻って。

そこから、もういっかい、自分で選べばいい、

結論は、それが心からそうであれば

なんでもかまわない。

と、おもいました。

自分にそれをゆるして、他人が何らかの形でそういう決断をしたならば

それもまたよし!とすればいい

と、おもいました。

 

まだ、身体に力がもどってくるまでにも、もう少しかかりそうですが

そしてまとまりは全くないが、一応、わけわかるかね?

しかし長いね…

 

まとめさせてくれたMに心からの感謝を込めて、、、!

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オリンピックにむけて@都庁

遊びをせんとや…

 

今日は、たくさんの時間、静かに、料理をしました。 

 

私は米はたいてい圧力鍋か土鍋で炊くのです!(早くておいしいから)が、

圧力鍋の蓋がとれなくなって一瞬焦りました…

 

そして、レーズンと長芋を買いに買い物に行ったはずなのに

一瞬、何を買いに来たのかわからなくなって立ち尽くしてしまいました…

その二件以外! 

非常に静かに、そして内心は熱く料理をして過ごしました。

 

いやしかし、ほんとうに、料理と言うのは、

鎮静作用があるな・・・

ゲージュツだなあ・・・・

それにしても和食ベースで地味だ・・・・

と思いながらも、鎮まった気持ちを持って、座りました。

涼しくて、とてもいい夜でした。

熱中症のお陰で、身体をやすませたこともあって、

何だか、内側がとても静かで、穏やかで、力に満ちています。

 

あ!こーれーはー、明らかに、

ヴァータが鎮まってきているのだな、フムフム。

 

うーん、、、またその話になってしまった ^^;

……ほぼ青山さんの本は読み終わったかなーと、気が抜けているときに

新たなる本を紹介頂いてしまったわけなのです。

題して…

「大いなる生命学ーアーユルヴェーダの真髄」 !!

 

この本は、他の紀行文とは一線を画しており、

専門的かつ、哲学的でありまして、それでもってめちゃめちゃ面白いのですね。

恐るべし、古代の叡智・・・という。

のっけからこんな感じなのです。

 

純粋意識(プルシャ)は、無形の姿で存在するだけではなく、

自らを表現したいと欲した。

 !!

プルシャ(純粋意識)とプラクリティ(根本原質)は

炎とその熱のように切り離して考えることができません。

!!!?

さて、このプルシャ、プラクリティと呼ばれる非具象の場から、どのようにして創造が行われたのでしょうか?

 

!!!!????

プルシャが自らに’覚醒’したとき、自らの知性に気づいた。この知性が具象のうちでもっとも原初の具象、マハト(普遍知性、理知)だ。

 

ぞくぞくぞくぞくぞくー!!!

 

純粋意識であるプルシャ、根本物質であるプラクリティ、そして普遍知性であるマハトには’区別’という概念がなかった。…それはちょうど、炎と熱、そしてその光が別々の概念であっても実際には分離できないのと同じだ。…しかし彼らはこのアハンカーラ(自我)の顕現により、はじめて個々の’形’をとった。……この非具象から創造の最初の脈動が起こったということは、すなわち、彼が自らの多様化を欲したということだ。普遍の存在が、なぜかさまざまな個性を持とうとした。……

多様化を欲することが存在の’本質’なのだとしか実際のところ言いようがない。

 

・・・ 

 

はぁ…すごい。

 

ちょっと端折ったのでわかりにくいと思いますが、、、

 

と、ゆーことは。と、ゆーことは。

私たちが悩み苦しみ妬み嫉み泣きわめき笑い喜び他人と自分を分け隔てどうして私はあの人のようになれないのだどうしてあの人は分かってくれないのだどうしてあの人はわたしのことを好きになってくれないのだどうしてわたしはこんなに無力で平凡でろくでなしであのひとはすべてを手に入れていて苦しい辛いもうだめだ……

みたいな。

このすべての意識の発現についてすらももとをただせば

すべて神様が多様化を欲したことに拠る!

つまりは、これらの苦しみは、

すべて神様の戯れのせいではないのかーーー!

