日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

かんわきゅうだいその④ 写真

手紙を書こうと思って、ポストカードをごそごそ探していたら、

旅で仕入れたいろんなところのポストカードが出てきました。

 

トーテム・ポールのポストカードがデテキター!

 

こんな感じです。

 

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渋い。

 

さらに写真がまじってた!

 

お~これは。

約10年前のカナダの写真であります。変わった、わたし?

 

お~なんか抱えてる顔をしているねえ。笑

 

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左手前はフレンチガール marion。

同い年でありました。

 

カナダの超格安バスで仲良くなって

フランスに行ったとき、おうちに泊めてもらったのですが、

兄弟みんな長身で美形で。

並ぶとモデルみたいでして。

 

お宅に訪れたとき、

マリオンと、両親と、弟たちと、弟の恋人と、

みんなでワイワイ昼からワインとチーズで乾杯。

恋人たちは二人でうっとりして、ハグしております。

万事OK。

みんな仲良しフランス人。

文化というのは違うんだなーーーとひしひしと感じたのでありました。

 

ちなみにマリオンはピアスを2つだけもっていて。

装飾品は部屋に2個くらいで。

いたってシンプルで。

ほんとに、うつくしかった。

 

 

 

 

 

かんわきゅうだいその③ エゴとやら。

かんわきゅうだい、多し。

 

昨日は朝起きたら絶不調でありました。

 

わたしにはだいぶ昔から、ひとつの疑問がありました。

どうしてすごい人は、「すごい」空気をまとっているのだろう。

出逢った瞬間に感じ取れる「それ」。

どうしてわたしには「それ」がないのだろう。

それはどうやったら手に入れられるのだろう。

 

その人を覆っているムードというのか。

エネルギーとはちょっと違うし、空気というとエアリーすぎるし。

とにかく、すごい人にはみんなそれがある。

わたしはなんだかふわふわしているだけで、なんにもないのがよく分る。

 

勘だけで恐縮ですが。

多分、霊的な身体は、心の成長とともにある。

宗教と芸術はかぎりなく近いところにあって、

どちらも修行をとおして本質に行くんだと思うんです。

どちらも捨てていく作業だとも思うんです。

それからそのどちらにも、霊的な身体が出来上がっていく過程がふくまれているんだと思うんです。

 

でも、霊的なパワーをあますところなく生きることの表現として使えるひとってのは、やっぱり

身体のことを何かしらやっている人だと思うんです。

アスレチック的なことじゃなくてですよ。

 

わたしが知るなかで、もっともきれいな目をしたひとは

芸術家にひとり、宗教家にひとりです。

(きれいだと思うけど、目が細すぎてきれいなのかよく判別できない人一名)

どちらも、身体のエキスパートでもある。

 

そういうムードが欲しい。

でもまだ心にも身体にも余計なものばかりであります。

はぁ……

 

とまあ、謙虚っぽいこと言っててもどうしようもありません。

昨日は絶不調でありまして、健康管理の大切さを改めて思いました。

 

昨日は、とある会合に出ていたのですが。

「過去を清算しないと先に進めない気がする」

とかなんとかゴタクを並べるワタクシ。

それにたいして

「それはね、、、『テスト前』!」

一喝をいただきました。

 

テスト前。部屋片付けたくなっちゃうアレですよね~。

 

ちょーウケたんですけど。

 

ウケてる場合じゃなかった。

そうか。

わたしはテストに向かうのが嫌なのか。

「過去を清算しないと先に進めない気がする」

この、もっともらしいの、エゴの手口か!?

