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日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

赤羽の想い出その2

第二話です。
H先輩はよく、
「ボクはもし一年間の休暇が取れたら、本格的に写真の勉強をしたい」
と言っていました。
現像も自分でやるほどの熱の入れようでした。
 
そしてあるとき、一冊の本を見せてもらいます。
それは、「土方巽」という人の生涯を色んな人に
インタビューをしたものをまとめた本で、私の会社からの出版でした。
「おーつくん、これはね、ツチカタじゃあないんだよ、ヒジカタっていうんだよ。
この表紙を撮った写真家がね~、いいんだよ。すごいだろ?」
と見せてくれる。
のちの私の踊りの師匠の師匠でした。

その頃。
営業の仕事にデータ管理が本格的に導入され
それまで「売上スリップ」で管理されていた本の売り上げも、
どんぶり勘定で万事OKだった出版物の出荷も返品も
全てがデータで数値化されはじめ、
在庫もシステム管理が徹底されはじめていました。
「営業」といえど、必然的にPCに貼りついている時間が長くなる。
 
わたしは奇しくもそういう、
本というきわめてアナログな情報源が、電子化され、管理され、
売れるものが残されていくようになる
出版業界のひとつの時代の終わりと始まりにいあわせていました。
 
しかしまだ当時、野球部上がりのバリバリの営業マンの活躍した最後の時期。
営業トップもそういう人たちでした。
「データがなんだ!」という
経験値と勘とコネをこよなく愛する人たちであり、
そして、わたしは総じてそういう人々にとてもかわいがってもらいました。
 
その一人がクマさんという60歳近いおじさんでした。
営業に出ると必ず巨大な大福やみたらし団子やたい焼きを買ってきてくれ
「食べろ!」という。それも、とても上等なやつです。
 
それが週に何回もあるので、
「これじゃあ、私が大福になるよな………」と思っていました。
 
でも私が売れない商品のフェアをやらないといけないときに泣きつくと
裏側のコネクションで「ほらよ!」とどこからか
たくさんの注文書を貰ってきてくれるのでした。
 
そんなクマさんの地元は赤羽。
 
クマさんは暇さえあれば昼から飲んでしまうほどののんべいであるらしい。
H先輩とは「赤羽仲間」だという。

「赤羽に来なさい、Hとね。来るんだよ、
田舎者がビックリするような美味しいところに
連れてってやるからな!ハハハ!!」
 
と豪快に笑う。
 
「クマさん!飲んで大丈夫?   ガンマGTP大丈夫?」
「お前そんなのどこで習った!?大丈夫、大丈夫~、
なんてったって、俺はよぉ、赤羽なら警察官だって友達なんだから!」
 
と訳の分からない力説をする。
 
「おーつくん。クマ先輩にはお世話になってるからねえ…
これは行かないとマズイでしょう」
とH先輩。
 
「そうですねえ…赤羽。行きましょうねえ・・・」
と私。
 
そうこうしているうちに、日程が決まった。
まず、「まるますや」という昼間から珍味とお酒が飲めるお店に行き
その後、クマさん愛用の高級寿司店に連れて行ってくれるという。
まわりからも、「何をいっても治外法権なクマさん」であったため
我々は昼間から、社用車で送ってもらい、赤羽に到着。
まだまだ日も高いころから飲み始めたのです。
 
その日は全く何をしゃべったのか記憶にないけれど、
私とH先輩は、あれを食え、これを飲め、という豪快なる接待にあい、
寿司の苦手だった私も美味しくて色々食べることができ、
この日を境に、寿司の苦手意識が消えたのです。
 
夜になって、クマさんはへべれけ。
先輩も真っ赤でふらふら。
私は、まずまずいい具合には酔っていました。
 
クマさんはぜんぶおごってくれたうえに、
赤羽からタクシーで帰りなさいという。 
「いやいや、大丈夫です!赤羽から高円寺までは
直通バスがあるんですよお~心配いりませんっ!」
と、ろれつが回らないクマさんをなんとかなだめ、お礼を言って
 送って行こうか?という足元のおぼつかないH先輩にも、
直通バスがありますからとお礼を言って、
 私はすこしだけ酔ったまま赤羽駅から高円寺行のバスに乗りました。
なんだかすごく時間がかかったけど、
とってもいい気持ちでした。

あれれ、まだ終われません!
明日に続く!

