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日月日誌 hitsuki nisshi

from akiko otsu <来し方行く末と今の日誌>

rehearsal

今日はスタッフが入りながらのリハーサル。

その前にかなり動いていたこともあってか

皆、なんだか渾身の出来……(/ω\)!

初見の舞台監督がおもしろい!と言ってくださったらしいので、

みなさま、、、どうぞ楽しみにいらしてくださいませ。

、、、ん?ハードルあげたかな…(*_*)

特別客演2名もやる気満々デス。 

 

明日がリハ最終日、明後日から搬入そしてゲネプロになるので

ちょっとブログはおやすみしますが、

facebookの各種設定を公開にすることにしました。

……なんとなく若干の緊張をもって書いております(苦手で…)。

なんとなくこっちは更新できるかなという気がしています。

http://bit.ly/2r9wjBY

 

30分前開場ですが、席が自由席なので

桟敷はつらいよという方はできたら早めに来ていただけたらと思います。

お待ちしてます!(^^)

 

Annapurna Dasi

ここ数日微熱が出ていましたが、

今日、午後からものすごく身体が軽くなりました。

とてもほっとしました。

 

昨年インド、ヴリンダ―ヴァンに行った際に、私は

ムンゲルマンディル寺院に滞在させていただきました。

そして、そこの長・サドゥ・マハラージャが私にインドの名前を下さった。

 

私はヴリンダ―ヴァンでは

「アンナプールナ・ダーシー」

と呼ばれるようになりました。

(アンナ=穀物 プールナ=たくさん…豊穣を意味する)

ちなみに、ダーシーは女性の「仕える人」を意味し、

男性は「ダーサ」もしくは「ダース」になるそうです。

 

アンナプールナはインドではよくある名前らしいです。

わたしの本名もよくある「明子」なので

なんとなく似たり寄ったり?と親近感をおぼえましたが

あまりにふつうだからなのか?

そこで修行している男の子と目が合うと

ニカーと笑っておりました。

(彼はゴパール・ダース君というものすごく颯爽とした親切な少年でした)

 

アンナプールナは、

ネパール・ヒマラヤ山脈の山の名前でもあるそうです。

アンナプルナ - Wikipedia  

山育ちとしてはなんとなくこれも嬉しいのです。

 

それと時を同じくして、ひとりで瞑想していたお世話になったババが、

「瞑想してたら君の名前が突然浮かんだんだけど、アンビカー、だった」

と言ってくださり、わたしはこの響きもこのババもとても好きだったので

名前の意味をたずねると、

アンビカーはベンガル地方の名前なんだとだけ教えてくれました。

 

今年はインドに行けるのかな…となんとなく想っていた先月末ごろ。

なんと、高崎の師匠が76歳にして初海外、

その先が師匠が恋い焦がれてやまない

お釈迦様のたどった道をたどるコースであることを知りました。

74歳まで自分のことは語らない人だったのですが

はじめてのインタビュー本が出版され、

その関係でツアーが組まれたそうです。

 

わたしはあまりにびっくりしてしまいました!

(だって、海外行ったことないって言ってたから!)

わたしがものすごく驚いている脇で

「ぜひ、ぜひ。一緒に行きましょう」と師匠はニコニコされて

ほんとうに心が動きました。

 

まだまだ予定はまったく未定ですが…。金銭的にもまるで未定ですが……

 

それはそれとして。

高崎の師匠のことはまたちゃんとかきます。

 

 

 

ワタシノ・グレート・ジャーニー㉕ 誕生~北米編<完>

いつぞの記事の続きだ!!

という感じでございますが。

そして、ブログなんて書いている場合か!という声が

どこかから響いてまいりますが……

 

ずっと結論がかけずにおりました。

 

結論なんてつけてたまるか!

という気持ちもしたりしなかったりしており(*ノωノ)

でも……次回は最終回です!

な~んて言ってしまった手前、思案してました…

そういうときは、書くにまかせるに限る。

 

北米~ヨーロッパの家族を渡り歩き、

「もう家庭訪問は十分だ」と感じた私は、

突如、日本に近づく道を選びました。

 

フランスからアジア圏のマレーシアに入り、これからの国は

労働せずに旅をするほうがいいと

ローカル線で、扉の空いた列車に座りながら

マレーシア半島の先っぽまで行って、

そのままジャングルの中をコトコトと北上。

いくつかの場所で滞在して、宿の主人に

ジャングルを案内してもらうなどの謎の旅を続け、

国境を越えてタイに入り、

タイに入国するや否や、非常にすばらしいほどの倦怠感と高熱が出て

この旅で初めて病院に入りました。

 

マラリアか!感染症か!!