 

みたいな感じでありました。

 

 やっぱり、自分は自分にたいしてほんとにあまいんだなあ~

何者でもないくせに、何者かであるよーなフリをするなとシショーもシショーのシショーに言われたといってたな。




渇が身に染みた。 


それでね、だらだら書いてますが。

 

わたしは基本的に、本派ですけど、

熟読したウェブサイトが3つくらいあって。

 

その中でもいちばん軽くよんだわりにすごいためになったのが、

東大六郎さんのウェブサイト。

その名も「勉強すれば人生変わる」。

http://www.6rou.net/envi_top.html

(笑)

ニューアースって本、読んだことないんですけど、

ひたすらこの本の解説書いてるの。

それが面白いの。

 

昨日、結構自分のエゴに直面させられて、消沈しながら、

なんとなく六郎さんのサイトを見ていたら

 

>「4章 エゴは様々な顔でいつのまにか私たちの側にいる

 


というのが目に飛び込んで参りました。

ははは…

 

>エゴに囚われないための対策というのは… 「エゴに囚われていることに気づく」 これだけです。

 

ふう。

 長くなって明日起きられないとこまるので、てきと~に、がんばろうと思うということで。

 

また明日。

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑧ 誕生~北米編

昨日のカレー屋さんは、漫画が良かった。

しかし。

カレーやさんに行ったのですから、

おいしいカレーが食べたいものであります。

 

高円寺のカレーやさんといえば、ニュー高円寺インディア、であります。

写真一覧 ニュー高円寺インディア 高円寺 - Retty

この安さと美味しさと温かさ。

言葉はできないけど一生懸命な接客。

はあ……見習わないとな~こういう素朴さ。

好きだな~ここのインドカレー

 

 

さて。

何とか誕生日を迎えるまでには

けりとつけないといけない!

なんていう気がしてきました。。。がんばるぞ、、、

 

小笠原諸島、父島。

ここへは、フェリーでしか行くことができません。

しかも、そのフェリーも毎日運航されているわけではありませんので

隔離状態となります。

東京都とはいえ、陸の孤島

5、6日間くらい滞在していたと思います。

 

宿に選んだ格安ユースホステルにはいろんな人が泊まっていました。

とくに、本業は別にあれど写真を撮りに来ている男のひとが幾人もいた。

 

クジラを撮る歯科医、プーさん。

痩せて真っ黒で、写真家というか冒険家という風情で、

命がけの撮影をする変わり者。

島にスクーターを持っていて、いつも数か月滞在し、

ここのことは何でも知っている。

 

つぎに、小笠原を撮る大学教授助手、Sさん、文学専修。

小笠原で出逢って10年付き合った彼女と別れたばかりだといい、

そのせいか?攻撃的なところの感じられるひとでもあった。小柄だけれど端正な顔立ち。

 

海と小笠原を撮る商社マン。

商社マン7割、写真2割、その他1割という感じ。

 

それから、私と同じく、いちげんさんの観光客ももちろんいました。

機械メーカーに勤めている30代くらいの会社員。

ものすごい男性風でカッコイイOLのSさん。

なにを目的できているのかよく分からない税理士。

とにかくイルカが好きで、イルカみたいな目をした真っ黒に日焼けした主婦

ものすごい博識なのにアルバイトしかしていないという、私より少し上の女の子。

 

なぜかそんなひとたちが、ユースホステルで一緒になって

船をチャーターし、海へ出るための小さな集団ができあがりました。

 

ご飯を食べていたら、いろんな話に花が咲いている。

わたしは話すこともなく、ただただ聞いている。

 

とくに面白かったのは、写真家歯科医プーさん。

「いや~白いひれで泳いでいたらさ、マッコウ(マッコウクジラのこと)が

俺のことイカと間違っちゃってさ~。飲み込まれかけたんだよ。

クジラは基本的に人間は食べないんだけど、

あの時は焦って、クジラの口の中にカメラを置いてきちゃったんだよ」

 

クジラの話から、歯の磨き方まで面白い。

ぶっきらぼうながら、いちげんさんにも分かるように、

話を弾ませてくれているのがわかる。

 

Sさんは対照的に、ものすごく社交的で、明るい人なんだけど

どこか人をよせつけないものがあった。

でも、朝はおどけながら「おっはよ~」とあいさつしてくれたり

「友永さんていう写真家さんの小笠原の写真がぴかいちなんだよ」と

教えてくれたり、気を使ってくれる。

 