 

そ・し・て。 

遊びを、せんとや、生まれけむ

戯れせんとや、生まれけむ

 

というフレーズが私の頭の中をこだまするのであります。

さらに、この分離を産んだのが…とか始めるともうだめで、

毎晩続くと体がもたないため、閑話休題のためにと新たに手に取ってしまった…

神々の科学―奇跡の瞬間 | 青山 圭秀 |本 | 通販 | Amazon

 

「そうか、それはいい。しかし、アルナーチャラにも行くようにしなさい。

「……!」

私はしばらく言葉が出なかった。

……

それは今、イタリア人の彼女たちが行こうとしているティルバンナマライのことである。サンスクリット語で「炎の山」という意味であり、山自体がシヴァ神のご神体と言われる。

……

突然、私の右手をグイと握るものがいた。驚く間もなく、手に何かを握らされる。相手の顔を見ようと思ったが、巨大な月光にかき消されたかのように全く見えなかった。…私がかろうじて見たものと言えば、オレンジ色の僧衣を身に着け、去っていく男の足だけだった。

 …

 

・・・ 

途中で止めることなどできなかった・・・。

 

それにしてもすごい運命ですね。。。 

「運命は緩く織り込まれている」

って、どこかに書いてあったのを、いま思い出しました。 

 

世の中には、すごいことが満ち満ちていて。

すばらしくって、面白くって、きっとこういう世界を

神様はつくって、見て、遊びたかったんじゃないでしょうか。

 だって、すごく、面白いでしょうきっと?

 

だから、精一杯、戯れながら、生きていくしかないんだな

などと

おもったりします。

 

今日は、元気だからかね。

おやすみなさい。

あなたを寝に行く

(昨日 熱中症らしき症状で…ダウンしてました^^;

 ご心配おかけした各位、すみません、復活しました)

 

あるとき朝日新聞にたまたま載っていた詩が

衝撃的が大きく

とっておいたのですが……

なんだか、今こそ読まれるべき詩、である!(力はいってます)

 

「私の詩には真実や本音が書いてある。

私は普通の農民。なにも隠す必要がない。詩が私にとっての自由」

 

中国版LINEで発信されて中国を席巻。瞬く間に全土に拡散。社会的ブーム。

を巻き起こしたというこの詩。

詩は、通り抜けていく言葉だ

と、踊りの師匠は言っていたけれど、

この大洪水のごとく迫り通り抜けていく言葉!

 

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「自分の真意に従って生活できなくても、真意に従って詩を書くことはできる。

人に見せるためでなく、自分のために書いている。」(余秀華)

瓜にかきたる稚児の顔

近江神宮のおとなりに、宇佐八幡宮という神社がありまして

源頼朝の5代前、頼義が、鳩たちにみちびかれてつくられたという

なんとも穏やかな神社で、すごく良かったです。

私的には、壮観な近江神宮もいいのですが、

こちらのほうが落ち着きました。

境内のよこのほうに、青い鳩の小さな置物が

これでもかというほど置かれていましたのは、そういう訳なのですね。

 

f:id:akikologue:20170716075547j:plain このようなそこそこ急な階段を上り…

 

f:id:akikologue:20170716074622j:plain 割と森の奥まったあたりに

可愛らしいお社が…

 

f:id:akikologue:20170716074710j:plain 見えた!

 

f:id:akikologue:20170716075340j:plain 鳩のつがいがおられました。

 
わたしは、神社仏閣にいることはとても好きですし、
日本にあっては、避難場所と言う感じ。落ち着きます。
 
このたび色んな話を聞いて「古事記」ちゃんと読みたいよ…と思いました。
ちゃんと読んだことまだないんですよ…恥ずかしながら(/ω\)

 

宇佐八幡にお参りした後、周辺の集落を散策しておると…

川の水がものすっごくきれいなせせらぎだったので、

喜び勇んで浴びシェーカしました!

浅かったからアレだけど、泳ぎたかった!!

 

さらに奥のほうに行くと、川は渡れず行き止まりになっていて

丘に掘っ立て小屋とつながれた犬がおりました。

こざっぱりしたおじいさんが物珍しそうにこちらを見ているので

「そこでなにをしているのですか?」

(…そっちが聞きたいセリフをこちらが言う戦術。)

と聞いたところ

「え?…あぁ、まあ、ルンペンしてますねん」

「あ!そうなんですか!すいませんね、迷いこんじゃって」

「どこから来たん?あっちのほうか?」

「(あっちってどっちだ…(^^;)いえ…あの、近江神宮の勧学館です」

「そんな遠い所から。危ないで、女性がこんなとこ歩いてたら」

「あ、朝でも危ないですか。夜は危ないと思うけど」

「時間関係ないわ」

「そうですか。それじゃ、いきますわ」

「(無言でうなずく)・・・あ、ちょっと待ち!」

Σ(・ω・ノ)ノ!(…ちょっと怖くなってきている私)

「(なにやらゴソゴソと何かを取ってきている)…これ持って行きなさい」

とおっしゃり、ものすごい生きのいい

ゴーヤのようなとげとげのあるキュウリを5,6本くださいました。

たいへん紳士的なルンペンのおじいさんでした。

…持って帰ったら一同爆笑でしたがね。

塩もみしたらとても美味しかったですよ。

 

そんな帰り道のガード下、、、

(゚Д゚;)

恐怖の血塗りの呪いのことばが……!!!

