日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌 ーakiko ootsu

ハンディのあるひととともに踊る会…とは一体何か?習う事から想う事。

受けているばかりではあまり気に留めないことも

自分が提供する側になるとわかることはたくさんある。

  

 

小学校から徹底的に叩き込まれたこの根性はもちろん自分にもあって

それがいままで非常に自分の気を損ない、周りの気を損ない、

ひいては世界の気を損なってきたんだろうな!

と思うこと、、、

 

それは、日本人の「受け身根性」について…

であります。

=消費者根性、なんだと思いますが……

 

実の所、わたしは、20歳をすぎてからいろんな教室に通っていた。

 

一番最初は、高円寺のとあるビルの上にあるヨガ教室で

ベーシックなハタヨガを2年くらいやった。

後、先生が移って行った馬喰横山のとあるデカいヨガスタジオで、

ダーマ・ミットラー・ヨガなるものに数年。

24歳から2年間は、竹内さんの演劇のレッスンに参加しながら

渋谷のバレエ教室に足しげく通っていた!

 

その後、地域のスポーツセンターで出逢った総合太極拳チャンピオンの先生のクラスに毎週1年間通いつつ

とあるヨーガ学院ので毎日朝7時からヨガにいそしみ(当時必死だった)、

沖先生がなくなるまで沖ヨガで改造班の長をされていた先生の

動禅式指圧を習うクラスにもいってたりした(途中で金銭的理由等により修了をえるのはストップ)

――まだまだ幾つかあるが略――

 

が。

 

 沖ヨガの先生とか、竹内さんのところとか、現在のヨガのクラスとかを除いて

大部分は一方的に先生が教え、マスな人数の生徒がそれを受ける、という構図で、

スポーツクラブよりはマシかもしれないけど、

基本的に、その「場」をつくるのは、先生。「消費」するのが、生徒。

お金を払っているのだから、そのぶんの「対価」頂きます、

というスタンスの支配する完全に

資本主義的な構図、、、だったように思う。

 だって、それがわたしたちが、小学生のときから叩き込まれ、刷り込まれてきた、根性、なのだから致し方ない。

 

これに対する疑念が生じたのが、

「こころとからだ」という、私の舞踏の師匠がはじめた、

ハンディキャプの子たちと踊る、というWSだった。

 

 

基本的にこのクラスでは、マッサージ・リラックス体操・気の交換など、

人と一緒にすることが多い。

 

しかも、その相手は、知的障がいのある方だったりすると、

これはもう「お金を払っているのだから、その対価は頂きます」スタンスで居たら、まったく場が成り立たないのであります。

 

障がいのある人も、健常の人も、おんなじ金額を(少額ですが)払ってるのに、

下手すると、ぜんぜんマッサージ的には成り立たない子とペアになったりして、

1から面倒見ておしえてあげないといけなかったりする。

 が、箱をあけると教えられるのは健常者だったりするのだ、これが。

 

だから、受動的な癒しとかを求めてくる人とかは速攻でいなくなる。

 

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どうだ!お互いの小指をマッサージから発展したこのカオス!!

 

が。

 

だがしかし!

 

わたしはこの場所で、

人間の本質的な「やさしさ」みたいなものに出逢った気がしているのです。

 

それは、まあ

このクラスにこれている大半の子が

「習い事にお金を使う」余裕のある家庭の子であり、

基本的に自立的に活動が出来る子たちである、

ということも大きな理由ではあるのだけど……

 

彼れらの多くは、その場にいる友人たちを「気づかう」。

 

多くのクラスで、教える先生と受け身の生徒の構造の場合

なにか質問をしても「シーン」としてたり(あるある!)

自分の不快を周りに発して

「話しかけないでくれモード」を作ったり(あるあるある!)