赤羽の想い出その1

今日。

赤羽駅を通りながらなぜか

書かずにはいられなくなってしまったので……

書きたいと思います。

 

H先輩の事。

 

私が昨年まで働いていた会社の先輩です。

文章扱う仕事なら私もできるかもしれない…

と思って入った会社でした。新入社員は4人。

「新人の半分は営業」という暗黙の流れで、

私が営業部の書籍営業、もう一人の男の子が雑誌の営業、

あとの2人が編集部という具合に配属されました。

(編集部に配属された二人はのち結婚しました!)

 

新人が少ない分、対応は至れり尽くせりでした。

入社前の顔合わせでは、強面で指にごつい宝石の指輪をした、

ガタイのいいおじさん方がズラーーーっと並び

「らっしゃーい!」というような感じで、出迎えてくれました。

(あとで聞くところによりと、

〇〇高校野球部卒というコネクション入社時代があったらしく

その方々は甲子園に出るほどの強豪の野球部で過ごされた人だったようです。

営業一筋、人徳と目力とコネで仕事を取ってくるという人々)

 

 

さらに会社に入る前に「先輩方との親睦会」なるものが

渋谷の某飲み屋で催され、

私はそこで一人の鋭利な目つきの、小柄でメガネでビシっとスーツを着た

Hさんという男の先輩から質問攻めにあいました。

当時私がよく読んでいた本や著者やその周辺のことについて

あんまりにも、ああだこうだと議論をふっかけてくるものだから

「……この人とは絶対仲良くなれないような気がする。」

と思いながら別れました。

 

それが、私とH先輩の出会いでした。

 

私が配属された書籍課は、

一年先に入った超美人で仕事の早い女の先輩Cさん、

(同い年だったこともあり、のちになんでも話せる仲になります)と、

頼りなげながら人徳のあるバブル入社世代のKさん、

そして猛烈に弁の立つ、社内でも一番出世の早かった担当部長のTさん。

 

そして、ワタシの教育係として、H先輩が任命されていました。

あとで思い返すと後にも先にも、

こんなにいいメンバーでチームを組めることは最後までありませんでした。

 

でも「仲良くなれなそう」というラベルを張りつつあったH先輩をまえに

「…大丈夫かな、、、」

と思っていた私。

そんな私をよそに、

「おーつくん、よろしくね」

ニコニコしているH先輩。

 

 

その日から、わたしはH先輩の横に座り

電話の取り方からはじまって、取次への書籍の搬入の仕方、

車での営業ルート、営業の方法、

フェア商品の扱い方、注文書の作り方、

イベントの裏方、地方出張などなどについて

Hさんに教わることになりました。

 

部署的に、男性が8割だったので

若い女の子(しかも入社歴の浅い)二人を抱えたことがなく

若干扱いに途方に暮れている担当部長Tさんを

がっつりサポートしているのも、H先輩でした。

年は私より3歳上でした。

 

その実、H先輩は、頭の回転がものすごくいい人でした。

なんてったってKO大学法学部の院卒のぼっちゃんです。

でも、高学歴にありがちな嫌味が全くなく

どころか、それすらネタに出来るような

「自分をさらけ出す」ということを恐れない人で

野球部出身陣からも可愛がられ、外回りのおばさまがたにも可愛がられ

他の版元からも慕われ、

上司の信頼も篤い。

ほんとうにデキる人でした。

 

 