 

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・・・「アイツの車が速い」

って、アンタ。

 

もうすこし頑張んなさいよ。

 

最後になりましたが!

 

ウチのトゥラシーちゃん!!

種を植えていて…もうだめかと思っていたら

一斉に、ふたばだ!!!

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種が芽吹くときは、神のみぞ知るんですね?

月を呼んでごらん?近江にて。

 

2泊3日(車中泊入れると3泊)で近江神宮行ってきました。

ちはやふるの舞台であります。

 

渋滞に巻き込まれまして、約9時間かけて帰ってきましたよ。

ふー・・・

新宿駅に降り立ったところ、

力が抜けすぎて、もうなんにもできない状態になっておりました。

今日は、PCのまえに、座ることがかろうじてできます。

社会的に機能できるまでには、あと1日はかかると思います。

悪しからず!

 

2015年の冬のこと。

 

わたしは『ヨブ記』という文庫本を隣町の図書館から借りていました。

この頃、人生の暗黒期その2を必死で生きていたわたしは、

必然的に重い本ばかり読んでいました。

ですが、この本はなかなか読み進まず

10ページくらいしか読まないまま期限がきてしまった。

仕方がないので、返却BOXに投函すると、翌朝、

司書の方から、電話がかかってきた。

 

「だめですよ、こんなに濡れていたら、もうお貸出できません!

こちらの本、お戻し致しますからご自分で確認なさってください。

そして、新しい本を持ってきていただけますか?」

 
(´゚д゚`)
べ、弁償!?
 
え、私…いつ濡らしてしまったんだろう……

ううむ。

花瓶を倒したり、コーヒーをこぼしたり、洗濯してしまったり

わが身をたたけば、埃はたくさんでてきますので、

絶対やってませんという自信がない。

新宿紀伊国屋書店へ赴き、しぶしぶ新しいヨブ記を買いました。

 

と、その棚の傍に面陳してある緑色の本に目が釘付けになってしまった。

なんなんだろう この対話本、、、

 
なんだか気になるが、タイトルを横目で見ながら、
「んなこたー分かってるんですよ!
それができりゃあ苦労しませんよあんた!」

と一人でツッコミを入れる。

そして、それをぱらぱらめくったところ、 

 

なんだ…これ?

お、お、お、面白~い、、、

まるでこれを買いにきたかのように

レジにもっていってしまってる自分がいた。

まあ、1000円ちょっとの話であるし。

 

が。

 

がーー!!!

 

帰ってCDを聞いたところ……

 

植原さんの声がはじまると、もう身体がぐわんぐわんと動く。

描写しようがないのだけど、宇宙、というようなものが

たったひとり、の自分を選んで、魂として入ってくるようなイメージが起き

ひとり、というのは、孤独とか、淋しいとかいう「ひとり」ではなくて

ただただ個である自分があるというような感じが湧き上がってきて

そんでもってものすごい涙が出てきた。

 

そして、以後熱を出して2日間寝込みました。

 

これは、思い込みの激しい私個人の体験なので

他の人は全然違うことを感じるとは思うのですが、

個人的にはすごい体験すぎて、よくわからず迷った末にそれがなにか確かめるべく、

その年の暮れの天皇誕生日の休日に

植原先生の「るん・る」に参加。

 (ルンはチベット語で風です。)

 

本が出たばかりだったらしく、

会場にはものすごい数の人Σ(・ω・ノ)ノ!がいましてビビりました。

はじまるやいなや、会場の密度がものすごく濃くなっていくのがわかった。
 
風が渦を巻いて起きてきた。
で、そのあと。
 
コテンと寝てしまいました(^◇^)
 
終わった後、よく来ている風の女性に
「毎回こんな数の人来るんですか?」ときいてみたところ
 
「いや~、本がでちゃったからね
でも、まあ、こういうのは一過性のモノぢゃないかな~」
とおっしゃる。 (それは、事実だった)
 
わたしがこのブログでよく、
高崎の師匠とか、読むことの師匠とか(勝手に)言っているのは
植原先生のことなのですが、
それから、月に1度行こうと自分で決めて
るんるに通うようになりました。
 
とは言っても、月に一度。
しかも、毎度毎度、そんな神秘的なことが起きるわけではなく、
むしろ物理的に身体が緩むことによる反応がおきまくり
ものすごくしんどい時期が続きました。
 