そのほか、即席の船のなかまたちはみな、とてもいい人たちだった。

ここでしか会うことのないだろう人たち。

有限な時間の中でみんなが精いっぱい楽しもうとしている。

 

数日間は、小笠原の海へ潜りに行った。

戦争で大破した沈没船が沈む、

素潜りでどこまででもいける遠浅で美しい海。

錆びた船内に熱帯魚みたいなきれいな魚が戯れている。

 

私はわき目もふらず、潜り、ぐんぐん泳いだ。

こんな海に自分がいることが信じられない。

私たち以外誰もいない、海。

 

そのあとプーさんが、島でゆいいつ日用雑貨が売っている不思議な店に

スクーターで乗せていってくれ、ジュースをごちそうになったり、

それが翌日「あのプーが女子大生ナンパしている」という島内ニュースになったり、

夕暮れ時は、住民も観光客も、日が沈む丘に登ってビールを飲んだり、

夜は、「ヒカリゴケがね」なんて不思議な話で盛り上がったり。


なんだか、クラクラするような旅になっていった。

 

そしてついに、船で沖合にでる日がやってきた。

かんわきゅうだいその② クジラとバレンボエム

うう~む。

踊りの面白さが身に染みたはいいものの、

出来たりできなかったり。

自信が満ちたりなくなったり。

波が酷いものであります。

腰がいまいちでききっていないのであります。

背骨と頭頂がまだつながりきらないんでありますね。

あと一歩なんだけどなーーー 

この一歩何年かかんのかなーーーー

とか思ってひどく悲しくなりました。

 

やっぱり、荷を運ぶ仕事続けてたら腰できてよかったのかな。

ダメダメ、あんな重いの持ってたら腰がダメになる上に、腕が太くなるし。

でも、結局強制力が無いと朝早起きできないじゃん、私。腰の前に。

、、、とかいうチープな自問自答を繰り返してしまうダサダサの日。

 

床で呼吸を繰り返していたら

寝てしまっていた……。

 

PC仕事の神経性の疲れは減ったものの、肉体仕事の疲れが増えたため、

自分の容量がオーバーになると、バタっと来ます。

神経性のものよりわかりやすいし、気はらくですが、

キャパのなさにがっくり。

 

そんなこんなで今日。

ひと仕事終えて、かねてから気になっていた

早稲田通り沿いの高円寺のカレー屋さんに入って、

ムングダルカレーを注文。

店のキャラクターのようなクジラの絵が、やけにいい。

 

以前別の店が入っていたところを居抜いてつくった

こじゃれた店でありました。

が。

ううむ。こんな日に限って、

こじゃれた店に外れ多しの法則が命中しました。

 

だめだよ、こんなご飯の炊き方じゃ!

こんな接客じゃ~!

こんなタイの屋台みたいなイスじゃ!

こんなさらっとしたカレーじゃーダメっ!!!全然ダメ!!!!

 

身体がつかれているのも相まって酷評している自分がおります。

うつむいてご飯を食べていると、

たよりなげな漫画が目につきました。

http://otakei.otakuma.net/archives/2013061803.html 

「遠浅の部屋」(大橋裕之

 

なにこの漫画、、、

 

おもしろかった、、、、

 

ほぼほぼ、線画だけなのに

ものすごい伝わってくるものがあって、たまげました。

 

なにもわからないのに、漫画家になろうと決心して、

その決心のあまりの後ろ盾のなさにつぶされそうになりながら

ボクシング選手になるとうそをついて実家をでてきた罪悪感にさいなまれながら

まんがに込めるだけ込めて日々をおくっていた作者の自叙伝。

 

こころの動きがね、痛いほど画から伝わってきて。

さらにリズムとか、絵の配置とかがなんだか

映画というか音楽というか詩というかだね、この漫画は。

 

なんだか画面にちっちゃーくかいてある主人公が、

自分に思えてきてしょーがなかったでありました。

 

さらに。

今日、かのバレンボイムさんの動画を見ていて。

ある人がバレンボイムさんに

「あなたは、一音でクレッシェンドができる、というが、普通は不可能ですよね。

どうやって一音でクレッシェンドができるのか?

