日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

ワタシノ・グレート・ジャーニー④ 誕生~北米編

どこにあるのかよくわからないけど、
クイーン・シャーロット島へ行こう。


そう決めたワタシは、
取り合えずしばらくお金を貯めよう。
そして
英語を勉強しよう。


誰かに言う前に、
絶対必要なものの基盤を固めよう。

そう決心します。


ううむ。

…わりと現実的。

 

当時、派遣の家庭教師をしていたものの、
そのお家のお母さんと直談判し、派遣の契約ではなく直契約にしてもらい、
時給2000円くらい  (今思えば、重大な契約違反ですね~)。

ほとんど全科目20点位の中学生の女の子でした。

「とりあえず一緒に勉強するこの時間だけは集中してやろう。
 それだけでいいから。あとはな~んにもしないでもいいから」
奮起させると乗ってきて、
私自身もまったく出来なかった社会や理科もやるはめにはなったけれど

とにかくその時間は、ふたりでよく頑張った。
高校も推薦で決まってからさよならした記憶があります。

 

加えて某チェーンの居酒屋で夜中までバイトをしていました。
10時以降は割増賃金になったんですね。
そして最終的には50万円位の貯金に成功します。

 

更に、スラングも覚える覚悟で、

英会話の教室に足しげく通い毎日ブツブツと復習。

 

そんな感じで、

心はクィーン・シャーロット。
日々基盤を固めていきました。


さて。

私がなぜこんな突拍子もない企てをしたかという
直接のきっかけは
もちろんトーテム・ポールの逸話、ではあるのですが
もっと後の方に、非常に深い理由があります。


高校生の時。

 

私は、それはそれは重度の鬱病でありました。

 

とにかく、毎日死ぬことばかり考えていました。

 

外に出ると恐怖感が襲ってきて、叫びだしたくなる。

一体この先の未来もないのに、なぜ生きているんだろう。

 

とにかく何をしたらいいかわからないので
田舎にもあったビデオ屋まで連れて行ってもらって

古典から現代まで映画を何本も何本も借りてきては

それをただ見ている暗黒の日々。

 

原因はいつだって複合的だと思うのですが、
親との関係というのは、人の中でそれはそれは大きいと思うのです。

その一部はまだ消化の最中、読解中であるし

だから、まだ書いたらいけないのかもしれないけれど…
でも、高校時代の鬱病なくして、
今の自分もこのジャーニーもないことは確かです。

 


わたしのお母さんは、もともと小学校の先生。
お母さんのお父さんは、高校の理科の先生。

昔のお母さんの写真を見ると、
きれいなんだけど、ずいぶん勝気に見える。


でもわたしは、

お母さん無条件に好きだったんですね~。
お母さんが好きじゃない子供っているんだろうか?
とにかく、お母さんを気にしながら生きていた。
気に入られるように、頑張った。

生き延びるために。
そういう選択肢しか無かったとも言えます。

 

いままで書いてきましたが
「学校」というのは、
わたしには切っても切り離せない

「災い」の場であったにもかかわらず

同時に一番身近な人が学校関係者でもあったという、
捻じれ。

 

学校とか一般的にヨシとされることなんて

バカバカしいというアウトサイダーな自分と、

親の期待に沿いたいという、いわば恐怖に基づく

インサイドに入る行為。

そりゃあ、大変だっただろうと思います。


捻じれは、私の中で、
心と身体の捻じれとなって蓄積されていきました。

それが症状となって噴出したのが、高校時代だったのだと思う。

 

堂々巡りの思考で心身は疲弊の一途をたどり

3日間一回も起きずに寝続ける。 

起きてチョコレートを3つ食べてまたばたっと寝る。

そんなこともありました。

 

、、、ほんとうに、暗黒の日々。

 

 