知り合いもいませんで、
当時は誰かと仲良くなる気もさらさらなく(すみません)
無言で行き、しんどさに身もだえながら一定時間をへて
重い身体をひきずってとぼとぼとうつむいて無言で帰る。
(だってそれ以外の何ができよう?)
というようなことを繰り返し到達した昨年の同時期
 
踊りの稽古を終えて、夜行バスに乗って翌朝、着き、
るん・るを受けました。
そのときに、るん・るはすごかったのです…
シーンとして、波一つない誰の呼吸も止まっているのではないかと思えるほどの
静寂。
 
2日間を終えて東京に戻り、
翌日会社に行った私は、はっとこう思います。
 
「会社やめよう」
 
その翌日、お弁当箱をあらっている上司をつかまえて
「やめます」
と言いました。
 
辞めた後から、体の中に響くるん・るが
全然異なってきました。
 
今回も…地球上にはすごい「仕事」をする人がいるんだと
ほんとうに、ほんとうに、身に染みました。
 
あたしは思うんですけどね。
ほんっとーにすごい人は、ほんっとーにすごい人ぶらないですよね。
ほんっとーにエライ人は、ほんっとーにエライ人ぶらないですよね。
ほんとーにフツーに生きてはりますよ。(なぜか京都弁ですが)
 エラソーな人でホントにエラかったヒトって
正直ひとりもいらっしゃらなかったです。
 ・・・あたしはほんとにそう思いますよ。
 
まあ、それで。
 
先生「知ってる?月にね『来い!』って呼ぶじゃん。」
 
私「はい」
 
先生「そうすると、来るんだよ」
 
私「え!?」
 
先生「ホラ・・・」(ガラケーの写真を開く)
   「これが、最初の月。」
 
私「はい」
 
先生「それで『来い!』って呼んだあとの月がこれ。」
 
私「うおーーー来てるっ!来てる!!!3歩くらい近づいてる!!!」
 
先生「来るんだよ」
 
私「来ますね」
 
という会話は出来るくらいになりました(爆) 
 
みなさんとも、会話が出来るようにもなりました。
 
東京に戻ってきたわたしは、
はてさて、これからどこへ行くのだろう。
 

never ending journey

早朝仕事の期間を今日で終えました。


文字通りの力試しにくわえ早起き試しでしたが、
ちょっときつかったです…( ;∀;)
が、よく頑張りました。
ちょっとやそっとではへこたれないぞ!!

そして本日はその足で、東京国立博物館へガイド。

ん?
東京国立博物館…?
タイ仏教美術の展示?

Σ( ̄ロ ̄lll)

こ…これは…

試されている。



奇しくも本日、とあるブログを拝読していた私、、、
https://ameblo.jp/ganeshagiri/entry-12292346654.html



シヴァ神がわたくしを試されている!


「仏像を見分ける力がお主にあるのかのう!?」と……


こ、怖い……


・・・ととっさに思いました。





と。


そんなことはなく。


今日は、常設の埴輪とか、琉球の髪飾りとか、勾玉とか、能面とか仏教美術とか、そのようなものを観て帰りました^^;

また、足に障害のある子の学校行事のガイドだったため、 
つまづかないか、よろけて倒れないかひやひやして展覧会どころではなかった………( ̄▽ ̄;)


くだらないお話で恐縮いたします。


さあて。
これからわたくしは、
Coccoのライブに行ってまいるのです。


                   ☆☆☆


Coccoのライブに行ってきました……


とてつもなかったです。


一体何を見ているんだ……と思いました。


なぜか私が唯一持ってない <手の鳴るほうへ> という曲があるのですが、

その曲始まった辺りで’それ’が来た。

たしかに、それとしか言い様のない'それ'がドカンと。


武道館全体が、彼女の息づかいに合わせて、細かく生き物のように動く。うねる。


わたしは放心状態になってしまい、

一緒にいたひとが案じたらしく

「魂がでかかってるよ」とゆりうごしてくれたため、戻ってこれた感じです


というか、、、

……Sさん、あんな素晴らしすぎる席を与えてくださり、ありがとうございます!!!!て、読んでないと思うけど^^;



自分の歌に、人を治したり救ったりする力があると、愚かしくも思ったときがあった

しかし、歌では山は動かせず人は救えないことがわかった

それでも、救われたという手紙がしこたま来るが

それはわたしの力ではなく、うけとるほうに力があるからだということが

わかった


「だから、コウ(Coccoは自分のことをこう呼ぶ)

