日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行く今と日々のアーカイブとして綴っています

夜明け前、辛抱これまた嬉し

きのう、インビジブルなお話を書いたのですが、書いた直後から

頭痛がすごくて……

書いちゃいけなかったっぽい(/ω\)

 

いたこさんにお会いして、インビジブルなお話をたくさん伺ったよ、

現在の諸々のシンクロについても教えてもらったよ、

というお話でした^^;

 

昨日は、ルンルに行ってきました。

 

場所を間違えて、30分遅刻して、

行ったらもう、すごい風が吹いているような感じでいそいで支度をして…

寝そべった。

  

前回は、こんな感じになってしまった

わけですが、毎回 全く ルンルは違うので

今回どうなるかは予測がつかない。

 

今回は、諸般の事情で頭痛で頭ガンガンしていたのですが

身を横たえると、会場がいつもとちがって

間接照明的ないい感じではないですか。

 

すぐにリラックスしてきた。

 

少しして

 

 

あれ?

 

 

何にもないや

 

 

音もない

 

 

全く何の音もない

 

 

空気もない

 

 

凪いでいる

 

 

時間もない

 

なんかそう感じられる

 

 

でも

 

 

 

でも

 

 

 

何かが

 

 

すんごい満ち満ちてある…

 

 

満ちてるよ…

 

 

すんごい充実

 

 

すんごい密度

 

 

ここはどこだろう?

 

 

そんな感じがずっと続いて

目からは涙がババっと流れる

 

前回みたいな嗚咽にはまったくならない

 

ただただ、涙が出る

 

 

そうこうしているうちに

ルンルは終わった

 

 

いろいろと質問だったりお話タイムがあって

 

わたしは今日のできごとを言おうかどうしようかなーと迷って

最後のほうで、ちょっと手を上げて

かんじたことを言ってみた

 

ウン、ウン

 

と先生は、うなづいて聞いてくれる。

 

 

「それで~うまく言えないんですけど、

満ちてありました」

 

 

 

そう!

 

ないのに、ある!

 

そう先生はぱっとおっしゃって

 

一年に1、2回、そういう風に仰ってくれる人がいます。

 

人生変わるよ。

 

ありがとうございます!

 

…っておっしゃって

 

え!あ、ありがとうございます!

 

と返答して 

 

そしたらすぐ次の方が質問したので、

わたしの質問タイムはおわった。

 

 

人生変わるよ

 

って

 

人生変わるの?

 

ないのにある場所に行くと、人生は変わるの? 

 

 

なんか、すごい

嬉しいな…励みだな…

 

もう、現象的に

 

超停滞

 

だからね、私今。

 

すんごい停滞だよ、これ。

今まででいちばんの停滞。

 

 

でも今は、この停滞を停滞のままでちゃんと

すごしたいと思ってるんだ。

 

停滞してるのに、停滞してないですってわちゃわちゃ頑張るのはやめて

どっかりと、この停滞に腰を据えてあじわって

次に来る風に身を任せたいとおもいます。

 

今日はすごい雲を見たよ。

龍神鳳凰だ!

ものすごい立体感のある龍(下)と美しい鳳凰

ジャン!

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破壊序章

ラメッシ・バルセカールのご本をお借りして読んだ

から、なのか……?

 

「私」が音を立てて揺れている。

 

そっかあ…

 

私は私に起こっていることをただただ起こっているママに

知ることが出来るって…

そっかぁ…

 

私も起こっているんだ…

たとえ、超絶悶絶級の惨事であっても

それはただただ、起こっているんだ…

そうみる事さえできれば。

 

でもって、今までアタシがしてきたことなんて

やっぱり、ただの1つもなかったようであるらしいことよ。

 

3年前、ギーターを読んだときは、

それがただ、踊りのなかのこととしてとらえられた。

でもいまそれは、人生全部についてそうなんだと思われる。 

 

 

10年弱程、かなりの時間を共に過ごし

かなりの密度で

かなりの影響を受けていた

師匠の元を離れた。

 

いやー無理でしょう、やめられないでしょう。

勿体ないよ。

等々たくさんのお声をいただいておりました。

 

でも、それはそうなった。

 

とりあえず1週間目は、

執着や未練や悔恨の糸がたぐられたりたぐったりで非常にグッタリしていた。

2週間目はそれを観察し始め、人に話すことで整理し始めた。

3週間目は、いい意味での諦めと同時に、

ある部分、天井が抜けたような感じが起こりつつある。

 