誰とも口を利かず「むすっ」としてたり、

そういうふうな自他の「気を下げる」行為をする子は、

基本的にひとりもいない。

 

ちなみに、そういうふうにして「下げられた気」は

「上げる人」の負担となっておおいかぶさり、

その場のみならず、自分の気すら相乗的に下げることになるんだと

わたしは確信している。

 

ハンディのクラスにいると、健じょう者も解き放たれる。

みんな一生懸命、ときおりサボリ、いやだったらやらず、他の子を気遣い、

いたずらし、楽しみ、先生が困ってたら協力し、

めいっぱいの存在として、個性爆発してる彼らの近くに居ることで

誘発される、「子どものとき」みたいな自分の姿。

そこには、他者の気を奪うみたいな、そんな姿はぜんぜんないのです。

 

そういう「気の良さ」のなかで行われるマッサージは、はっきりいって

そんじょそこらの1時間8000円くらいの高額マッサージより「全然効く」のだ。

その場で身体をうごかしてるだけで、なんか元気になって来るんだもの。

 

ほんとに「ヒーリング」というのは、

ヒールする側がどれだけの「気の通りの良さ」をもってして

相手に接しているか、

愛があるか、

その場所がどれだけ安心できるかで

その度合いが決まるんじゃないのかなと感じる。

 

技術はその次、なんだと思うのだ。

 

うまくいえないけど、愛の深さと肚の座り具合が、実際の圧の深度だったりする。

一日経ったおばあちゃんのおにぎりがすんごい美味しく感じる類の話と

基本的に一緒だ(たぶん)。

 

そして、彼らとつくるダンス自体も、「自意識」が浅い分、

ほんとに本質的な「ダンス」が立ち現れ、そしてその場限りで消えていく。

まさに「いま・ここで・このひとたちと」でしか果たし得ないなにかが

クリエイトされていくというゾクゾクするような瞬間にたくさん遭遇してきた。

 

ほんとに、それは、幸運だったと思う。

 

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ダンスクリエイションの図。ふたりともキャラが濃い

 

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イケメン作曲家のよーへい君が協力しに来てくれた図。その背後にくつろぐAちゃん。

楽しかった‼

 

そんなこんなな場がこれからどうなっていくのか!

たいへん気になる処であります。

 

そして…4月はあと一回、わたしのクラスになります。

よければぜひぜひご参加ください!おまちしてます。

 

 

4月21日(土)18:30~20:30@高円寺障がい者交流館

場所:高円寺障害者交流館(杉並区/その他の福祉施設)の地図|マピオン

費用:ひとり1,500円

問い合わせ、お申し込みはお待ちしてます!

 

苦心してフォームをつくった!

わたしに触れているものの全て

昨日はわたくしなんと、誕生日でございました!

おめでとーございます、わたし!!

1日前までは実に神妙にお祈りをしたりしてたのだけれど、
誕生日はケロっとしたもので、一瞬の感慨とともに淡々としておりました。
大人になったんだなあ!!( ̄ー ̄)

いやはや。
性別判定も進んでなかったかの頃、
お腹をけりまくっていたため「男の子」だと思われた赤子は
日曜日の深夜という、まさかのダブル追加料金を取られながら
女の子として誕生したのは35年もむかしのはなし。


まさか自分がこんな歳まで生きているとは
思わなかったなあ!



昨日は、
インド帰りのヨガの先生よりインドの気をたっぷり頂き、
ヨガフレンズたちとインドカレーを食し、
(ここに来る女の人たちは、みんなどこか巫女みたいな人たちばかりで
正直、空恐ろしいくらいですが、なんか、すごいです。)
ひそかにヨガの出来映えに消沈しつつ
あかるくたのしく過ごせたことが
誕生日としては非常にうれしきことでした。



今日、一人稽古の最中、やっぱり地と繋がるには
四股を踏むのがいいんだろうな!
と、自分なりのアレンジしたりして実践しておりますわたくしはやっぱり
ちょっと、変わってるのかもしれませんが、

そんな日々でも発見がありました!


なんかフッと・・・

わたしが空気に触れている、ということは

空気も私に触れているんだ!

私は世界に触れられてるんだ!!

と気づいたのです。


と、その瞬間に、モードが変わりました。


手をあげるときも空気が私に触れる。
前に進むときも空気が私に触れる。
この感覚は日常では麻痺してるけど、確かに、在る。
そして、空気は無限に広がっている。
そこに起きた波紋は一切にひろがってるはずだ、


目に見えない、大きな大きな広がり
永遠のつながり
永遠の連なり

その一端にいるのがいまここの私。



これって、、、、すごくないですか?





もっと直感を磨いて、もっと地とつながりたいと願う35歳であります。


びっくりするような、

思いもよらない、

想像をはるかに凌駕するような一年を、

あっと驚く大どんでん返しと、

ウレシくって周りをぐるぐる廻りたくなるくらいの出会いとともに

なにとぞ、わたしに……

頂戴よ、カミサマ!