そうなる前まで、

わたしはめちゃくちゃ勉強をしていました。

というのも。

わたしは文系科目が大得意だったにもかかわらず

何の因果か県立高校の「理数科」という学科に進学していたんですね。

ほんとーに、数学も、理科も、大嫌いだったのに、

理数科に行ったのは死ぬほどのアホだったな自分、と思います。

 

 

わたしにとっては、田舎の森の中の出来事だけが現実だったため

「何のために高校に行くのか」

「何のために勉強するのか」

そんなことはとーんと考えず、

とりあえず兄の行った、

周囲の薦める近くの公立高校で唯一の進学学科の理数科に進んだのです。

 

 

理数科の勉強は、ほんとーに苦しかった(そして、ほんとにできなかった・笑)。

担任も主任も、大嫌い。

朝から晩まで勉強しろ、勉強しろと、いうばかり。

理由は、「大学に入るため」。

偉そうな初老の国語の先生が出す「天声人語を書き写してこい」という宿題。

つまらなすぎる………。

好きだったのは、年老いた美術の先生と、何をやってもいいその時間。

そして、図書室から借りる本だけ。

 

しかし、負けたくなかった。

担任にも、主任にも、学友にも、自分にも。

 

絶対に、負けたくない。

 

わたしはそうとうな負けず嫌いでありました。

 

そんななかで、本当に追い詰められていきます。

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー③ 誕生~北米編

仕事探しの延長で

過去を思い出しがてら、とかで、軽い気持ちで書き始たものの…

これはジャーニーを総ざらいしなくてはならない気がしてきて

……いやしかし、

結構長く深い作業になる気が……(遠い目)

でも、何だか、やったほうがいいことのような気がして

次第に闘志がみなぎってきた、みたいになってます。

ですが同時に、

今日は、体調がイマイチでして。

いや~書いたところで、

私以外の一体誰が興味があるのか?

などという気持ちが顔を出してきました。

、、、心が疲れてるとムクムクとそういうのが湧いてきます。

 

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作りだされる。

『法句経』と呼ばれるお釈迦様の初期経典の一つの「真理の言葉」冒頭が

これですよ。

ずばっとこれです。

 

書くことに気持ちのせて、心をいいほうにもっていくんだ!

 

実は、今やっている仕事のことも、毎日毎日、書き留めたいことが出てきて、

別のところに書いとめようと、思ってます。

まったくお金になんてならないことだらけですが…がんばろう……

みたいなね。

 

いやね、ほんとーに、ワタシ、いま、超地味な日々なのですが、

その実すっごく琴線に触れてくることが、たくさんあってね。

ある人達にひとりずつ向き合う時間というのを取れる機会をもらって、

初めての事なんだけど、すごいんですよね。

昨日なんか夜、思い出して号泣です。

 

さて。

グレートジャーニ―なのですが、まだ何も始まってないですね。

国立のドトール・コーヒーでクリンギット・インディアンに憧れていた

女子学生がいたという話です。

 

そして日がな本を読んでいたときに。

星野道夫さんの『旅をする木』の「トーテムポールを探して」の章に、

こんな文章を見つけてしまうんです。

 

ハクトウワシワタリガラス、クジラ、ハイイログマ……トーテムポールに刻まれた不思議な模様は遠い彼らの祖先と伝説の記録である。が、それは後世まで残る石の文化ではなく、歳月の中で消えてゆく木の文化であった。

二十一世紀に入ろうとする現代に、どこかの森で、ひっそりと眠るように残る古いトーテムポールを見ることが出来ないだろうか。森の中に倒れていても、朽ち果てていていいから、彼らの神話の時代に生きたトーテムポールに触れてみたい。

 

                 ***

 

二十一世紀に入ろうとする現代に、

どこかの森で、

ひっそりと眠るように残る

古いトーテムポールを見ることが出来ないだろうか。

 

ですと?