そうこうしている今現在。

 

未だかつてない、身体の脱力感と共に、

身体の中心にある軸がはっきりと感じ取れる。

身体が、ものすごい、楽なのだ。

あんなに一生懸命、身体を動かす中で知ろうとしてたのに。

 

身体の力を抜くのに10年かかった、ような気がする。

 

軸は、作るものではなく、もともと在るものだった。

産まれてからこれまで付着していたものさえ取れれば

自然に顕れはじめるんだ…

 

人生はアウトオブコントロールである。 

 

 

そしてものすごい平安につつまれて思った。

 

手に入れたものはいずれ、失う。

 

だけど、産まれてからこれまで、ずっと、それはある。

 

失われることなく、それはただ気づくだけである。

 

誰の上にも等しく空気のようにある。

 

今この小さなマンションの一室の明りの下にあるんだ。

 

誰かがいつかいってたそれは、ほんとうだ。

 

すごいなぁ…

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出来心で高尾にいったら、天皇のお墓にいきついてしまった。

閉門時間をすぎていたので、また、いこうと思います。

めっちゃ気が良かったです。

 

そこでうたたねをしたときに、見上げた木。

 

 

 

だいじな種のおはなしを聞いた。

今年に入って、種子法の改正が行われたというニュースを耳にした瞬間

あ、とうとうやばい!

と思った。

 

日常生活で見えないところの支配が進んでいく

なんていったらいいかわからない気持ち悪さがものすごいあって

これは、たぶんそういうものの一環に違いない。

そう思ったし、そういう人がたくさん現れた。

 

神様の領域が侵されるみたいな感覚になりました…。

 

そんなこんなななか、

この時代にロックに固定種を守り抜いている

野口の種の野口さんが、アムリタハート(アンマの団体)

主催で講演をなさるというので、

フワっとした知識じゃなくて、何がどうなのか、

とにかくガツンと知りたかったので、

すべてを放り出して、永福町の公民館にでかけた…

 

 

そして

わたしの危惧のあり方の方向がちょっと誤っていた!ことと、

さらに、その危惧どころではないヤバイ自体が刻々と進行していることが

全部クリアーになり…ほんとに有難かった。

 

 

まず、種には

 

在来種

固定種

F1

GM

 

とあります。どれも聞いたことがあるでしょう?

 

それぞれ

 

在来種・・・農家の自家採取を続けた種 容易に他と交配してしまったりするので、形質は安定しません。

 

固定種・・・タネ屋(たとえばこの野口さんとか)が形質を固定したタネ。

地域の土地に適した形で、年月をかけて種の形質を固定化していきます。
形質が固定されている為、できた種を翌年に蒔けばまた同じ形質をもった野菜が収穫できます。生命の多様性はしっかりと残っているので、形や重さが不揃いだったり、生育速度に差があったりしますが、風味豊かな、味の濃い、とてもおいしい野菜になります。

 

F1種・・・異品種をかけあわせてつくった雑種。

メンデルの法則を利用した揃いの良さがF1の強み。

1代限り見た目のいい大きいものができたりするため、販売に向き、作り易かったり、形が良かったりするため販売に向くが、次の世代はつかえなくなる、その1代のみ。タネ屋にとっては、毎年買ってもらえるという利点がある。

 

GM・・・遺伝子組み換え。これは明らかにヤバイのわかると思うので割愛。

 

 

ここで、心配の種だった、種子法について、野口さんから心配ないということを教えてもらいました。

野口さんにいわせると、種子法が無くなることは、今まで農協が独占してきた

流通やそれに関わる農協の職員の仕事がなくなるだけで

全て販売は農家の判断に任されるため、以前よりも断然「普通」に近づくだけで

何の問題もない!

とのこと。

 

ええええー!

そうなのか。それでは、杞憂だったんだ!