そーゆーの、大歓迎だからね\(^o^)/



みなさま、どうかこれからもお付き合いくださいませ!


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満月と桜@井之頭公園

moving on with you

何かに頼ろうとか、どうにかしてもらおうという気持ちが

なくなるってことは、いいことだと思う。

もはや、どこを見ても、頼れるものなんてない。

どこを見ても、正解もない。

 

すがっていいのは、神様だけで

正解を知ってるのは、神様だけ。

そして、その正解がまたとんでもないことだったりするのが

神様、ってやつだ。

いつか植原先生も

「I love you」(全て従います)っていうのは、神様にだけ言うもんだ、

と言ってたのを思い出した。

 

明治の聖者、弁栄上人は、

歩いても歩いても、下駄の歯が減らなかったので、不思議に思った弟子が

その理由を問うと、

「わたしは阿弥陀様におぶさっているのだから」

と言ったらしい。

ラーマクリシュナの熱狂的なカーリー崇拝もそうだし、

赤ん坊がお母さんにすがるみたいな気持ちで全部託せるのなら

下駄の歯は減らないんだと思う。

 

この話はほんとうだと思った。

 

 

ああ!そうなんだ、神様は、「実在」なんだ。

と思って、はっとする。

 

今日は、釈迦の誕生日。

バラの花をさしあげて、クムクムをつけさしていただきました!

(でもお釈迦様クムクムあんまり好きじゃなかったらどうしましょう(*´▽`*)

でもって、ゆっくりお経唱えました。

 

ほんとに、マントラってナーディーの通りを瞬時に良くしてくれる

魔法の回路を開く言葉だなあと実感する。

 

 

 

はてさて。

 

今日ひとり稽古をしていて、気づいたのだけど

踊りって、死者をひき連れているものなんだ、ってことだ。

死者を引き連れて、願わくば、光に化さんとす、

そういう気持ちがなければ、成立しないものなんだ。

そういうふうに思ったら、感じる世界の量がものすごい変わった。

 

闇の側にも加わる。そして、光の方にも向かう。

その両方が必要。

闇の側には死者だけじゃなくて、自分の埋もれてしまった感情や

どろどろした黒いものや、そういったものだってもちろん含まれていて、

そして、そういうのもまた、

光と化す胚を持っているんだ、ということだ。

 

そして、匂いや、記憶や、手触りや、色や、光や、闇や

そういう「むこうがわ」を取り入れる事が、踊りだけじゃなくて

生きる事そのものなんじゃないのかな、と思った。

忘れてしまっているだけで。

 

             ★★★

 

そんな「むこうがわ」しかない世界を描く人が居る。

・・・人が、居た。が正しい、、、

 

石牟礼道子さんの

『花びら供養』を読んだ。

少々値が張って、ええ、、、一瞬ためらいましたけどもね、、、

大事な本だけは、定価で、書店で買いますよ!

買い物は、投票だ!

 

えい!

 

で。

そこにはこうあった。

水俣に大学を作ろう、という話があり、その呼びかけ人に名を連ねてほしい

という依頼に対して、こう拒絶するんだ。

 

イ・私はこれを論ずる資質と能力がない。ものを書くということは

負の世界に居る事だと思う。プラスということは出てこない。

大学の創り方とは交差するところがない。余力も全然ない。

ロ・大学設置で水俣再生の手がかりが得られるという考えもあると思うが、

自分の居場所とは、別世界のこと。わたしの中のこの地は、あまりに傷が深く、

私の吐く息はそこまでは届かない

 

 

 大学は現実とあまりにかけ離れていて

「大学」という「プラス」とその現実が交差しない。

「マイナス」からしか、書くことが出来ない。

 

と、おっしゃる。

ここだけ抜き出すと、すごいバッサリした感じがあるかもしれないけど

とても丁寧な断りの文章で、終わりに「些少ですが、切手代を同送します」

とある。

 

世の中にある大学はみーんな「プラス」だ。

ここに含みこめられた「プラス」への非難をかんじるたびに

胸がぎゅうっとなる。

 

祖母は精神的な病をかかえていて、その祖母とよく一緒にあるいた

「神経どんの孫」

と呼ばれた石牟礼さんの描く世界は、

ものすごい豊潤だけど、おためごかしとか表面的な飾りが一切ない。

そして、ほとんどこの世を諦めている。

 