 

ハクトウワシワタリガラス、クジラ、ハイイログマ……

そして、トーテムポール、、、

 

この魅力的なカタカナの羅列。

 

   ***

…誰に聞いても一笑に付されてきた。…

昨年の夏、信じられぬ話が耳に入った。

アラスカとカナダの国境近くの海に、クィーン・シャーロット島という孤島がある。そこにむかしのトーテムポールがまだ残ているというのだ。

  ***

 

 

なんだって?!

 

 

…その日、クィーン・シャーロット島の海は荒れ、小さなゴムボートは木の葉のように揺れていた。多くの島々からなるクィーン・シャーロットは、どの島も水際まで深い森が押し寄せ、自然は、人々がトーテムポールと共に生きていた時代と何も変わってはいない。…多くのポールはすでに傾き、幾つかは地面に横たわっていた。苔むし、植物さえ生えるトーテムポールから、消えようとする模様が何かを語り掛けていた。クマの両手に抱かれた人間の子ども、クジラのひれの間から顔を出すカエル…やがて一本のポールの前に来て、ぼくは立ち尽くしてしまった。それは人を葬ったトーテムポールであることはあきらかだった。

……雨はすっかり上がり陽が差してきた。海辺の岩場に座ると、海面は夕暮れの陽光にキラキラと輝いていた。ぼくが腰かけた場所は、背もたれのあるとてもしわり心地のいい岩だった。その時、ほとんど確信に近い想像が満ちてきた。それは、遥かな昔、この岩に誰かが座り、こんあふうに夕暮れの海をみていたに違いにないということだった。

……

いつの間にか、森の中から別のオジロジカが現れ、トーテムポールの間をさまよっている。神話は突然息を吹き返し、この世界の創造主、ワタリガラスの苔むした顔がじっとぼくを見下ろしていた。

  ***

 

神話だ。

 

 ぜったいここには何かが生きている!

 

行こう。

絶対、クィーン・シャーロット島に行こう!!

 

 

単純ですねーーーーーー。

 

こうして、わたしは国立のドトール・コーヒーのあたりで、

クィーン・シャーロット島に行くことをひそかに決意します。

かんわきゅうだいその① 星野道夫さんのこと

 

今、ひとりでルース氷河に来ています。

ここへ来ると、神話学者ジョセフ・キャンベルの言葉をよく思い出します。
「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。今朝の新聞に何が載っていたか、友達はだれなのか、誰に借りがあり、だれに貸しがあるのかそんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ…」

昨日は満月の夜でした。

ぼくはザックを降ろし、テルモスの熱いコーヒーをすすりながら、
月光に浮かび上がった夜の氷河の真っ只中にいました。
時おりどこかで崩壊する雪崩のほかは動くものも、音もありません。
夜空は降るような星で、まるでまばたきをするような間隔で流れ星が落ちてゆきます。
いつかサハラを旅した友人が語っていた砂漠の‘夜’もこんなふうではなかったかと思います。
砂と星だけの夜の世界が、人間に与える不思議な力の話でした。

きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、
そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。
だからこんな場所に突然放り出されると、
一体どうしていいのかうろたえてしまうのかもしれません。
けれどもしばらくそこでじっとしていると、
情報が極めて少ない世界が持つ豊かさを少しずつ取り戻してきます。
ひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまっていた想像力のようなものです。

(『旅をする木』オオカミ より)

 

星野さんの文章自体の時がとまっているようで、

読み進めると一人で氷の上にテントを張っている人の時間に吸い込まれていく。

何年かぶり、何度目かの『旅をする木』。

やっぱり…すごいよ……

旅をする木』 Amazon.co.jp: 星野 道夫:作品一覧、著者略歴

 

星野 道夫(ほしの みちお、1952年9月27日 - 1996年8月8日)は、
写真家、探検家、詩人。千葉県市川市出身。

19歳のとき、神田の洋書専門店で購入したアラスカの写真集を見て、同書に掲載されていたシシュマレフ村を訪問したいと村長に手紙を送ってみたところ、半年後に村長本人から訪問を歓迎する旨の返事がきた。そこで翌年の夏、日本から何回も航空機を乗り継いでシシュマレフ村に渡航する。