よかった。

 

問題はそこではなかったんですね。

 

もっとヤバイ自体がもう浸透していたわけです。

 

それは、もはや、全世界にいきわたりつつあるF1種です。

 

たとえば、黒人と白人をかけあわせたときに黒人の形質が出てくる。

日本人と西洋人のハーフだと子供はモデルみたいな大きい見目の良い形質が出る。

のように、二つの形質がかけ離れればかけ離れるほど

雑種強勢」というらしいが、「強さ」が生まれるらしい。

 

それを利用したのがF1種。

とにかく、1代だけ見目のよい、形のそろった色のいいやつができればいい。

 

そういう品種で、農協や店頭で買うものはほぼすべてこれだ。

もう世界中でこれなのだ。

形の揃った野菜はすべてF1種。

 

自然に任せていたら自家受粉されてしまい、

思うような雑種の野菜が得られないナス科などは

「除雄(じょゆう)」という、いわば字からも分かるように

雄しべを人為的に取り除いてしまう作業が行われる。

そして、雌しべが受粉可能になるときに、別品種の花粉をつけてやるというわけです。

 

 

「自家不和合性」という、

自分の花粉で自家受粉することを嫌う菜の花などのアブラナ科の植物には、

ハウス内の二酸化炭素濃度を通常の100倍以上に上げて、

植物の生理を狂わせ(!!)

ミツバチを使って受粉させたりする。

 

そして、中でもやばいのは、

たとえば上記のような

「除雄(じょゆう)」という人の手がかかる方法ではなくて

男性不妊無精子症にあたる

「雄性不稔」(ゆうせいふねん)の植物を利用すること。

 

「雄性不稔」(ゆうせいふねん)というのは、

雄性器官である花粉や胚のうが異常で

正常に花粉形成ができない現象を持つもの。

ミトコンドリアに異常があるとされ、それは母系遺伝するそうです。

 

要するに、生殖機能が無い、精子がつくれない男性の形質を持った野菜を発見して

めしべに自分の受粉がつくのを防ぎ、

そこにミツバチを投入して別品種の花粉を受粉させる。

 

たとえば雄性不稔の大根にキャベツの花粉をつけたりする。

そうすると子供は

大根50パーセント キャベツ50パーセント  の形質ができる。

その大根に何度もキャベツの花粉をかけあわせると、大根の形質がへり

限りなくキャベツの遺伝子がかぎりなく多くなった作物ができる。

が、それは、母系遺伝するので、

男性不妊症の大根の三コトンドリアを持ったキャベツになる。

 

要するに、

雄性不稔F1種の野菜がどんどん普及するということは、

男性不妊症のミトコンドリアDNAをもった野菜を量産することになるわけで

そういう野菜をわたしたちは日々、食べていることになるわけです。

 

これで、人体に影響がでないっつーことがあるのでしょうか。

 

有機栽培どころのはなしではなくて種の段階でもう操作されてたら、

打つ手がありません。

 

雄蕊を人為的に取ってしまうのも

花の生理を狂わして交配させてしまうのも

不妊男性を利用する交配も

なんか全部、植物にたいする人の強姦だと思った。

  

これからどんどん、超・大企業が種の支配をはじめると思う。

種の支配は、食の支配だし、

食の支配は、世界の支配。

 

だから、いまから少しずつ、

在来種の固定種の種をあつめて、

畑にまき、

その種を収穫して

翌年も使うようにしていくしかなさそうです。

 

庭にすこしの畑があったら

ぜひ、種は、固定種を買って、育てて、収穫して、また撒いて…

っていうことを続けていくしかない。

大げさではなく、そう思うんです。

 

 

でもさ。

 

きれいに整った均質の扱いやすい品種を人為的に作り出したら

味も栄養も全然良くなかった上に、何かの病原菌にやられたら

根こそぎやられる可能性があるF1種。

 

均一でなくて手間がかかって出来上がりはバラバラだけど

味はよく、ある病原菌にある子はやられても別の子に耐性があって

種は保存されていくという在来種、固定種。

 

野口さんは、多様性なんです、多様性が大事なんです、って繰り返していて

たった1粒でも健康な種がのこったら、そこから万倍になっていくんです、

だから、1粒が大事、、、、って繰り返すのだけど、

これって、人の子のことと一緒かなーって思っちゃった。

 

コントロールしちゃだめなんだよね、、、、

多様であることが大事。

 人為は無意味だ。

 

はー!

ほんとにスッキリした。

 

何がほんとに怖いのか、わかれば対策がとれる。

敵の姿はちゃんとみないといけないと思いました。

 

 

またもや偶然 

会場で会ってしまったK氏と話しながらかえってきたら

井の頭公園ですんごいきれいなピンクの空と道筋がばーっとひろがって

こどもたちが「オーロラだー!」って大騒ぎでした。

 

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祝福、イエイ!! 神様、ありがとう!