そして、私はというと…

だまっていればマトモに見えるが

どうしようもない田舎娘で世間知らず。

ということがわかるにつれ、

気をつかいつつ、可愛がってくれるようになりました。

どうやら、H先輩があのときに私を質問攻めにしたのは

どうやって会話していいか分からなかったからなんだなーと

分かるようになりました。

 

 

会社の裏にある「あばら屋」という立ち飲み屋によくついかれ

「おーつくん、ここのハムカツは最高だよ、食いなさい」と

上機嫌ですすめてくる。

先輩はお酒を飲むとすぐ真っ赤になって酔っぱらうので、

当時ザルのようにお酒を飲めた私は全然酔えずに

酔っぱらった先輩の痴話話や営業話や噂話を聞いている。

それは、案外いやではありませんでした。

 

 

担当部長のTさんも、Kさんも

すごくお酒の好きな人たちだったので

皆に誘われて、度々飲みに行きました。

ものすごい孤独癖のあった私を

よく見捨てずに誘ってくれたなと思います。

それぞれが得意とする飲み屋があって、面白かった!

 

H先輩は、芸術に造詣が深く、

自分もかつてバンドを組み、クラシックを聴き、写真を撮り、

本をよく読んでいた。

自分もほんとうはアーティストになりたい、

そういう想いを持っているけれど、どこかで

「自分はもうむずかしいだろうな」というジレンマを抱えていることが

私には伝わってきました。

 

 

写真学校に通って居られて、写真に情熱を燃やしていました。

そしてある日。

「おーつくん、モデルになってくれ」といい出した。

最初は断っていたのですが、あまりに何度もお願いされるのでOKすると、

それを聞いていた担当部長のTさんが

「H~よかったな~おまえ受け入れられたな~」

というので、

「そうか……私はまだどこかで、拒絶しているふうだったのか」

と知りました。(本当に孤独癖が強かったためだと思います)

 

「朝の光がいいんだよ…」ということで、

早朝の電車で井の頭公園に行くことになりました。

しかし。

待てど暮らせど待ち合わせの時間に来ない。

どうしたんだろう…といぶかしく思っていると

「ごめんごめん、寝坊した」

と悪びれずバスから降りてくる先輩が来ました。

 

先輩は、鳩ケ谷に住んでいて、私は当時高円寺に住んでいました。

鳩ケ谷からは赤羽に近く

赤羽から高円寺までは、直通のバスがあるのです。

 

「もう~朝日がいいんじゃないんですか?

もう昼近いですよ?どうします?」

「いやいや、行こうよ。アイスクリームおごるからさ~」

・・・ほんとにこの人の屈託のなさってすごいな、と思いました。

 

そして、昼近くなって井の頭公園の動物園に行き、象をみて、

林の中を歩きながら、

先輩は何度もシャッターを切りました。

正直、ものすごくテレました。

なんだかとっても恥ずかしい…

そう思いながらもなんとか撮り終えて、

アイスクリームをおごってもらい、二人で食べる。

なんだかデートをしてるみたいで、

気まずく思われ、その日は早々に別れました。

 

そして、その何日か後には引き伸ばされた写真を会社にいっぱい持ってきて、

うれしそうに先輩は私にその束を渡してくれ

「ホラーー、これなんかいいんじゃないの?」

ニコニコしながら、カタツムリを手に乗せている写真を見せてくれました。

それは、誰に見せてもいいねと言われるような、とってもいい写真でした。

でも、その他の写真を見て

「あー私、寂しい顔してるわ」

と思いました。

どれをとってもまるで寂しい。

そういう悶々とした時期を、わたしは会社で過ごしていました。

 

 

一回で書き切れなかった!

すぐにつづきを書きます!