でも、その文章を読むと、昔はどれだけ「向こう側」との行き来があって

それがどれだけ豊かであったか、

ということに想いを馳せないわけにはいかない。

 

そして、ある一章には、水俣病に苦しんだ人の

「知らんちゅうことは、罪ばい」という言葉があててある。

もちろん、知識として知る、ってことじゃなくて、

現状のありのままを知ろうとしないことに対する非難なんだと思った。

 

ありもままを知るってことは、すんごく怖いことだ。

ベールをつけておいたほうが、楽だもん。

そして、心配しなくても、公にされることはほとんど

巧妙にベールがかけてある。

そのベールを自分でとるかどうかなんだと思った。

 

むかしの豊かな世界は、未開な世界といわれて、

敬遠され、なかったことにされてきたけれど

今、そっち側に戻っていかないと、手遅れになる。

という確信だけがある。

それで、無意識的にだけれども

いろいろと動ている部分も大きい気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡の回復とクラスの宣伝

昨日午後から、ワタクシは

有り得ないほど体調を崩しました。

 

頭が有り得ないほどガンガンガンガンし(常日頃頭痛がないのでこれは堪えた)

両肩は固まり、首は凝り、いったいこれは何なんだろう、

何か呪いなんだろうか!?

考えることも出来ず、立っていられないほどでした。

 

実は昨日は、お誕生日の友人のお祝いに、

我が家でベジ麻婆豆腐を食する予定だったのに

キャンセル。

うおー申し訳ない!!!まじでごめんなさい!!!!

と思いながらどうしようもなく布団に倒れ込むワタクシ。

 

以前のインドでの地獄の気持ち悪さを思い出して

ルン・ルを聞けば治るかもしれないと思ったのだけど

ルン・ルをもってしても、今回はだめだ・・・・

 

実は以前、鶏肉を食べられたので、

豚肉を食べてみるか!と食べた日の夕方

ものすごい吐き気にみまわれたことがあって

これってプラシーボなのかとか思いつつも、

やはり肉はだめってことかなぁぁぁと思っておりました。

 

今回も、実は、肉じゃないけど思い当たる節があったのであります(スイマセン)

もしそれがほんとだったら、

神様の仕打ちはほんっとーに解り易いのではなかろうか。

っていうか、これは愛なのか?

そのように思いました。

 

だが、愛の鞭は苦しい。

やっとの想いで漢方飲んだり、ハリタキ飲んだり、白湯を飲んだりして

就寝19時。

眠っていると、腕があらぬ方向に勝手に動くので目が覚めた。

自分で力を入れている訳ではないのに、すごい動く!

その後、眠っていると、足がバン!と跳ね上がるので目が覚めた。

えええーついに一人活元するほどになってしまったのか・・・・

(踊りの師匠がものすごい一人活元をするため、恐怖の「見覚え」感。)

そうとう身体に何か異変が・・・・

そんなことを思っているうちにまた眠りに落ち、

 

起きたのは今朝11時。

 

16時間寝てたよ・・・・(ノД`)・゜・。チーン

 

そして起きてもまだ頭がガンガンしている。

 

そこへ…ミラクルなる一本の電話が・・・・・

 

これが神の救いでありました。

 

後、いろいろな出来事が舞い込み、

ミラクル奇跡の回復を見せたわたくし。

 

今日は、ハンディキャプの子たちとのクラスがあったので

どうしたもんかと思っていたけれど、無事に終えることが出来ました。

しかも、いい感じで・・・

(´▽`) ホッ

 

ということで、宣伝。

 

今月は、まだまだクラスやります!!

 

4月14日(土)・・・こころとからだ 18:30~20:30 @四谷三丁目

四谷にてダンス+ギター with ハンディのある子たち。参加費1,500円。

友人のギタリスト君が今回も参加してくれます。技術的にすばらしく上手いので

個人的にすごく楽しみです。

 

4月15日(日)・・・からだの会 18:30~20:00 @高円寺

参加される方の身体の不調を聞きながら進めますので、内容は毎回変わります。

身体の滞り=心の滞りと、毎回実感します、、、流れのよい身体に…。

今は若きOL中心になってますが、どなたでも対応可。参加費:ドネーション制!