 

 

 

 

変容と受容

7月7日を境に、何かがガラっと変わってしまった。

 

拠って立つものがなにもないことの覚束なさと

なんだって出来るんだという解放と

まだまだ自分の中で統合しきれてないたくさんの感情と

それでも神様に向かおうと思うと光に似たものと

そういうのがぐちゃーっと一緒にあってカオスなんだけど

 

そっか。

真実はカオス!

ってW先生言ってたじゃん、と思い出したわけです。

 

それに加えて

ちゃんと私の中に暗黒があって、光もあるんだ。

両方があってなんかほっとした。

そういう気持ちに不思議に落ち着きました。

 

振り回されることが少ない分、起きる出来事のひとつひとつに対する

自分の反応を観察することが出来ていて

そこでは、吐きそうなくらいのエゴとか、間違っちゃった反応とか、

いろんなことがあるわけだけど、

闇があれば光もあるのだから、大丈夫。

絶対大丈夫、よくやってるよ。

そんなふうにしながら自分をぎゅーっとハグしてあげることに最近はしている。

 

こないだのルン・ルで出てきた感情の発端は、

自分にありがとうって言った時にでてきたから、

自分の中には「ありがとう」って言ってあげられなかったことで

かなしくなっちゃった子たちがたくさん居るんだろうな、って思う。

だから、ありがとうはいっぱいいうのだ。

 

昨日のヨガで、先生にいわれたことは、、、

先「ホラ、お釈迦様も言ってたでしょう?」

あ「犀の角のようにただひとり歩け」

先「じゃなくて、全てのものは変化する、変化しないことだけがある、って。

壊さないと創造はできないでしょう。守破離、っていうでしょう」

あ「(/-\)(最近は涙腺の結界が崩壊しているため抗えない)」

 

変化しないことだけがあるって、、、すごいですよね。

ほんとに一瞬一瞬変わりゆくことだけが真実。

そのことに一瞬くらぁっときました。

 

現実生活で何かが大きく変わるとき、

それと同じく自分の中でも何かが大きく変わっていることを

踊りはいやというほど見せてくれた。

それでも、日常に慣れ始めるとそれらはさっと消えていく。

だから、慣れてはいけないんだと思った。

一瞬一瞬変わりゆくことを感じる場所に

自分をいやでもおいておかないと、

人は劣化する。

そう思う。

 

慣れたら終わる

安定が続くと思ったら終わる

永遠は無い

 

なんて無常なんだ!

と思うと同時に、神の采配の凄さを思い知る。

 

いやしかし

弱い!

あたしはー弱い!

ほんとに弱っちいと思うのだけど、

ここまでこれで生きてきてしまったので、

今までやってきたことをぜんぶを力にして、

弱いながらやっていくんだ。

 

吐く息と一緒に余分な力は解き放って。

神様に意識を向けて。

意識を向けるところさえ間違わなければ、

きっと、導いてくれるものが在ることがだけが

今わかっていることです。

 

ここを見てくれている奇特な貴方。。。

どうぞこれからも、よろしくお願いします。

ぶっ飛ばせ!

最近は一か月にいちどになっていしまってるルン・ルに行ったら、

途中から、ハートのあたりが苦しくなってきてしまった!!

 

目から涙が出てきて、そのうちハートがどんどん躍動してきて

もっと涙が出てきて、やばい嗚咽になりそう……止まらない!!

と思いながら

ヒックヒックグゥ……とやってました。

 

ルン・ルでは2時間超笑っている人や、げっぷが止まらなくなる人や

(わたしは居合わせた事無いけど)叫ぶ人や、歌う人などがいるようなのですが、

わたしのばあいは情けない嗚咽なのか!!