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー㉔ 誕生~北米編

踊りの感覚がやっと戻ってきた…

「気持ちがやっと戻って来たじゃないの」

とさらっと解る師匠の読みというか…感覚というか…すごいわ。


それにしても、調子がずっと悪かったので怖かった……。

まだ先だから怖さは残るけど、、、でも

許されていると感じているときに人は深いところまで降りていける。

そう思いました。

そして。

生まれてきた以上、みんな生きることは許されている。

だけども。

それを感じ続けるためには日々なにかしらで曇ってきてしまう窓(心)を

自分で拭くようにしないといけない……

とも思いました。

人生は一生お掃除の言葉が思い出されました。

 

そうそう!

 

死にそうになった話でした。

 

イギリスで

自転車ごと吹き飛んだ話です。

 

つづきです!

 

そうです。

猛スピードで下っていた坂の前方にあった穴に自転車の前輪が嵌った瞬間、

わたしは、死ぬな…と思った。

と、同時に、わたしの頭は超高速で考えていました。

右に倒れたら、このハイウェイのような速度の車に轢かれて粉々になる。

左に倒れたら、ガードレールに全身を打ちつける。

どっちがマシかしら?

どっちもヤだ!!!

けど、でも、

ガードレールのほうがまだマシ、多分!!!

と思い、瞬間的に左に身体を傾けたところまで覚えています。

 

 

 

次の瞬間。

 

 

 

私は道路の上に丸くなって転がっていました。

 

 

何がなんだか分からない。

 

 

どうやってそこに転がり込んだか全く記憶がないのですが、

吹っ飛んだところのちょっと先が、チェーンの装着所として、

若干道幅が広くされてあるところだったのです。

 

状況がよくのみこめず、私は声もでず、ブルブル震えていました。

自転車は途中で曲がっていました。

 

ふと気づくと、誰かが心配そうに私の顔を覗き込んでいます。

その一部始終をみていたらしい一台の車に乗っていた人が車を止めて

降りてきてくれたらしいことにようやく気付きました。

 

わたしはまだガタガタ震えていて声がでない。

「大丈夫?ほんとに…よかったね…ショックだよね、、、。

どこまで行きたいの?乗せてあげるから、車に乗りなさいね」

促されて立ち上がると、右膝がズキンとしたくらいで、大丈夫。立てる。

 

私はその心優しい家族に隣町まで車で乗せてもらいました。

背中を誰かがさすってくれている。

でもクルマの中でもほとんど放心状態でした。

 

隣町らしいところに着いた。

 

「ココデ大丈夫デス…」

 

「ほんとに、大丈夫? 心配だけど、そういうなら…」

 

お礼もそこそこで、降ろしてもらいました。

放心状態は続きました。

 

しばらくして我に返り、足を探ってみる。

右足が少しあざになっているけど、

それいがいは、問題なさそうだ……

 

よかった。

 

 

よかった、生きてる、、、

 

誰かが多分助けてくれた。

気のせいかもしれないけど、そんな気がしました。

 

自転車の歪みを何とか修正して、

来た道をゆっくりゆっくり何時間もかけて歩いて帰り、

何事もなかったかのように笑顔で滞在先のおかあさんに

「楽しかったです!」と報告しました。

そして、泥のように眠りました。

 

 

その後、私は懲りずに旅を続けるのですが…

 

 

フランスの山の中で迷子になるのです。

 

まったく懲りてません…。

 

歩けば歩くほど、どこに居るのかわからなくなる。気持ちは焦る。

この道だっただろうか……と再度方向を変えてみるものの、

よりいっそう自分の位置がわかならくなる……ということを繰り返しているうちに

 このままでは日が暮れる!

 

ほんとうに、冷や汗がでてきました。

誰にも言わずに来たから、誰もここまでは探してはくれないだろう。

 唯一覚えていたフランス語の

Au secours ! (オ スクール)= 助けて!」を連呼してみるものの、

だれにも出会いません。

 

次の瞬間、

不思議なことが起こりました。

 

一旦足をとめて振り返ったとき、

今たどってきた道と全然違う道が現れました。

あれ?

ここ…知ってる。

 

目を疑ったのですが、

行きに来た道で見覚えのある場所だった。

その道を、た時と反対方向に歩いてみたら、

スタート地点に戻ったのです。

 

 

迷子になったと勘違いしたのかな?