は他力本願!みなさんは自業自得!!あれ、使い方違うかね~」


さすがは琉球芝居の大御所の孫。定評あるトークにもさらに磨きがかかっていた……


                     ・・・


最後の締めの「有終の美」という歌の節回しは、裏声も完全に琉球の節回しになっており、CDで聴くのと全然異なる印象で、ああ、琉球のお姫様なんだ、でもって唄者(ウタシャ)なんだなとおもいました……


ありとあらゆるものが、いまここで彼女に加勢し、

神は喜ぶ


そのさまを目撃して、

この瞬間は一瞬だが永遠でもあると思ってしまった。


それから、神様だけじゃないよね、いろいろ、聴きに来ていたと、おもい……


どんなにピタリと寄りそったところで、何かとひとつになった気はなかなかしないものだけど、

反面、こんなにすばらしいかたちで交歓は起きる。


そうだ、想いは時空を越える!


綺麗事上等!!


よおし!

勢い余って携帯で更新しちゃうよお~!!


ちょっと遠出をしてまいります!


いま何時・・・?

本日、雨上がりの陽が沈む間際

洗濯物を取り込もうとシャーっとカーテンを開けると

すごいことになっておりました!!

これは見逃してなるものかと、

ダッシュで屋上によじ登りました(よじ登らないといけないため)。

 

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・・・写真だと、微妙なところが映らないですね… 

すんごくきれいなグラデーションだったのですけどね…

見せたかった……

 

高い建物をたててはいけないよ条例のため、

比較的眺望のよい殺風景なこの屋上が私は大好きで、

陽が完全に沈むまで、大の字で空をみていました。

そうすると…昨日ある人と話したことなどが胸に去来して

これまたボロボロ泣けてきます訳です。

・・・いつから私はこのように涙もろくなったのだろうか(^^;

歳かね。

すこし瞑想して部屋に戻りました。 

 

はてさて、そんな私は

非常に沈鬱な1/4月間を過ごしておりました( ;∀;)

なにを隠そう私の場合、

生理前、2日前からの眠気・倦怠感がそれはもう半端なく出ます。

もうそのときは、どんな素晴らしいことを前にしても!!

 

布団があったら寝る。

 

布団がない場合は・・・

今欲しいものは布団だけです他には何もいりません神様、と祈る。

 

そして晴れて布団との邂逅を果たした暁には・・・・

 

コテン

 

です。

コテン。

 

だいたい、自分の場合は

一週間前くらいから、むくみ・倦怠感などの兆候が出始め、

始まれば1、2日程度で嘘のように引いていくので生理痛などはないのですが…

いつまで経っても慣れることのない、月のサイクルです。

 

以前は「コテン」と寝てしまう自分を心の奥の方でいみ嫌ってたし

生理の話題なんて絶対ださねーしと思ってましたが、

そういうのは無くなってきましたし

何というか、まなざしが変わりました。

 

でも、考えてみれば、すごいですよね、文字通りの「コテン」だよ。

この上なく素直なリアクションを褒めたいと思いますよ(´艸`*)

 

しかしそのコテンが10時間以上も続いたうえに、

下手するとコテンじゃなくて、ダウンだったりすることがあるわけで

それだけ、体力を消耗することでもあるのだと思うのと同時に

ああもう少し、規則正しく生活しようと思うのですよね。

 

そういえば先日、アーユルヴェーダの専門の方が…

<ヴァータ>が乱れている人が非常に多いということをおっしゃってました。

ヴァータは風の要素です。

 (アーユルヴェーダでは身体に働きかける

火・風・水のエネルギーを「ドーシャ」と言い、

これらの「ドーシャ」がバランスの取れている状態が、健康状態とする)

 

そして、ヴァータは

「規則性を与えるとすぐに沈静化する」ものらしいのです。

ここで私は「オー!」となりました。

要するに、規則正しい生活をすると、ヴァータの乱れが下がり、

その結果としてもともと個人が持っている

ピッタ(火)もしくは、カファ(水)の要素が現れ始め、

バランスが良くなってくる、というのです。

 

私はインドで脈診してもらったところ、ピッタ・ヴァータ体質らしいのですが、

ピッタの部分が全然見えなくなってる昨今だったので、

ヴァータにもう少し下がってもらおう!

 

ちなみに、10時~2時はピッタの時間です。

この時間に何か新しいことをはじめてしまうと(私はほんとにそうですが)

集中してしまって2時まで眠れません!

 

書きたいことはあふれだしていますが、

これから部屋の整理をして、明日に備えたいと思ってます。

 

だって明日は、、、ムフフ…( *´艸`)