と思った瞬間、心の中で2つの声が。

 

そんなの恥ずかしい、という世間の声

自己憐憫の涙なんて最低、という踊りの先生の声

 

その二つがきこえて、嗚咽が大きくなりそうなのを抑えた

 

わたしはよく踊りの先生の露悪的な見せしめみたいので泣いていたのだけど、

あるとき「自己憐憫~」云々を言われた後から、泣くのをほんとうに止めた。

一切泣くものかと意地でも我慢して、

そうしてたぶん

泣くことで解消させて来れたものも溜め込んでしまってたと思う。

 

べつに部屋でさめざめ泣いたって、

ちょっと自分にカッコ悪いくらいで何にも恥ずかしいことないのに。

それがここのところ浮上してきている悲しみの一部かもしれないが

だいぶ6月に解放したと思ってた折に

まだ、あるんだ…という絶望感。

 

ときおりルンル中に先生が わ

たしの頭とか足の辺りに立って、ものすごい長い息で

わたしの感情が解放されるのを後押ししてくれるのを感じて

それに合わせるように一瞬 収まったやつがさらに再稼働して、

またボロボロ涙とちいさい嗚咽がルンルの間中つづいて

終わった後もつづいており

更には第三の目がジンジンするし、尾骨もジリジリするし、

関節は緩まって力が入らないし、

終わっても立ち上がれず、話の間中ずっと涙ながしながら寝てきいていて

終わった後ようやく懸命にヨレヨレで立ち上がりました。

千鳥足で片付けて…

帰るときにすこし先生と言葉を交わしましたが

先「帰れますか?」

あ「はい、ゆっくり帰ります。胸の真ん中の部分が何にもなくなりました」

先「欲をいえばね、あそこまで来たら爆発しちゃえばよかったのに!」

あ「(…・・・Σ( ̄ロ ̄lll)ほんとですよね!!

  ウゥ・・・:;(∩´﹏`∩);: ありがとうございました、ゆっくり帰ります・・・」

 

 

ほんとにほんとに、あそこでセーブしたのは一生の不覚だったと思う。

セーブしきれない部分はあったし、

胸に穴があくくらいには出したのだけれど

あの2つの声を破壊しきれなかったのは一生の不覚!

あそこでウワーン!って泣けたら、私の中でとてつもなく大きなものが

破壊されたはずなのだ!

まだそういう時期ではなかったのかもしれないけど、 

でもね!

 

これはもし読んでくれている人がいたなら

世間の声なんて、まじでぶっ飛ばした方がいい。

自分のほんとの声に耳をすませて、

それがきわめて大人げなくても

素直に出せる場所では出した方がいい。

 

ただ、そこはきちんと責任とある力を持って場所を守る人がいる、

安心な場所で、何を出しても世間の目から守られて昇華される、

そういうところであるほうがいい。

そして、そういう場所を自分で確保した方がいい。

 

劇場は本来、そういう場所だった。

祭祀も本来、そういうものだった。

そこにはその儀式を執り行える人がかならず居て、尊敬されていたはずだ。 

そう、思ったんだ。

 

そして、自分がどの声をマーヤとして内在化しているかが

ほんとによくわかったよ。

 

自己憐憫の涙かそうじゃないかなんて、

やってみなきゃわかんねーだろーよ!

そもそも、自己憐憫の涙流してみたって別にいいじゃん。

 

自分で決めていいんだよ、自分で!

と思いました。

 

バーフバリ!!

 

・・・劇場にも観に行きたくなりました。

人生にバーフバリがある幸福!

 

とくにこの王女だったデーヴァセーナ!

敵の首掴んで歩くとこなんて、まさしくヒンドゥーの(怖い)女神!

尊厳を守るためにはひるまないこの王女様をみならいたいとおもいます。

 

 

7月をむかえて・・・’とりなし’ とバクティ

この時期に梅雨明けというのは一体全体

どういうことでしょうか……

 

あ、、、、暑い。

この時期になるとわたくしは蜃気楼のように心もとない気持ちになるのですよ…

 

さて。

6月25日は、

東欧の「メジュゴリエ」で聖母マリアが幻視者に初めて現れた日であり

今もまだなお現れている聖母は、幻視者を通して、毎月25日に

世界に向けてメッセージを送っている日です。

律儀に毎月25日。

 

そんなメジュゴリエの聖母は

先月25日にこんなメッセージをおくってくれました。

Dear children! This is the day that the Lord gave me to give Him thanks for each of you, for those who have converted and have accepted my messages and have set out on the way of conversion and holiness. Rejoice, little children, because God is merciful and loves you all with His immeasurable love and leads you to the way of salvation through my coming here. I love you all and give you my Son that He may give you peace. Thank you for having responded to my call.  