わたしはピアニストだが教えてほしい」

という質問をする。

バレンボイムさんこう答える。

 

「クレッシェンドにどれだけ情熱を燃やせるかです!

 それは教えられない。音の不思議は物理を超えているからです。

 クレッシェンドを想像しながら次の和音をひく。

 そうすれば想像上のクレッシェンドが実現します。

 ピアノの一音でクレッシェンドはできないと考えたらそこで、おわりなんだ。  

 でも、クレッシェンドを念じて次の音をひいたら、

 その結果はね、ほんとのクレッシェンドになる」

といって、ジャン、ジャーンと想像のクレッシェンドをひいてみせる。

でもってそれがまた、クレッシェンドなわけです。

 

バレンボイムすごい! 

 

念じるってすごいなー

想うってすごいなー

 

すごいすごいいってないで、

わたしもそうなりたいのであります。悔しいであります!自分が!!

うわ~ん・゚・(ノД`)・゚・。

 

体調がいまいちなんだな。笑

 

ちなみにどうやら、そこの店のキャラクター描いているの

大橋センセイじゃないかと思うにいたりました。

目が主人公と似てる。(カレー酷評していて、すいません。)

豆クジラ - Google 検索

 

ちなみに、こんなのもあった!

大橋裕之 そこにあったのが、漫画だった。 | CONTRAST

 

 

 

 

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑦ 誕生~北米編

明日は用があって朝、新宿エルタワー23階に行かねばらず

チョット気が重いのであります。

何だか2月は、色々と味わっているであります、、、

生きてるなあ~よかったなあ、産まれてこれて、、、

 

 暗黒時代パート1だった時は。

恐らく自分は25歳を待たず死んでいるだろう。

そう思っていました。

もちろん、大学に行く自分も、東京で暮らす自分も、働く自分もあるとは、

まったくもって予想だにしていませんでした。

たくさんのことをすることが良いことだ、とは全く思わないけど

時空を超えてあのときの自分に、

「結構生きるわよ」

とでも言ってあげたいものであります。

 

さて。

奥にまだくすぶりを抱えたまま、高校を卒業し、予備校を終え、 

大学生になってすぐにある旅を決行しました。

 

国立から東はまだまだ未知にもかかわらず、

新宿でかならず迷子になるにもかかわらず、

まったく迷いなく断行したあたり、

自分でもどういう心境だったのかよくわかりません。

 

ただ、東京へ進出した私の血はたぎっていました。

 

行ったことのない場所に、自分の足だけで行ってみたい。

 

行先は、、、、

 

小笠原諸島、父島。

 

 山しかない土地に18年間。

憧れは、なんてったって、海であります。

海、海、海。海に行きたい。

私の中に刻まれてある深いあこがれは恐らく

七つの海のティコ」であります。

 

シャチは無理でも、イルカと泳ぎたい。

 

私の中にかねてからストックされてあった、

「行きたい海」リストの最上位、

小笠原諸島父島。

 

GWのとある日。

おがさわら丸、という船の2等寝室(雑魚寝)で一泊しながらの渡航

どす黒くよどんだ東京の港を後にして、

わたしは一人、船内でわくわくしていました。

その旅は、まさにひとつの「区切り」と旅になっていきます、、、

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑥ 誕生~北米編

間があいてしまったー!