何度も首をかしげたのですが、よくわかりません。

 でもそのときふっと、山の神さまのことがよぎりました。

 

私の実家は山間のちいさな村なのですが

うちの裏の山の中にちいさな祠があって、

そこには「山の神様」とよばれる(そのままだけど)神さまが祭られており

わたしは小さいころから大変敬虔な「山神さま」の信者で

いつも掃除し、気づいたときにはお神酒をあげ

何あるとそこに駆け込んで慇懃に「山の神様…」と話をきいてもらい、

この旅のまえにもよろしくお願いしますを伝えてきていたのです。

これは山の神さまが助けてくれたのだろうと。

そのときはそのように納得しました。

 

 

一気に話が飛んでしまった( *´艸`)

 

色々とあった旅ですが、この2回は

ほんとうに死ぬかもしれないと思いました。

でも、死なず、また、凝りもせず、私は旅を続けるのです。

 

イギリスでは何軒も滞在をし、

フランスではお城のような豪邸に住み込み、

マリオンの家に泊めてもらい

南仏の避暑地で真っ黒になりながら仕事をし、

いやおうなく各家庭の家族模様を観察しつづけます。

そんなことを続けながら、いったん滞在をストップし、

純粋な旅行としてスペインへ足を延ばしました。

スペインでは、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」とよばれる

巡礼の道があり、それはフランスとスペインの国境からスタートしています。

四国で言う、お遍路。

お遍路よりも距離自体は若干短いようですが、

山脈を超えて歩くのです。

こんなかんじ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 - Google 検索

 

ほんとうは巡礼の道を全部歩きたかったのですが、

それは無謀なので、その幾つかの巡礼宿にとまりながら、

今後について思いめぐらせました。

 そして、こう結論を出します。

 

 

家庭訪問はもうこのへんでいいだろう。

 

 

インディアンに近づくたびは、いつの間にか

家族を知るための旅へと姿を変えておりました。

 

 

わたしは再度フランスへ入国し、

マレーシア行きのチケットを確保します。

 

明日は最終回です!多分!!

 

乞うご期待!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー㉓ 誕生~北米編

ジャン!!

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本日の戦利品。茎と葉っぱがそれぞれに最高です。

小さい頃は、苦くて食べられなかった、ウド。

採るのが楽しい、というだけの理由で、夢中で山を駆け巡っていたのですが、

いまはわかる。

この苦さと渋さが素敵なんだということが…

大人に、なりましてございます!

 

さて!

 

ヨーロッパ大陸に足を踏み入れようとしている私。

ロンドンのヒースロー空港に降り立ちます。

そして、何日かロンドンの安いユースホステルに泊まりました。

 

中東系の親子と同じ部屋で、彼女たちは夜な夜な、露出狂のような格好で

夜遊びに行ってしまい、私は狭い二段ベッドの部屋に一人。

グワッとなぜか言いしれない「孤独」がやってきた。

イギリスに行く正確な日程はだれにも言っていないし

今、ここで私が殺されても、誰もしらないだろうな…

お祖父ちゃんも死んだし、ひとりひとりどんどん死んでいくんだな……

、、、ひとりで号泣していました。

(事実このあと、私がロンドンを後にした数日後の7月7日

ロンドン地下鉄同時多発テロが起ました)

 

ロンドンでは、さまざまな観光地に足を運んでみた。

全てが「シッカリ」している。東京並みのスピードで動く人々。

カナダの雄大さの気持ちを連れて行ったので、カルチャーショック。

 

そして、なにより物価が高い。

これはまずいな…

早いところ、滞在先に行こう…

そう思いました。

 

次に滞在したのは、ロンドンから電車で4時間くらいの

サマーセットと呼ばれる地域にある、家族経営の農場でした。

比較的温暖で、非常にフラットな丘陵地がつづく絵葉書のような場所です。

わたしはここで、初めて「家族らしい」家族に出会いました。

 