 

愛しい子どもたちよ!今日という日は、回心し、私のメッセージを受け入れ、回心と聖性の道に歩き出したあなたたちひとりひとりに対する感謝を神に捧げるために、神が私に与えてくれた日です。

喜びなさい、子どもたちよ。なぜなら神は慈悲深く、計り知れない愛であなたたちを愛しており、私がここに来ることを通して、救済の道へとあなたたちを導いてくれているのです。

わたしは全ての皆さんを愛しています。そして、あなたたちに平安を与えてくれるであろう、私の息子、イエスを贈ります。

わたしの呼びかけに応えてくれて、ありがとう。

(Our Lady of Medjugorie Messegesのページから)

 

 

いつもは、「祈りなさい」と「忍耐強くあってください」か

「サタンの力は強い」とか

という警告やすすめの文が多いのですが、

この日だけは、「してください」が一つもなく、

それ以上に、

マリア様がわたしたちのために神様に「感謝」を「捧げてくれる」

というので……のけぞってびっくりしました。

 

こんなメッセージははじめてです。

 

それから約一週間後の7月1日。

 

目が覚めたときのこと。

 

自分の心にまったくなんの波風もない凪だけがあって

それは、「停止」してるんじゃなくて、「満ちて」いる何かで、

ああ!「主の平安」とマリア様がいうのはこのことなんだ……

って、意識でこんなふうに思ったのです。

心が平安に「満ちる」ってこういうことなんだ、って。

静寂と至福。

 

でもって「主の平和」っていうのは、

個人の心の中にあるため、

誰にもどんな状況でも奪われない

超すごい宝なんだー!

 

という、書くことすら恥ずかしくてはばかられるコレを

身に染みて感じてしまったんであります。

 

そんな一日が終わり、帰る道すがら

ああそうか!マリア様が神様に感謝をささげてくださり、イエスを贈ってくれて

そういう「とりなし」をしてくれたから

現実にこういう現象があらわれるんだ、ということに合点がいって、

神様ってやさしかったんだーーー!うわーん!!!

…と、まさに怪しい人だけどボロボロ泣きながら夜道を歩いて帰りました。

 

でもって、神さまの恩寵無くしてはこういう体験は起こらないんと

実感しました……

 

ただし、神さまの恩寵があれば、誰でも主の平和は得られる。

会社員でも主婦でも行者でもニートでもお父さんでもお母さんでも

おじいさんでもおばあさんでも、

とりなしへの真摯な祈りと神様へ意識を向けることができさえすれば

まったくもって、

特別なことは何一つ必要ないんだ。

そう痛感しました。

 

更に言うと、三段階なんだね!

マリア様がとりなしてくれ、

エスを贈ってくれ、

神の存在がはじめて意識できる。

 

う~ん・・・でもさぁ、、、、

なんでそんなに何段階もあって

しちめんどくさいんだろう(すいません)……と思ってしまった私。

そこで、K氏に問い合わせてみたところ

「それは、今が母の時代だからです!」

ということで、

 

納得した!!(゚д゚)!

 

すごい納得した(´゚д゚`)

 

 

しかし!!

 

実に2日後の7月の3日には奈落に突き落とされるみたいな

出来事と気持ちになったりしてたワタクシ。

 

たぶん「主の平安」がどういうことか、恩寵によって

体験させてくれたんですね。

だって、あの状態が毎日四六時中続いたら、あたしは僧侶だよ。

 

と同時に、

自分の心を調和させること、平和に保つこと、

まじで世界平和ここからしかないんだわ……と

ジョン・レノンばりに思ったわけです。

自分を大事にするっていうことは、

自分の心を平安で満たすっていうことだと

思ったのね。

 

そのために、今、聖母しかりアンマしかり

女神々様たちの「母のエネルギー」は大活躍してるんだと思うのです。

だから、それに意識を向けることができたら

いいんだろうな、っておもう。

シャンティな人の傍に居ると、シャンティがじわじわとひろがってくるのと

現象として「ハートが開く」っていうことが起きると思うのだけれど

グルは(それが存命でもそうでなくても)必要なんだと思いました。 

 

心は生涯ハードボイルドでいきたい!と思っていたけど私…。

調和と平和は、ほんとうに素晴らしかったんだよね…体験として……

いや、素晴らしかったですよ、ホント。

 

そんなこんなで、

「平安」は維持するのが難しいお年頃、、、

 

K国屋、オラクルカードコーナーにて

「バガヴァット・ギーター カード」なるものを発見!