 

4月21日(土)・・・こころとからだ 18:30~20:30 @高円寺

14日とは場所が違います。今回はギター無し、プレインな回ですが、

身体を緩める時間と、踊りを深められるような素材を用意します。

参加費1,500円。

 

以上、4月はいっぱいやります(といっても4回だけど…)ので、

どうぞ、よろしくお願いします。もっとやっていこうかなと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

心のなかで、一揆を起こそうと思った。

もう終わるかと思いきや何波もきている現在の仕事についてわかったことは

これは仏陀にやらされてる仕事なのかな、

ということです(・・・という偶然の多発)。

 

ですが、ここは日本の社会。

持ち前のあまのじゃく精神がむくむくと湧いてまいりまして

社会的な権威者のいう事を全然!全然!聞きたくない私がおります。

というか、耳の構造上  聞こえないのです、あんまし。

ある方に「ひとの言うこと 聞かない耳の形してる!」と爆笑されたこともありますが(^_^;)

昔っからなので、もはや根っからもった性質なんだとおもいます。

小学校のころなんか担任はおろか、校長先生にケンカ売ってたし。

社会的権威でいばってる方々が心底だめなんであります……。

 

でもね。

仏陀となると話は別で、「…はい、、やるしかないすよね…( ;∀;)」となり

それによって、かろうじて社会生活を営んでおります。

たぶん社会生活ができないであろうことを見越しての

神様のお助け、なのかもしれない、なんてことを想ったりする今日この頃。

 

そんなこの頃、わたくしは、メダカの学校、という場所に行ってきました。

知ってます、このお話?

 

 

種子法のベースにあったのは、新しい品種をつくるために素材となる品種=遺伝資源は、国や都道府県が“公共の資産”として持つという考え方です。これが民間に委ねられた場合、遺伝資源を基にして改良された新品種について、改良部分だけでなく種子全体に特許をかけ企業がその所有権を主張するということも起きかねません。ロイヤリティ(特許料)を払わなければその種子が使えなくなる。遺伝資源が企業に囲い込まれてしまう。これは「種子の私有化」を意味します。

 すでに民間が主体となっている野菜などの作物では、圧倒的な技術力と資本を持つ数社の多国籍企業が、中小の種苗会社を次々に買収し、世界中にシェアを拡大しています。今スーパーなどで販売されている野菜の多くも、そうした多国籍企業の種子によるものなのです。種子法がなくなることで、公的に支えられてきたコメや麦などの主要作物の開発についても、効率や経済性の追求に傾いていかないか心配されます。

 もともと種子というのは自然のなかにあったもので、人間との関わりでいえば、どんな新しい品種もその基になる種子は数万年の歴史の中で先人たちが積み重ねてきた改良の賜です。そうした本来は公のものである、もっと言うと、“誰のものでもない”種子を、特定の誰かが所有していいものなのか。しかも、人が生きていくのに必要な食べ物の種子が一部の企業に独占されるのを許してしまうことに私は違和感を禁じ得ません。

 

 

なんだか、最近ほんとうにずっと「種」のことが頭を離れないのです。

先日の踊りも、「種子」をやりたかったのです。

種というこのすごいもの。

 

「種」なんて、いちばん神様に近いものが、

「所有さ」れ「手を加え」られ

「独占」される。

 

 

この半端ない気持ち悪さ。身震いするような気持。

もはや農協で買う種もみなF1種なんだそうです。 

 

在来種の「交換」すら制限されるという事態に

反骨精神がものすごいかきたてれてきました。

 

これから、表面的な安寧と引き換えに

奥の方ではものすごい穢れが起こって来るのだろうか…という感じすらします。

だって、そうでしょう・・・?

 

もう大事なものが守れないのは、ほんとうに、いやなのです。

 

 

「メダカの学校」は、いろんなことを教えてくれる。

黒焼き玄米の方法も、野草の食べ方も、マコモの栽培方法も、浄化法も

味噌づくりも、お米の栽培方法も、黒焼きの梅の方法も。

はじめて学校に、まじめに入学したいと思いました。

 

今日は私が恋い焦がれていた「たかきび」(自分で作ってみたかったの!)

それから「インゲン」の在来種の種を買ってきました。

 

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これからは、一反百性の時代、なんだと思います。 

 

心の中で、権威に一揆を起こしながらの

 

 

 

 

 

 

インドの気とけつじょうのおはなし。

今日はすばらしいプレゼントをいただいた。

古くからの親友から新宿で手渡された、はちみつみたいな

できたてほやほやの

 

THE GHEE!