……

1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。
1993年、萩谷直子と結婚する。翌1994年、長男・翔馬が誕生する。
1996年8月8日の深夜4時頃、TBSテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』
取材のため滞在していたロシアのカムチャツカ半島南部の
クリル湖畔に設営したテントでヒグマの襲撃に遭い、死去した。
43歳没。

wikiより。http://bit.ly/2ca7OwZ

ワタシノ・グレート・ジャーニー② 誕生~北米編

大学生のいいところというのがあるとするならば、

身分が保証されつつ時間がある、

与えられた時間の中で放置されている

ということに尽きる気がします……

 

 

時間があるので、

駅から5分くらいのところにある、ドトールコーヒー

アイスコーヒー一杯でひたすら本を読む。

ちなみに、なぜドトールか。

当時、私は、国立という街に住んでいました。

この町のドトールはなぜか、かなりおしゃれだったんです。

道の両側には桜並木。2階に上がると木製の広いテーブルが置いてあって、

お花が活けてある。

この町に来て初めて入った時は、おお~これがいわゆるカフェか~!と

しみじみ感動いたしました。

 

 

さらに、学校終わった後週に1・2回くらい、なぜか少林寺拳法の部活に顔を出し、

技を習っていました。香川にある総本山の合宿にも行った。

武道と作法と身体を整えること、知ることに、非常にあこがれがあったんですね。

(ちなみに、かけられる技があまりに痛かったのと、

他の女子大から来ている学生たちの明るさについていけなかったのと、

強くなることに興味もなく、まったく上達もせず、1年位でやめます)。

 

 

それから、あるとき学校の構内に置いてあった

本格的な文芸と写真の雑誌(無料)を手にします。

読んでみると……内容がすごい!かっこいい…

学生たちが作っていることが判明したのに感動して、

参加させてくださいというアクションをおこしたのち、

この場と文章を書くことが学生生活のよりどころとなっていきます。

それを作るために週1回くらい集まる。

 

 

そして、週に1,2回くらい英会話。両親がお金を出してくれました。

先生の口から出る知らない単語や言い回しやイントネーションのかっこいいのや、

そういうものを宝のようにメモしてドトールで復習して自分のものにする。

英語は好きだったので高校時代によく勉強してたから

ガンガン身に着くのがわかって、

別の言葉話すのが楽しい……。そう思ってました。

これは一応自分の財産につながったお勉強でした。

 

そして、居酒屋と家庭教師のアルバイトで稼ぐ。

 

いろいろやってるんですよね…こう見ると。

 

わりと忙しい。

 

いやしかし。

 

何かが、空虚。

 

 

そのころ私は、ひそかに北米のクリンギット・インディアンに憧れていました。

 

 昔から(狼男じゃありませんよ~)

野生のオオカミになつかれ慕われるような女になる!

というのがひとつの女としての目標なんでありますが、

それは、小さいころに読んでいたアイヌのお話と、

写真家の星野道夫さんの影響が大きい。

 

 

台所には火の神、トイレには厠の神、

不思議な地名をたくさんもったアイヌのひとたち。

当時埋められそうになっていた沙流川をまもるため

それから、民族復興運動の最前線にいて、

童話も書いていた茅野茂さんというひとがいて、

小さいころ茅野さんの書いたアイヌの物語に夢中でした。

 

 

そして、星野道夫さんの

カエルやワタリガラス、クマなんかが彫られたトーテム・ポール、

いまは朽ち果てようとしているところをとらえたいくつもの写真。

そして、星野さんの名文『旅をする木』に出てくる逸話と数々の体験の記録。

 

それぞれ叡智を働かせて生きる動物たちと

神様と天体と自然と一緒に生きて、教えをくれる長がいて、

それが代々受け継がれていく。

 