前回書いてから、

なんとも色んなことが巻き起こっておりました。

 

昨日は、地味~な事務作業を終え、

歩いたり走ったり自転車に乗ったり電車に乗ったりバスを待ったりしながら

都会のトライアスロンともいいたい時間と空間の使い方をして

シゴトで3人の方とお会いして帰宅。

一度眠って起きたところ。

おかしい。ゾクゾクする。

猛烈に身体が硬いし捻じれている。

肩が凝り、頭が死にそうに痛い

バイな~とおもいつつ、動けばなんとかなるかなと稽古場へ向かうも

悪化の一途をたどり、

トイレで吐きながら最初のマッサージを終える頃には、

「帰ってください」とのことで(あたりまえよね)帰宅。

そのまま着の身着のまま電気すら消せずに眠りました。

本日。

晴れて、

絶好調であります!!

 

いやー、なんだったんだろう、あれ……。

しかし体調が悪いと何もできないことを痛感いたしました。

愛だの神だの想いだのどーでもいいからまずここに布団持ってこい!

みたいなですね。

ははは…

この一週間は何だかとてもジェットコースターでしたから、

あらためて整理することとして。

 

そして今日。

わたしは思った。

 

踊るって、そういうことなのか、と。

ぜんぜん分かってなかった!

何かがしっくりきてなかったの、そういうことね!!

、、、、、た、た、た、楽しい。

なんてことを初めて思いました。

ほんとうに気づくのが遅いんですが、

ようやく自分の実感としても踊りの賭場口に立てた気がいたします……

 

ハイ。

前置きが長すぎました。

前回の続きです。

 

ジャーニーに入る前、私の暗黒時代パート1の話であります。

(パート2はあるのか、ないのか!?)

 

定期的にお医者さんに通う私。

暗黒な気持ちを吐露し続けます。

先生は本当に根気よく付き合ってくれました。

父は時間を割いて症状の研究をし、会社を休んで私を病院へ連れていき、

先生から「こう言ってあげたらいい」と言われていることばを私にかけてくれ、

母も、自分の過ちらしきことを懺悔したりしている。

 

母子ともども刻々とよくなる症状。

ただ、わたしには一抹の不安がありました。

それは、薬を飲んでいたからです。

今のこの気持ちは、ワタシの実力なんだろうか?

先生はこういいます。

「風邪をひいたら薬を飲むでしょう?

それと同じなんです。

しかも、これ、量は極めて少ないんだよ。

勝手に止めてはだめですよ」

 

自分では判断ができないから、

徐々に量が減っていくのを感じながら飲み続けました。

 

先生に、自の分ばかばかしさを吐露するのも尽きてきて、

映画を見続けるのも、散歩に行くのも飽きてきて

こだわっていたこともばかばかしくなり、

何か完全に解決しているわけではないことを感じながらも

気持ちは明るくなり、普通に生活をし、夜も眠れ、笑い、

学校にもちらほらと行き、適当に生活できるようになりました。

よかった、と思いました。

 

私は高校3年生になっていました。

 

そして、前の状態に戻らないためにも、万事、適当に処すことを意に決しました。

友達と学園祭で演奏してみたり、

友達の家に泊まったり、

適当に勉強してみたり、

ボーイフレンドを作ってみたり、

花火に行ったり

実にあっさりと、まずまず楽しそうに

そして、自分のほんとうの気持ちは奥にかかえたまま

ほんとうはまだまだ、渦巻いている納得いかなさに蓋をして

適当にやり過ごして高校生活は終盤。

 

出席日数が足りずに、いちばん嫌いな国語の担当に、

最後まで小作文を書いて持っていかなければならない日々にうんざりしつつ、

卒業します。

 

その後、東京の代々木にある予備校に通いながら

半年間、文字通り死に物狂いで勉強しなおして大学に合格します。

そのころには、医者も薬も自分で必要ないと、

全く摂らなくなっていました。

 

わたしは国立で一人暮らしをスタートさせます。

そして、計画をたてて、初夏、ある場所をひとり訪れました。

さて。

田舎娘の初旅でございます。 

 

 