死ぬかもしれない(3度目だし)……

……と思っておりましたが

案の定、死なず、かわりに私は

「日本に帰ろう」

と決意します。

 

その後、バンコク付近で1週間程度過ごして

私は8か月間あまりの旅を終えて、日本に帰りました。

(税関で別室に連れていかれるなどのアクシデントはありつつ。)

 

最初、皆が日本語を話すことに頭がついていかず、クラクラしていました。

それから徐々に、また日本人として過ごすことになりましたが

大学に復学しても、もはや以前の自分とは全然違う感じになっていました。

 

何かが全然違う。

 

熱に浮かされたようにクリンギットインディアンになりたい私でもなく

社会的な階段をのぼっていこうという意欲に満ち溢れている私でもない

かといって、孤独に耽っている訳でもなく、

すばらしいマスターの居る洋食屋さんでアルバイトにはげみ

旅の間の自分への宿題として続けていた柔軟体操の延長で

ヨガの教室をみつけて再開し

授業に出、友達と集い、恋愛をしました。

でも、旅に出る前に抱えていた空虚感とは少し違うかたちの

ぽっかりと穴が開いたような気持がやってきました。

 

わたしはこのとき、

「外を探しても見つからないものがある」

ということを知ったのだと思います。

 

そして

旅を纏めるように、半年程かかって、図書館に通って、

戦後の新聞記事の身の上相談記事を時代ごとに読み漁り、

家族小説を読み、家族の変遷を追った卒業論文をかきました。

(読売新聞だけは、戦前からそういう記事をあつかってたんですね。

それが、時代ごとにほんとうに相談内容が違うのです)。

 

題して!!

 

『家族幻想から遠く離れて』

 

シュール。

 

発見もあったし、書きとめる熱意があっただけに評価されたものの、

そのときは、なんだか構成上、結論としては

イメージとしての「家族」は社会から与えられた幻想なんだから

時代がかわれば移ろいゆくはかないものである。

だから、ひとは家族という枠をこえて

直につながって生きないといけない気がする、

なんていうことを

いろいろと一生懸命にあれこれ書いたわけなんですが、

それはそれとしても…いま思うに、

体験としては、ちょっと違っていたのだと思う。

 

わたしがこの先、

家族をつくれるかどうかわからないのですが

でも、おおきな意味でも「家」という「場」には、

家長、、、お父さん、、、

もしくはそれに代わる存在がぜったいに必要で

それは、ビシッとその家という場を統べるひと。

たぶん、その背後により大きななにか…それは信仰かもしれないし

神様かもしれないし…を背負っているひと。だからこそ尊敬されるひと。

 

おかあさんは、頑張ってその家長ポジションにとって代わる必要はないし、

がんばってしまうと、何かが狂う。

そしてそれは、子どもに如実に影響する。

お母さんは、ニコニコと太陽のように笑わせていてあげたい。

 

というようなことを、

外国のたくさんの家に滞在した体験を通して、私は思っていたのです。

 

きっと昔の、ネイティブのひとたちは、

たとえば一つの「家族」という単位でそれが成立しなくても、

もっと大きな「共同体」というレベルでそれぞれの役割のひとが

いたんだろうなあ…と思うのです。

そして、それは常に霊的なもの、信仰に支えられてもいたのだと思う。

だから、おかあさんが孤独にがんばることもなく

家長がちょっとなあなあでも、なんとかなって、

だれもがいっときは、安心感を持って過ごせていたんじゃないでしょうか。

そういう大きい拠り所、みたいなものを、

わたしも無意識に欲していたのかもしれません。

 

 

もしも今後自分の人生で、「家族」をもつなんていう

ものすごいジャーニーがあるのであれば、

わたしは、家長と信仰を大事にしたいと思う。

そして、もうひとまわりおおきなつながりとともに

そこで生きてみたいなと思う。

 

…そして願わくば、

自分の家族関係のからまった糸がすこしずつほどけて、

やわらかくなればいいなと、そんな風に思うのです。

 

 旅を終えてから、大学を卒業し

それと同時に、なんだか別の道がはじまりました。

いまも何かの過渡期です。

またこういうのかけるのは10年後くらいかな…

まだまだ旅の途上です。

 

わかるまでわからないこと

やっと自分の踊りが何なのか…見えてきました

……って遅いですよね( ;∀;)

でも、わかるまでほんとにわからないんです(-_-;) うまくいえないケド…

今週半ばまでどんどん気持ちがドライアップしてくるし

身体がきつくなってきてもいて

(ノД`)・゜・。…となっておりまして…

水曜日に電話があって、

木曜日に師匠に呼ばれて

(多分この子今やばいなと思ったんだと思います…)

手直ししてもらったら、

自分の中でどうしてもつながらなかったものが

パーンと一気につながってわかりました。

やっぱりシショウはほんとにすごい…と思いました。

 

今回の踊りは、インドの、踊りです。(ぜったいそう見えないが。笑)