お母さんとお父さんと娘さんと犬の4人家族。

滞在者は、私とフローリエンというフランス人の同い年位の男の子。

私はキャンピングカーに自分の寝袋で寝泊まりし、フリーリエンはテント。

朝6時からきっかり働き始め、3時間ごとに休憩を取り、

夕方4時にはすべて終える。

畑の周りでウサギが飛び跳ねる。

気を抜くとやってくる雨。

洗濯ものを取り込んで、ご飯の支度をして、朝昼晩と、皆揃って頂く。

 

非常にちゃんとしている。

そして、居心地がいい…。

 

あれ?何が違うんだろう…

同じような家族経営のお家には何軒もお邪魔していたはずなのに。

 

・・・

 

そうか。

お父さんの存在感だ。

 

そう感じました。

お父さんの「家族」へのコミットメントの量で

こんなに安定感が違うんだ、、、。

 

ここのお父さんのジェイさんは、見るからに英国紳士。

サラリーマンをしてから、一念発起しオーストラリアで農業修行し、

奥さんのエリーと一緒にイギリスにもどって農業をはじめたという。

エリーはジェイさんをサポートする形をとりつつ、

細々した作業についてはしっかり仕切る。

ふたりはとても仲がいい。

 

何かが健全だった。

、、、お母さんには、やっぱりあまり力が入ってたらだめなんだな…

それでもって、お父さんってやっぱりスゴク必要なんだな…

ふっとそんな風に思いました。

 

 結局このお家には一か月くらい滞在させてもらい、

朝6時のベリー摘みから一生懸命働きました。

週に一度の休みの日は自転車に乗って、遠出をすることが許されていました。

イギリスのお墓は何だかとてもよくて、教会のわきに花が咲き乱れ、

昼寝をしたくなるようなところがたくさんあり、

私はいろんな「お墓」にお邪魔していました。

そうか、ここはキリスト教国なんだ…。

旅に出てはじめて「信仰」を感じます。

 

それから、ヒッピーの聖地、グラストンベリーにも足を延ばしました。

こんなかんじ。

途中にはストーンヘンジの縮小版のような石のサークルが突如現れて、

なんだか、タイムスリップしたような気持になりました。

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この後、わたしはヒッピーたちと働くことになるのですが、

イギリスではなんだか不思議なスピリットに触れる時間がありました。

  

そんなある日。

 

仕事がお休みで、私は相変わらず自転車での遠出を企てました。

イギリスは自転車国家で、自転車には寛容です。

車道の脇にすぐ自転車走行のための車線があります。

 

ただ、たくさんの車が走る脇を自転車で漕いでいくのは結構怖いもので

私ははやく目的地に着きたいと先を急ぎました。

両側は車両とガードレールに挟まれた自転車用車両はとても狭いものでした。

坂道、ぐんぐんスピードを上げて進んでいたところ、、、

ん?

え??

なにあれ?!

目の前の道路に黒いものがあった。

アスファルトが破損して、ボコンと穴があいている!

でも、もう遅かった。

その穴に車輪がはまり、私の身体は宙に浮きました。

 

…なんとも唐突な、はじめての命の危機。

つづく!

 あれ、もう明日は5月?31日がなかったんだね!!|д゚)

 

もうちょっとだけつづきます!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー㉒ 誕生~北米編

こんばんは!

いま、はっと気づきました。

「誕生~北米編」とありますが、

そうです、旅はどんどんはみ出してゆきます。

 

農家を転々としながらアラスカまで足を延ばしていた私は

「今のわたしの実力では、星野道夫のような旅は、できないし、

 もはや、ここにはインディアンがどころか

 アメリカナイズされすぎていて、居心地がよくない…」

そう思い、アラスカからカナダのユーコンへ。

そしてユーコンから、飛行場のあるバンクーバへ戻ることに腹を決めます。

 

カナダを出よう。

 

 

もっと遠くに行こう。

物理的にも文化的にも違うところに行ってみよう。

 

 

 

………ヨーロッパに行こう。

 

 

アラスカで、私はそう決めました。

 

 

ま~ず~は~、英語の通じるイギリスにしよう!