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー⑤ 誕生~北米編

自分の事をちゃんと見るってのは大事だよね、と思う。
けれども。
ごまかさないで見るのはやっぱりイタイもんですよねえーーー。

そーすると、スルッと、ね。
痛くない方向に行こうとするのが世の常、人の常、私の常でもありますから
とりあえず今は、イタいほうへ。イタいほうへ。イタタ・・・


さて。

ジャーニーに入ってもいないのに、なぜか話が遡り始めました…。

次第に追い詰められていく高校2年生の私。


ある朝、学校に行く行かないで両親ともみ合いになります。

制服を持って私に着せようとし、

学校に行きなさい、行ってくれお願いだと懇願する父。

泣き叫んで暴れて拒否する私。

手の出しようがなく呆然とする母。

 学校は休みの連絡をして、父は会社に行きました。

母は私が産まれたときに先生をやめ、専業主婦でしたからずっと家にいます。

 

その夜、わたしの頭の中になぜか、化学の元素記号が出てきました。


ああ……

 

…死にたい。

 


手元にあったタオルを首に巻いてぐっと引いてみる。


苦しい。

 

苦しい!

 

なんでお母さんは私なんかを産んだんだ!生きる価値なんてないんだ!

 

殺してよ!!

責任取ってよ!!!

そう泣き叫び、暴れる。体は痙攣する。そして疲れきって眠る。

そうするとまた、朝が来る。

朝が怖い。

また一日という時間を送らなければいけない。

鏡を見ると自分があまりにも酷く醜いのがわかる。

地獄の日々。

 

そしてあまりの精神的な落込みを案じた父親が、

精神科のある病院にわたしを連れていきます。

このとき、父はほんとーに大変だったと思います。

もはや母親は私とほとんど同じ症状を呈していました。

お母さんには受け止められない現実だったのだと思うし、

共依存」だったのだと思います。

 

そしてその日の夕方、通された診察室で、高齢の女医が、

目を腫らした私をちらっと一回見て、こう言い放ちました。


「あなたは、もうダメなんだから。  

 いい? もうダメなの。」

 

 

 、、、ダメ?

 


、、、、、、アンタなんかに。

 

アンタなんかに、言われたくないよーーー!!

 

 

こんなくそばばあに判定されるのだけはごめんこうむる。

そこからは何が起こったのか、記憶にないのですが、

そこには二度と行かなかった。


そのかわりに、どうやらわたしに、

まだダメじゃないらしいという少しの自尊心だけが残った。


そして、父親の知り合いの医者の紹介を受けて

私は県庁所在地にある別の病院へ行きました。

そこで、当時のわたしにとっては、

唯一まともに話をしようと思える医者に会い、
競争心の強さとか、学校の先生を尊敬できないこととか、

死にたい気持ち、身体の不調、母親という存在と自分

その他もろもろの話をしました。

一回につき、3時間くらいは喋り続けて、

薬局の閉店時間に間に合わないこともしばしばあったから、
今思えば、よく聞いてくれたし、付き合ってくれたなと思います。

「いいですか、あなたは病気なんです。

だから、ちゃんと薬を飲んで、

わたしと話をすれば治るんです。」

 

この先生に言われるのは、嫌ではありませんでした。

それにもう言うことを聞く以外他に方法がない気がするし、

この家族が救われる道もない。

治すためには、なんだってやろう。

日がな殺してくれと呻いているよりはマシだ。

もし今後も生きていかなければならないなら、

生きるのは私なんだから、

親を責め立ててたところで意味がない。

そう思いました。

 

先生はさらに、こんなことも言いました。

ここの壁があります。
本当はね、ちょっと歩いて、横から回り込めば、
通り抜けることが出来るんだよ。

でも、あなたは前の壁しか見えていない。
だからつっかえて、先に進めないように思っているんです。

僕のいうことを聞きなさい。

母親もカウンセリングをうけ、薬を飲み始めました。

父親は毎回会社を休んで私をその医者まで連れて行きました。

 

なんだってやろう。

自分の悪いところもちゃんと見よう、言おう。

そう思いました。