どうしてインドは、こんなに助けてくれるんだろう…って思いますが

インドの体験なくしてはできなかったのです。

 

あ!でも全体は、「眠り」がテーマです。

たくさんの、トンボの夢がでてきますよ。

 

あとはちゃんと気持ちを乾かさないでいくことと、

アミノ酸とタンパク質をとっていくことだと思っております。

どれがかけてもだめなの、ワタシ……(/_;) がんばります。

 

 

 

 

 

 

インドと整体のおはなしその③

昨日のつづきです。

 

三谷さんの整体。

昨日かいたことに関連して……

ここに尽くされている気がするのでリンクをはっておきます↓

http://www.rolf.jp/012f-cranio-e.html

 

施術中の三谷さんはただただ

「意図を持たない」(治してあげようとか、よくしてあげようとか…)

で接してくれてるというのはほんとに肌感覚でわかりました。

だからこそ、適切なタイミングで、適切なことが「起こる」んだろうな、と。

技術も、知識も、ものすごいし

そこに加えて三谷さんにインスピレーションが降りてくるときに

創造がはじまる、その過程もうかがうことができました。

 

で。

…足の状態は飛躍的によくなり

なんども捻挫を繰り返した右足首の不安感が解消どころか、

歩行が各段に楽になりました!!

腰の状態も改善。

その年はほんとうに精神的に参るできごとが重なったのですが

身体を整えておいていただいたことだけは…ラッキーでした。

 

ん?

……なんでインドの話から整体のはなしになるのか?って?('_')

 

ここにはつながりがあるのです…

 

せんだってK君から連絡があり

滞在記をある冊子に載せたい、載せよう!と熱心に言ってくれてたにもかかわらず

わたしはあーでもないこーでもないと、断る理由を探して

返事を先延ばしにしていたのです(-"-)

が。

ひさびさのタイミングで三谷さんからメールをいただいたので

滞在記をおくったら、

とてもとても丁寧な、背中を押される感想をいただいたので

エイヤ!とK君に原稿を送ったところだったのです…。

むむむ…まだちょっと怖いです。

たぶん無名なのわたしくらいだと思うので……(-_-;)

 

満月付近からなんだか

いろいろと現象が起こって、ダメージが大きくて

飲み込まれそうになってる私ですががんばります。

みなさんに会えるの楽しみにしてます:)

 

インドと整体のおはなしその②

前回のつづきです。

実は踊りをはじめてから(今に至るまで、、、)

ほぼずっと年齢がいちばん下なので、稽古場でタメ口をきくことはそんなになく、

K君やKさんがやってきてフツーの話をフツーにできるのが、

とっても嬉しかったのを覚えています。

 

 そんな頃。

私は整体に通っていました。

事務仕事が激増したこともあって<腰>に違和感がではじめ

このままの状況でいるとマズイ、と思いつつ

でも、ちまたのマッサージや整体にいったところで

対処療法でしかないことがわかっていたので

根本から治療して行かないとこの先ないなと感じていました。

 

いろいろ調べているうちに、行きついたのが、

吉祥寺の三谷さんでした。

 

三谷さんはロルフィング(ストラクチュアル・インテグレーション)や

頭蓋仙骨療法(クラニオ・セイクラル)、内臓へのアプローチなど、 

さまざまなことが可能であるという。

HPの内容がすごい…。

一度ちゃんと腰の状態を見ていただきたたいと思うようになりました。

が。

現在かなり混み合っており、

新規の受け付けを中止にさせて頂いております

とある。

 

ムムム……

と思いつつ……

だめもとでメールを送ってみると、

たまたま空きがあったのでしょう、

「一度来てみますか?」と対応くださった。

 

喜々として出かけました。

 

私は腰痛一歩手前で行ったのですが、三谷さんに説明を聞く中で

表面的な部分で終わってしまう恐れがあるセッションの組み立て方ではなく

土台である<足>をまずリリースしていくのはどうかと提案されました。

私は部活や陸上をやっていた中学生のときから

足の怪我が絶えなかったこともあり、確かに不安要素がたくさんありました。

とくに冬場は古傷が痛むのが常だったので、

プロにまかせよう、と思った私は、お願いすることにしました。

 

結果。

三谷さんの施術は、ほんとうに的確で、まるで、

施術されている自分の身体が精密機械であるかのように感じられました。

(三谷さんの前職は精密装置の開発や、

ロボットの設計等をなされていたとのこと!)