 

 

ユーコンの州都、ホワイトホースから飛行場のあるバンクーバまでは

グレイハウンドバスで41時間(*_*;

座り心地は最悪の椅子に丸2日です。

でも、すばらしかった、、、、アラスカハイウェイ。

道すがらバイソンの大群が押し寄せたり

クマも、野生のヤギもいっぱい飛び出してきて…

カナダの大自然は……やはりとんでもなくすごかった!

 

そして、かんわきゅうだいで紹介した、

同い年のマリオン と、隣の席同士で仲良くなりました。

カナダに語学留学に来ていたマリオンは、フランスに帰ったら

臨床心理士の資格を取る。そして結婚する。

わたしにとって家族とは、

かけがえのないものである。

そう話してくれました。

フランスに来たらウチに寄ってね♡と言い、

バンクーバで別れました。

 

よれよれになってバンクーバに戻った私は、

ネットカフェでイギリスへの格安航空券を探し、

ついに、初夏のある日、ヨーロッパ大陸へと飛び立ちます。

 

そして私はヨーロッパで2回死にかけることになります。

そのはなしは、また明日! 

つづく!!

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー㉑ 誕生~北米編

みなさまこんばんは。

まもなく5月ですね…いつもだったら公演前の戦々恐々なのですが

季節のせいもあり、身体がゆるみたがっています。

この一か月くらいでわたしの身体の緩み具合がなぜか

加速度的にふかまりました。春だからかな…

これがいい具合に作用するといいのですが……未知(*_*;

 

今回はほんとうにチケットがよくでてくれ、

会場も狭いのでほぼ埋まってきました。

それにしてもみんな一体何処でみつけてくれてるんだろう!?…笑

以前の職場の方々もどこかでチェックしてくれたり、来てくださるようで、

ありがたいことです"(-""-)"

 

これから音響のかたとかと話をつめたりするのですが、

わたしは機械がニガテなので、チョットあたふたしております(+_+)。

最近の劇場は、照明もプログラミングで、秒単位でフェードをきめて

本番はそれをスタートさせるだけだったりするんです…

なんだか味気ないんですが、

今回はギャラリーなので、照明家は大変ですが、機材はぜんぶ手操作の

人海戦術です。 

 

さてさて!グレートジャーニ。

 

4月に終える宣言をしたので、

がんばって、巻きでいきたいと思います!

 

わたしが何でインディアンに憧れたのか。

理由はたくさんありますが……

そこには精神的に長けた「長老」たちがいる。

神様を大事にし、祭祀があり、月の満ち欠けとともに暮らす、

シャーマニズムを中心にした集団生活が

なんともいえない「拠り所感」をもっているように思えていた。

でも。

私が訪れたクィーン・シャーロットのお家は、核家族そのものでした。

自然はすばらしい。

環境もすばらしい。

みな、働き者で労をいとわない。

でも、リンダが采配をふるうその家族には

なにかとても拠り所のない感じがあった。

 

その後、私は、次々といろんなお家に滞在したのですが、、、

離婚してひとりぐらしをする高齢の男性のお家、

学校に行かせない方針で育てた子がどうしようもなくなってしまっている家族、

旦那さんと別れた奥さんの経営する大きな農場の別荘、

ものすごい資産家でお城のようなお家とお庭を持つ一人暮らしのお婆さん、、、etc.