インディアンになりたい…

インディアンみたいに生きたい……

 

わたしは国立のドトール・コーヒーに居て、

ひたすらトーテムポールに思いをはせていました。

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー① 誕生~北米編

私は生まれてから18年間、

ほぼほぼ田舎から出ませんでした。

 

たまにトーキョーに行くことは行くのですが

路線と人の多さへの恐怖と、生来の方向音痴への自覚もあったし、

皆がめきめきと色めき立ち、東京に遠征に行き出す頃にも

洋服を買ったり、美容院に行ったり、雑誌買ったり、

などにあんまり興味ももてず

いちおう話をあわせてみたりするのですが、

結局全然興味がわかないので、そのうちぞんざいになる。

、、、結構、孤独。

 

 接する他者や他の世界が本しかなかったため、小中高と本はとてもよく読みました。

中学2年の時、ほんとうにたまたま図書室で太宰の「人間失格」を見つけて

なんだこれ、おもしろいな、と思って借りようとしたところを

若い男の理科の先生に見つかり

「・・・(絶句)」

という光景がありありと思い出されますが、

全般を通して、学校生活は暗かった気がする。 

 

一部の心の広い変わった図工美術の先生とか、

国語の先生とかには好かれたけれど、大体、先生たちとはとうまくいかない。

小中高と、みごとに全部の段階で担任とけんかする。

さらに言えば、全部の段階で登校拒否です。

 

 

小学校のときなんて一番アグレッシブだったから

ほんとうに嫌いだった担任の先生のことを

「あの先生は〇〇大の数学科出てるから優秀なんだよ」

とかおっしゃった、

机に足乗せてガムを噛みながら子供と接する偉い校長先生がいらして、

なんだかわけわからないのにむしょうに腹が立って、

校長室まで殴り込みに行ったんです、ワタシ。

 

ウケる、、、

 

 

人より自然の方がだんぜん身近で好き。

まあ、友達もいるようで、その実そんなにいなかった

ていうのもありますが

山あいの自然のほうに仲間意識をもって過ごしていました。

 

春になれば、森の近くの川辺に行って、

飽きもせず山の妖精に話しかけながら川べりの岩の上で寝っころがって過ごす。

何かあれば山の神様に真剣に拝み、

地域の神様行事には奮って出かけ、炊き出しに参加。

山の細い道にわざわざとわけ行って

ガスの充満していそうな洞窟に入ってみたり、

首のとれた人形に出逢って飛ぶように逃げ帰ったり

犬猫を拾ってきては皆で神社の裏に隠して飼って

結局私が面倒みるはめになって

首謀者としてご近所さんから後ろ指をさされたり

(不思議とうまい具合に皆どこかへ行ってしまったり貰われたりしたのだけど)

謎の人が住むとうわさされていた空き家に忍び込んで

囲炉裏に歯磨き粉をおいて帰ったり(なんであんなことしたんだろう…)

夏の夜のかえるの合唱の中を散歩しながら

もう二度と訪れない今年の夏を感じてものすごく神妙な気持ちになったり、

目に見えないものを頼みの綱にして生きてた気がします。

 

まずまず、学校以外では、いろいろと

感じようとしてはいた子供時代だったように思います。

 

書き出すと止まらなくなりますが

     (三つ子の魂ってほんとに100までかも……orz)

 

 

そんなこんなで、山際で18年過ごしまして、

高校生のときは、本当に人生で一番大変な時期でしたが

それはまた別のときにゆずるとして、

 

晴れて、東京で大学生になりました!

 

やったー!

 

 

、、、

 

 

いやしかし。

 

 

大学二年になった頃。しみじみ思いました。

 

 

……

 

 

だめだこれじゃ。

 

 

 

空虚。

 

 

たまに運動したまに文章を書き、少ないながらもステディな友人と集まり、本を読み、学校に行き、学園祭にとりくみ、たまに帰省し、試験のときに慌てて勉強する。

 

傍から見たらそれっぽく充実した感じがあったかもしれませんが。

 

いや~空虚!!!