 

三谷さんが軽くただ手で触れた瞬間に、身体が反応して、

勝手に治そうとする動きが始まるのです。

そして頭から足まで息が通り、顔がぴかぴかになる(ホントに!)。

「すごい!先まで息が通ります!!」というと

「それは、息ではなくて、エネルギーですね」と教えてくださった。

施術はなんというかある部分とても、神秘的……でした。

 

ゆがんだ部分はもとに延ばされ、癒着がはがされ、

パーツパーツに油を注がれ、なめらかに動くようになっていくような過程は

びっくりするような変容でた。

三谷さんは「今たいへんでも集中して施術しておいたら、

身体は確実に長持ちしますよ」

とにっこりされた。

 

次につづきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インドと整体のおはなしその①

昨年はじめてインドに行きました。

はじめてのインドは、

なんというか、ずっと「欲しい」とおもっていたものを、

与えてくれた、というのが思い返したときに

一番最初に浮かんできた感想で

いままで訪れたどの場所よりも強烈でした。

 

なつかしいようでもあり

未知の土地の怖れもあり

ずっと居たい気もすれば、

日本の涼しい風が恋しくもなった。

たった2週間程度の滞在でしたが。

 

 

帰ってから酷い風邪をひき、2週間ほど寝込んでいるうちに

どうしても何とかなにかにまとめたい、まとめねばと思い、

写真を整理し、フィルムで撮った写真は

荻窪の写真屋さんで取り込んでもらい、

キーワードのメモをたよりに、一週間くらいで文章にまとめました。

 

踊りをはじめてから、日記を簡単につける以上に

まともに文章にしたことは1、2回くらいだったから、

書けるかどうかわからなかったけれど、

書き始めたら迷いなく、

一筆書きみたいにがばっとかけたのです。

 

これどうしよう…?と書いた後でいろいろとかんがえて、

出会った人で、このひとに読んでもらいたいと思ったらなんらかの方法で

渡そう、と決めて、校正して、写真を配置して、カラーコピーして、

人を選び、お渡ししました。

なんとなく、それが私のSevaになれば、と。写真もあるし、

とも、おこがましくも思いました。

 
結果。
 
わたしのことをよく知ってくれている人に渡ったせいもあると思うけれど
何人もが「何度も読み返した」と言ってくれ、
写真がすごくいいといってくれ、
詩みたいだったといってくれ、
 
あれ!こんなに受け入れて貰えるんだ……と
すごくびっくりしました。
 

そして嬉しかったのは、K君がすごくよかったですと言ってくれたこと。

いまの日本の同世代で、その書く力とか, 熱意とか

頭のよさとか人間的なことふくめて、

多分ピカイチだよなぁ…と思う詩人のK君。

 

以前いただいたお土産のお返しに買ったインド土産がずっと手元にあって

会える機会もそうそうないので、送ることにし、

それなら旅の出来事と共に送った方がいいよな…とも思い

さんざん迷った挙句(これを送るのは実はホントに怖かった…)

同送しました。

 

K君とは、2014年の秋くらいに出あいました。

そのとき、実は、古参の姉弟子が<やめます>と言って突如いなくなり

その結果、

なぜか踊りの師匠のもとに居るのは私ひとりだけという事態となっており

私は、仕方ない、もうやるしかない、なんとか持ちこたえねばと必死でした。

 

そんな折、師匠はメキシコ公演がきまり、

日本に残って稽古場の管理をしないといけなかった私の代わりに

同行人になったのが、K君と音楽家のKさんでした。

 

K君とKさんは、そのころ稽古場で土方巽の『病める舞姫』を読もう

という企画があって、そこに集っていらしていたのです。

K君のすごさは、この難解な(とされる)本を一読しただけで

こ~んな文章を書いてきたのです。

最初にくばられたとき、

ひゃ~すっげ~!と思いました。

同い年ですから。

これ↓

書物『病める舞姫』を読むことは、そこに書かれ息衝く言葉を理解することではなく、その実景に各々の身体、言葉をひらき、邂逅すること、体験することだ。あらゆる邂逅がそうであるように、はたされた以後、われわれはそのままでいることはできない。それが身体を賭した経験だ。

 

http://bit.ly/1SKbwNq (途中の<全文>をクリックすると全部でてきます)

 

わたし、この本読むのに1年かかりましたからね( ;∀;)

 

 

そんなK君とKさんがメキシコ行きの準備の稽古を見に来てくれたり

一緒に音響や照明のタイミングの練習したり、

稽古場で本を読んで話したりできたあの時間は

結構贅沢だったのかもしれません。

 

K君とKさんとは、結構過酷な状況をともにしたこともあり

徐々に、仲良くなっていきました。

そんな折、

師匠と1対1の重圧に心折れそうになったわたしが

「やめようかな…」とこぼすと、

すかさずK君が

「おーつさんは、まだやめないほうがいいと思う。

きっとこの先、ぜったい良かったと思うとおもう!」

とかずばっと言うので、

私はむむむ…と思いつつ、

詩人の直感は信用すべし、と踏ん張ろうと思いなおしたのです。

 

 はあ~やっぱりいっぺんに書き切れないや。

つづく!