 

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(とろっとろのギーです。うれしいな♪) 

 

先日、公演が終わった後には、

なんと、ヒマラヤ3億年前の塩を持ってきてくれた。

これがまた、すんごいきれいなピンクでさらさらなんですね。

 

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完全に、わたしの喜ぶものを把握しておられる・・・・

 

ありがとうございました!

今晩牛乳に入れていただきます。

 

そして、今日インドから帰って来たインド系カナダ人の友人から

メールが入った。

奇しくも、ヨガの先生も今日帰国する(はず・・・!)

っていうことで、「よく帰って来たね!」というメールを送ったら

日本語でこんな返信があって、胸を打った。

 

あきこ!

 

はい、東京は綺麗でした 飛行機から。桜が 砂糖 みたい。

 

ヨガ の先生も! あなた はインド の気 が胃杯になります。すばらしいですね。

 

「桜が、砂糖みたい。」

 

って、はあ~そうだねえ。。。。

今日はよりいっそうきらきら舞ってました。

 

「あなたはインドの気が 胃杯」

 

・・・たしかに。ギーあり、塩あり、インドの気、お腹いっぱいです!

 

(´∀`*)ウフフ

 

さて。

 

今、私の中で強烈に「来ている」ことがあって、

これはもしかすると、ずっとやることになるのかなーと思うことでもあって、

熟成させよう、そして、ちゃんと「自分で決めよう」と感じている。

そしてもうちょっと確信が出来てきたら、

ちゃんと人に話せるようにしようと思う。

 

それにしても「来る」っていうのは、すごい。

 

私の場合、自分で言うのもなんだけれど

ものすごい偶然の連鎖みたいなものが多発して「来る」ときがよくあって

そういうときは、それに逆らわないでできるだけ行ってみる

っていうスタンスで付き合うようにしてきた。

 

例えば。

 

メキシコに行く前に「聖母マリアの秘密」という本を読んでいて

はっと思い出して、メキシコで、グアダルーペのマリア様の場所に

一日だけとれた休みの日に行ってきた。

グアダルーペの聖母マリア。メキシコその4 - 日月日誌 hitsuki nisshi

そうして帰国すると、友人から、上記の本の著者の話会に誘われ

眼科に行ったら、隣の人が聖母マリア関連の本を読んでいて

ぱらぱらめくっていたページが「グアダルーペのマリア」で止まり、

フラッと入った教会が自分にとっての祈りの場所になり

更に著者にありえないタイミングでばったり会い

更には、電車から降りて階段を下りていると

背中にグアダルーペのマリアの印刷されたパーカーの人が前を歩いたりするのだ。

 

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(目をうたがいました・・・)

 

こんなの偶然で起こりっこないのだ。

 

だから、これはこれとして、何らかのお示しなんだと思う。

 

同時に、今私がとってもとっても強く思うのは

「自分で決める」

っていうこと。

 

あるところで出てきた

「決定(けつじょう)」

っていう言葉がいま頭から離れないのです。

 

自分で決める、ということは、その決断に自分が責任を持つ、っていうことだ。

そして、とにかく苦手だろうがなんだろうが

やってみる、っていうことだ。

 

「来る」ものに関しては、そこまでのプレッシャーがなくて

「来ちゃったんだからしょうがないよね・・・」

っていう、ある意味責任転換があるのだけど、

自分で決めたことに逃げ場はない。

いやね、これだって、自分で決めたって思ってるだけで

ほんとうは既に決められていること、なのかもしれないけど

でも、「決定」って、ほんとうにすごく大事なことなんだろうと

思うのだ。

自分で決めることは神様が決めることなのだ、きっと。

 

更に言いますと。

 

ひとつの「決定(けつじょう)」が出来たら、

 

たぶん、わたしには彼氏が出来る!はず

 

という確信がある……


 

いや、ほんとうに、きっとそうなのです。


ただ一人に「決める」ってことなのだと思うのですよ。

来ちゃったから、しょうがないよね、じゃなくて

あなただけ!

っつって。

 

他の可能性は切り捨てる。


いやはや

もう待っている時代は終わったのだ。


自分で取りに行く!