 

 

いったいわたしは、何をしに東京さ出てきたんでしょうか。

 

 

そのときはそんな風に空虚だとか、なんだとか、言語化してはいませんでしたが、

そういう気持ちが火種になって、

もくもくと、

私の中のエンジンがかかり始めたんだと思います。 

荒波と仕事と踊り

いやしかし。

 

いやしかしで始まる記事が多いな、、、

 

いやしかしは感嘆符です。

 

私たちは食べていかなければならないので、いろんな仕事をするわけなのですが、

仕事というのは仕える事ですので、できることならば願わくば神様に仕えたいです。

 

なーんていうきれい事も好きですが。

 

これだけの時代の荒波に出合い、

ああでもないこうでもない、を聞いてくれる人もいてくださる幸運にもめぐまれながら

自分がなににができるのか、なんてことを根掘り葉掘り考えます。

同時に

考えても仕方ない!

行動行動!!

とも思う自分がおり、

そう思えるうちはまだまだいける!

そう思って

水面下で水鳥のように頑張ります。

 

 

いやしかし。

生きるというのはすごいことだなあ……

今日朝がばっと起きるやいなや、

「そうだ!全部味わい尽くすんだ!」

なんて思いました。

いつの間にこんなに熱血先生みたいになったのだろうか。

体調はまだいまいちだけど、自分がうけて元気がでてきました。

 

 

そして、ここ一週間くらい

踊りの稽古をさぼって一人でもがき苦しんでいたのですが、

もがき苦しんでいても仕方がない!行動行動!!

と自分の中で相成りまして、

5月くらいに今いるカンパニーの公演をやることにしました。

今回に関しては、

調和も協調もどんと来ていただいて、

同時に

私は自分のけつだけふくんだと思ってやるのです。

 

あ~なんにも始まってないのにずいぶん苦しかった!

ほんとーに大バカです。

 

 

一つのムーヴメントをともなった踊りを発展させるのは、

じつは2つの方法しかありません。

一、今の動きが面白かったら、それを徐々に変化させることで発展させる。

二、今の動きに飽きたらいったん今やっている動きをストップさせて、間を作り、改め違うことをやる。

 

これってなんにでも当てはまるなって思います。

そのとき面白い方を選択するのがいいんだと思う。

 

「あなた踊りは、会社やめてから伸びて、やっと踊りの入り口立ったわ」

と師匠に言われまして、

おお!ありがとうございます。

の前に

くっそー言いたい放題だな!

なんて思ってしまう私でございますが

自分で実感として思いうのは、

踊りだけやってたから伸びたんじゃない。

技術を身に着けたからでもない(少しはあるケド)。

 

ひとつ何かが腑に落ちるたびに、余計な力が抜けていくこと、

そうすると本来の自分が顔を出してくるらしいこと、

抽象的な表現ですが、それを現実的にあっちこっ駆けずり回って、

会ったり読んだり体験したり自分なりに納得したりしたからかな。

えらそうなこと言えませんが、

踊りは身体がキャンバスだから、いろんなことが本当にわかりやすいのです。

身体と心がひとつだということを、まざまざと私に教えてくれた。

身体のなかのねじれの微細なひとつだって、影響があることを。

 

でもですね。

ほんっとに思うのは、、、

なにをやったっていいんだ。全部修行だな!とおもいます。

現実に生きる事って、ほんとに大事。

インドの精神世界の偉いグルがいったと聞き及びました。

「すべてのビル(請求書)の収支を計算しなくてはいけないよ」

想いは重い件

身体の調子がおかしい。

昨日から心臓がほんとうに

心臓の形でもってどきどきしている

どきどきして心臓が痛い。

「救心」してほしい…

おまけに体に湿疹ができている…

手の皮膚がなんだかすれるように痛い……

おかしい……

一体、何が起こっているんだろう。

 