実に多種多様な家庭がありました。

 

とんでもなく破天荒なお婆さんに

手巻きずしをつくって巻き起こったどんちゃん騒ぎや、

ユーコンの雄大な山奥の丸太小屋に住むおじいさんと

二人きりの滞在にちょっとドッキリひやひやしたことや、

毎日、まん丸の豚が焼かれて出てくるので、このままいくと

私自身がブタになってしまいそうなほどよく食べる女性の家とか

大きなタワシがうごいていると思ったら、ハリネズミだったとか

書きたいトンデモ話はあるのだけど、、、

 

長老もいなくて、コミュニティもなくて、信仰もない家族は

一体全体、どうやって成立しているのか?

わたしの目はひたすら「家族」を追っていた。

 

カナダはものすごくアメリカ文化を受けた国でした。

果たして。

わたしは、そこで一組も「いいな」と思える家族に

出逢うことが出来なかったのです。

星野道夫の写真には、たくさんのインディアンが出てきました。

朽ち果てたトーテムには神語があったし、

狩猟に行くハイダ族の後ろ姿にはなんというか

コミュニティが透けてみえたのに。

 

わたしはカナダで、ひたすら自然に触れるという欲求だけを満たし

そして満たしきれない大きなものをかかえて、

カナダを出る決意をします。

まだまだ日本に帰りません。

 

つづく!

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑳ 誕生~北米編

こんばんは!

おおー!!二十話になりました!すごい!!

 

早速続きです。

 

ハイダ・グワイのリンダの家には、わたしとカナダ人の女の子など

何人かの滞在者・訪問者がいました。

そして、たくさんの動物や、植物や、風や、野菜があった。

雨の降らないときを狙って、雑草を抜き、耕し、収穫し、

売りに出すようにパックする。

ルーシーとチャスは「お話して~お話~」と

犬のようにまとわりつく。

 

暖炉であったまって、

夜はロウソクの明かりで手紙を書き、

朝は朝日で目覚めるという、原始的生活のなかで

私は、クイーン・シャーロットの空気に馴染みたくて

たくさん自然の中を歩きました。

 

ちなみにこのとき私の日本との連絡手段は、全部「手紙」。

メールもしない。

電話もしない。

だから、手紙が来たとしても、これを書いているときは存在していたけど

「今」生きているかどうかは、分からなかったとのちに言われました。

私が手紙を書いていたのは、大学の友人数名と、両親でした。

 

この旅は、わたしにとっては、クリンギット・インディアンに近づく旅、

であったはずなのに。

終わってからふと思い出すと、これは

「家族を知るための旅」だったんだと気づきました。

それほどに私の目線は、自然とともに、

そこで生きる「家族」もっというと「子どもと親」というものを追っていました。

 

リンダの家は、リンダがすごかった。

勇敢な戦場の女神のように、、、

畑をたがやし、

「オーガニックファーム」の火付け役として見学の人を集め、

ヨガをし、子供たちのお母さんをし、ジョンの妻をやっていた。

ご飯をつくり、畑仕事をし、それを対外的なビジネスにまでして

子どもはホーム・エデュケーションで育てる。

そういう、「力のこもった」家を営むリンダは、とても格好良かった。

 

ルーシーとチャスの天真爛漫さは破格のすばらしさだったものの

どこかで「学校に行っていない自分たちは

他の子に比べて劣っているのでは?」

という思考がつたわってきて、

そのことで年上のルーシーは神経質に、

そしてときとして、非常に卑屈になることがありました。

ルーシーにそう思わせる何かをリンダが発していることを、

私はひしひしと感じました。

 

そう、、、

クイーン・シャーロットのあと、

アラスカにほど近い「ユーコン州」に行くのですが

その超奥地の家族も、ホームエデュケーション。

そこでも同じような問題が起きていました。

「力の入ったおかあさん」と「敏感な子ども」の図。

 

……

どの家族も、みんなどこかで破たんしていたんです。

 

どんな家族も、たった二人の血のつながらない

男のひとと女の人からはじまっていること。

そんな不確かななかで営まれていること。

クイーン・シャーロットにやってきて、

いままで、なんとなく抱いていた「家族」というものへの見方が

少しずつ、ゆらぎはじめました。

 

つづく!