問いかけしてみました。

 

 

ドーン!

 

 

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オラクルカードって、すごい。 

7月をむかえるにあたって……ババさまとか

6月にヨガの先生のところでお会いした、

ガンガーでの儀式を執り行う若い聖者スンダールさんの個人セッションなるものを

食事会のなかでの方々との勢いで予約したワタクシ。

(お会いした日、色々なことに巻き込まれており落ち込んでいたため、

景気づけにとか思って、ちゃんと知りもせずに申し込んでおりました……)

 

なまりがつよいインド英語になると、

わたしは通常英語の6割とか7割くらいでしか聞き取りができない。

かなりストレスフルなのだ。

その方はなまりがとても少なく、文法も確実正確なのだけれど、

教典とかのサンスクリット用語もちらほら出てくるし

7月2日にその方の個人セッション(通訳なし)を迎えるにあたって

にわかに緊張をきたしてきたワタクシ。

 

その方が日本にいる間、毎週末のように勉強会が開催されているので

ちょっと参加して、慣らしておこうと思いました、、、。

 

金曜日の夜、いそいで申し込んだところOKが出たので、、、

朝早く起き、かなりみっちりアサナとプラナヤマとジャパをして…

たぶん2時間位経って、、、

終わって、、、、

フーッ終わったーと床にごろんした瞬間。

 

 

……寝落ちした(゚д゚)!

 

 

そしてなんとその時、私の夢に

 

 

 

サ〇ババが出てきた……のです。

 

 

 

驚愕です。

 

というのも、わたしはほんとに申し訳ないのですが

サ〇ババさまだけには近づくまい、と個人的には固く思っていたのですから。

 

夢の中の事なので、もし失礼な表現があったら許してほしいのですが、

オレンジの袈裟を纏ったババさまは、

比較的小さい部屋の中に、円を描くように座った人々を前にして

竹(?)のような、よくしなる緑色の棒のようなものを持って、それを

信者のあたまにチョンチョンと載せて、

祝福を与えていました。

わたしは、最初、ちょっとこれおもしろいな…と思って

カーテンの越しからそれを見ていたのだけれど

次の瞬間、前の方の円の横のうしろのほうに座っていて

立ち上がって何かをババさまに貰ってほしそうに

懸命に差し出している若い日本男性と

それを一瞥しているババさまの様子を観察していました。

 

夢で個人的コンタクトがあったわけではないのですが、

起きてビクッとしました…

寝過ごさなくてよかった……

 

そんなこんなで参加した講義。

何をやるのかまったくよく分っていない私。

が。

 

食事会では気づかなかったのですが、

スンダールさんが盛装をして部屋に座っておられる、

その涼しい表情を拝見しまして、

 

あぁ、これ、シャンティ(平安)だ…

と思いました。

 

その方のまわりだけゆっくりと凪いでいた。

 

ヴリンダ―ヴァンで私に実地で「バクティ」を教えてくれた

優しい優しいニマイババとおなじ種類の「シャンティ」があって、

懐かしい・・・となりました。

 

しかも、

そのあとのプラナヤマを教えて頂いた際、ようやくこの方が

すばらしいヨーギーでもあることを認識したのでした(遅い…)。

私よりも若い方ですが、かのインドで世界的に有名な

ガンガーに捧げるな儀式を執り行える人というのは、

本当の実力者なのですね。

  

 

マントラをとなえてくださるのですが、

声が良く通る上にとても大きいので

最初 ビクッ Σ(・ω・ノ)ノ!となったのですが、

そっか、儀式やってるんだものね…と思い当たった次第。

色々と忘れたくないことをたくさん喋られるのでノートに書き写していたら

「ワタシのグルジーは、ノートに書くことはゆるさなかったです、

後で見返せばいいやってなって一発でおぼえないでしょう?」

とおっしゃる。

その通りでございます、わたしも普段はしないけどぉ、、、

(/ω\) ハズカシ

 

そんなこんなで想像以上に脳と呼吸を使いましたけど、

たいへん充実してました。

ヘヴィだったので、

ゆっくり帰途につこうとおもいました。 

話はつづくのですが(長い6月の終わりだった)

今日はここまで…