っていうことを、決定の言葉とともに、決意したいと思います。

(いや、彼氏のことじゃなくてですよ、もっと大きな部分のおはなしなのですよ。笑)

 

そんなこんなで

節目の日に引くタロットカードにはこう出た。

 

第一カードが「山」(今年の1月1日に出たカードと一緒)

そして、サブで「水」・「鏡」

 

このカード=『ポエタロ』はものすごいです、ほんとに今を映します。

 

「山」

山のいのちと結ばれているあなたの中心を感じてください。心配はいりません。

「水」

かたちを変え、めぐりゆく水。穢れを浄め、生命をはぐくむ水。立ち止まることが苦手なあなた。そのまま流れに身を任せていて大丈夫です。うるおいと透明感あふれ、気のめぐりも順調。

「鏡」:ましますかみは おのれのうちに

ありのままの自分と正面から向きあい問い続けることの象徴です。その問の先にあるのが、自分の中の「神性」との出会い、一体化です。

 

 

そうです。

今あるものを大事にして、

今来ている流れを大事にして

いままでの縁とこれから訪れる縁とを大事にして

人生を切り開いていきたいとおもいます。

 

というばりばりのエネルギーに満ちた4月1日でした。

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桜の精とトンデモナハナシ

3月も終わり・・・

ここ2週間くらいで、はじまることとおわることと

何かものすごいラッシュだ。

やっぱり、桜の季節ははじまりと終わりの季節なのだな・・・・。

 

そんな合間に、井の頭公園をプラプラ歩きながら

あ~あ、こんな満開の桜なのに、誰かと一緒に観られないなんてね~

手でもつないで歩きたいわね~(ノД`)・゜・。

世の中うまくいかないわよね~(ノД`)・゜・

と思っておりました。

 

と、しんみりしながらふらふら歩いておりますと

あまりにも!あまりにも!!タイムリーすぎる方とばったり会ってしまい、

(その5分前くらいに、友人とその人関連のやり取りをしていたのです)

その後、日を改めてお昼を食べながらボートに乗り

桜を観ることになったのでした。

(その人曰く、自分の都合に合わせてる場合じゃありません、

桜に合わせるんです!一日遅れたら散っちゃうんですよ…)

まぁまぁ、沢山のカップルの群れ!国籍多々!年齢多々!!怖気づく私。

で、はっと気づいたんだけど・・・わたくし、、、ボート処女だった!(´゚д゚`)

ボーイフレンドならぬ、ゴッドフレンドに奪われた……(笑)

さくらはスゴカッタです!

 

 

もう、「こっち観て観て~!わたしここよ!!」

と言わんばかりに、生を燃焼させながら命を振りまいている花たち。

 「花の精」

ってほんとうにいるな、ってわかりました。

この「精」を取り込むための儀式が「花見」。

そんな風に、感じました。

 

f:id:akikologue:20180330234053j:plain精たち)

 

近年まれにみる、すばらしい花見、でした。有難うございます!

 

 

思うに。

想いが実現する速度が、、、、

よく言われることですが、、、、、

もんのすごく加速しているような気がします。

 

久々のルン・ルに参加したら、私の顔を見た先生が

「あれ?何処か行ってきた?」

とおっしゃる。

「いえいえいえ、何処にも!どこか行ってきた感じがしますか?」

「うん~雰囲気が随分変わったね!」

とおっしゃる。

 

そういえば、自分の体感としても、なんかここにきて何かがすごい違う。

更にマニアックな事を言うと、

ルン・ル中ものすごい尾骨のあたりがジリジリする。

これは多分、クンダリーニが活性化してるんだな、、、と寝ながら分析する。

さらには眉間のジリジリも、胸のチャクラの感覚もなんだかすごいのだ。

 

これは、たぶん、地球が頑張ってるんじゃないだろうか?

そして、神様は今、ホントに本気だ、って、なんか、感じるんです。

その位、切羽詰まったところに来ている、ということでもあると思います。 

 

……そういえばこの間、屋上によじ登ったら

目の前を光がふわあーっと光って消えていったのです。

 

何かが、何かが、起ころうとしている直感がある。

それは、地球とそれを取り巻く大きな大きなものの采配だ。

 

だから、そんなわたしたちに今出来ることは、

できるかぎり自分を見つめて、自分のホントの声を聞いて、

身体に溜まっている邪気を出して、

やさしさと共に

いい方へ、いい方へ、みんなで向かっていけるように

祈ること、だけだと思う。

 

祈りのかたちは、皆それぞれでいいのだから。


やさしいことは、何よりも強いことなのだから。

 

徒然なるままに、とんでも話、でありました。

 

 書きたいこと溜まってるな!