案外じつは繊細なワタシ。

 

 

行かなければいけないとわかっていながら、足が向かない。

いたわらないといけないとわかっているのに、近寄れない。

意識を向けるだけで、何とも言えず元気がなくなる。

 

いったい何なんだろう。

 登校拒否児童のようです。

 

いやしかし。

人のためになることっていうのはいったいどういうことなんだろう。

 

あるひとと話をしていて

「あのひとの痛みは、わたしの痛みです」

ううむ。

そうか。

思いやりだね。

 

でも。。。

 

わたしの元気はあなたの元気でもある。

あなたの元気はわたしの元気にもなる。

 

自分がどうしたいのか。

自分が元気になるのはどうしたらいいのか。

大事なのはそれじゃないのかな、、、

 

わたしに思いやりが欠けているんでしょうか?

調和はそんなに大事なんでしょうか。

調和するってことは、自分の元気レベルを下げて

場に同調することではないと思うから

だから

まあ、、、

調和大事ですが、、、

自分の事しか責任が持てないと思う私がいる。

 

 

「あなたがいないと何もできない」

なーんて言われ

わたしがいないと物事が動き出さない事態にも直面して

これは何かの力が働いているよなーー!と思う反面

想いが重い。

でも、このおもりが外れたからって、

天高く飛び上がれるわけではないこともわかる。

 

でも、

今わたしは自分の元気にしか責任が持てない。

朝、元気に起きられないと一日が進まない。

協調性のない人間と思います。

でも、情で動いて自分を抑えてはいけないことも学んだ。

 

どうしら自分と他人のその二つの輪がうまくかみ合って

動けるようになるのか? 

 

昨日、あるひとに言われました。

 

毎日を全力で生きることです。

そうしている人には、根源の存在でさえも手が出せない。

でも、全力で生きるってよく言われるけど

どういうことだと思う?

それどうやったらそれができる?

、、、

もう嫌だ、死んでしまいたい、死ぬってなった時に

はじめてほんとうの力が発揮されるんです。

だから、嫌だ、もう死ぬというところまでやってみる。

それらね。

「嫌」という感情を、よく見ることです。

、、、

感情ってなんだと思いますか?

――リアクションでしょうか?

そうです。

じゃ、なんのための?

ーー自分を守ること

守るだけ?

ーー攻撃も、、、

何を守るの?…そう、肉体でしょう?

 

形あるものはみ体を守るために反応するんです。単細胞の時からそうなんだよ。

だから、身体は本当に大事。

肉体を維持するのにいちばん必要なのは、

呼吸と、、、、食事ですね。

 

お釈迦様も苦行をして気づいたんです。

食べなければ、死ぬ。息をしなければ、死ぬ。

貪瞋痴にあるように肉体にとらわれてしまう。

肉体にとらわれないようにすることが、とても大事なんです。

健康

という文字を本当に考えたことありますか?

 

、、、ああ、なんか今日はわたしのエンゼツでおわっちゃった!

 

とその人は昨日はバツが悪そうだった。

 

でも、調子よく終わった時はこう言ってたね。

「わたしがいま一番言いたいことわかる?え、わかんないの?

 

 

自分のケツは自分でふけっ!てことだよ!

 

 

ううむ。

この人すごい人なんです。

どうすごいかって

全部「読ん」でしまうんです。

そして、徹底して自分で知りなさいという。

自分でわかるんだよ。できるんだよ。思い出せるんだ。

 

そして遥か先にいるのに、フツーに生きて、フツーに人と交わり

そして非凡に事を成す。

 

かっこよすぎる。

 

また、改めてかけたらと思いますが、

たまにその人がブラックホールに見えます。

 

 

協調性より調和より思いやりより、

まずけつをふけるようになることだと。

どうしても私もそっち派です。

それだってなかなか難しいんじゃないですか?