日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

呼ばれて。

何か、先日の記事

KOUさんが、また記事を書いてくださったのけど

(これね→親であること、子であることの祝福

わたしが体感したことは、

まごうことなき祖先から伝わってきたものだったんだ

ということが知れたのと同時に

 

この記事を読んでいたら、

また先日と同じ種類の涙があふれてきた。

なんというか…

やはり、ネットだろうが対面だろうが、伝わるものは伝わる・・・

書いている人の意識とか想いとか、はたまたそれを超えたなにかもは

ちゃんと伝わってくる。

と感じた。

 

先日の記事に書かなかったのだけど

その講座が終わった後、地下鉄で電車を待っていたら

母から電話がかかってきた。

(まじか…と思った)

そして、今月末に、会うことになった。

兄が(出来た兄です)家を購入するので、そのお祝いにくるのだそうだ。

ほぼほぼ、断絶状態なので、

たぶんそこでなにかが起こるんだろうな・・・という気持ちでいる。

 

「祖先」なんてほんとにちゃんと想いを向けた事など無い。

感謝をしたことだってない。

ただお墓参りをして、山の神様に祈っていただけだ。

でも、先日の、祖先の「よろこび」を知ってしまった以上

わたしには出来ることがありそうな気がする。

家系を思い遣る

ということならできる

そう思った。

それが何かを動かすかどうかはおいておいて、だ。

 

なんでインドに行くんだろう?

今は、わりとせっぱつまった時期で

ほんとうは、日本でがんばるべきかもしれないし

踊りだって中途半端で、まだまだひとり悶えてさぐらないといけない。

でも…

なんとなく、「家族問題」というほんとうにおおきなおおきなテーマを想いながら

今すごさないといけないんだということを

突きつけられてる気がしている。

 

だからなんでインドなのかわからないけど…

 

「呼ばれてる」

から…。

 

インドが、なんだか、ほんとに、呼んでる。

 (気がする)

 

恐いけど。

 

ムリティユンジャヤのヤントラも今日、てもとに来てくれた。

ディワーリは、闇を光に変える日なんだとか。

その日に、ブッダガヤにひとり移動します。

 

とっても恐いけど。

わくわくもしていて

 

さあ。

 

行って来よう。

 

捨てるも拾うも…

捨てる神あれば

拾う神があるのだ…

でもって両方とも神なんだ。

ということを最近はほんとうによく感じる。

 

 

しかし昨日は…

いろいろと稽古中に思うことあり

「インドなんて行く必要ない!もう取りやめよう!

日本で出来ることが山ほどあるのに、

なんでこの大事な一週間をインドに行くんだ!馬鹿馬鹿!私のばか!」

と頭をかかえて泣きそうになった。

 

そんな折、魂の先輩Mさんとメールをしていたら

「考えるんじゃない」

とお叱りを受けた。

「うれしくて、うれしくて。」

のところに居ればいいんじゃない?というアドバイス付きで。

……

なんだかんだ、あーでもないこーでもないと

なってしまっているのは確かで

ふー・・・なんでここにきてこんなに

じたばたしてるんだろう…私。

と思って、ちょっとそんな自分にウケたら楽になった。

 

もう乗りかけた船だ。

あれもこれも放り出して、

ただ、感じてこよう。

と言う風に、思い直した。

 

それにしても思うのは。

 

自分で考えて行動に移すと

それを受けてさまざまなリアクションが返ってくる。

それは、良いものも悪いものもほんとうに様々で

その様々さ加減にびっくりする。

 

 自分で考えても

プラスの汲み取りをするときは

対象に向けて心が開いていて、

知りたい、変わりたい、感じたい、何かを共有したい

とかそういう意識で向かっている。

逆に汲み取れないときは、「誰かにやらされてる状態」のときだったり

それはそれほど切実なことでもないんだろうし、やらなくてもいいことだ。

あるいは、嫉妬とか自分のエゴで本質も見えなくなってるときだったりする。

 

色んな人がいれば、色んな意識がある。

そこから受けるリアクションも様々になるわけで

とにかく畢竟「自分がやりたいことやってるかどうか」だと。

自分がやりたくて…

ということだけやっていれば

人の評価もなんてのもどうでもよいし、

神から捨てられても、たぶんどこかでまた拾う神に出合うかもしれないし、

だいいち、やりたいからやってるんだから、ストレスがないよね。

そーいう感じで行きたいですよ。

 

 

てなことを、

いろんな人と関り

いろんな物事に向かっていくと

感じるのでありました。

 

それにしても今日は気持ちが揺れたけれど、

それでも心はなんだかとても元気だ。

とっても脆弱だった心の筋肉が、少しずつついてきた感じがします。

心臓に毛が生えてきたのかもしれない。

 

 

 

 

うれしくて、うれしくて。

わたしは、いつのころからか、

一人の女の子とともに生きてきた。

その子は、おかっぱで、赤い着物を着ていることが多く

「童」のような感じの子で

いつも畑の枠や、刈り取った田んぼの中などを、たのしそうに、

ステップを踏んだり、遊んだり、歩いたり、歌ったりしながら

ひとりで

歩んでいる。

 

とても可愛らしいのだけど、

いつも一人でいるところしか浮かばない子なのだ。

私に何かを語り掛けるわけではない。

私も何かを語りかけるわけではない。

そっと、見守っていたい私の内にある何かのイメージだった。

 

先日、ヨガ仲間で

ヒーラーをされておられるKOUさんの

スピリチュアル講座!を受けてきた。

そのように銘打っている類の参加型のものをうけたのは、

ほぼ初めてでして私…。

というのは、ヨガの際に

KOUさんの集中力のすごさを知っていたからです。

それから、たぐいまれな論理的な文章と構成力で、スピリチュアリティについて

日々書いておられます。

 

で。

一回いきたいなーと思いながら、

なかなか行けないでいたのだけれど

もう「その日しかだめ」で、かつ、タイトルもグッときたものだから

エイヤ!と参加を決めた。

 

 

そこにたどり着くまでの道で迷ったりしたかどうかも

実は、潜在的になにか妨げがあるかないかを見る試金石になるらしいのだけど

わたしは「やばい、時間ギリギリだ」と思いながらも

迷うことなく現地付近へ。

で、「あれ、もしかすると迷ったかも…」と思ったあたりで

もう一人ぎりぎり参加の方らしき人が、駆けていくのを発見して

たぶんあそこだ!と感じ、それについて行ったらそこだったから、

まぁ、それほど大きな心理的な妨げはなかったのかな… 

 

そのなかで、「祖先のまなざしに繋がる」ワークというのを

伺ってはじめのほうに行ったのだけれど

わたしはびっくり仰天してしまった。

わたしは、家系からはみだしている自覚があったから、

どうなんだろう…?と思っていたのだけど。

自分が産まれたときに、

祖先はどう感じたかというのを観ていくと…

 

もう、

うれしくて、うれしくて……

うれしくて仕方ない、という何かがそこにあった。

実感として感じられるのだから、どうしようもない。

祖先は、私のようなものが産まれたことが、

ほんとうに嬉しかったらしい…のだ。

そして、さらに、もっとやれ!もっともっと!がんばれー!

というような

エールがあった。

 

そして、それらは

「祝福」以外の何物でもなかった。

 

おそらく、それは参加された人みんなに対しても、

そういう何かがあったのだと思う。

KOUさんも、泣いておられたし、

わたしも、なんだか知らないが涙が流れ続けて洋服がびしょびしょになった。

とにかく、大容量の涙が流れた。

 

>自分では、そんなに感情が高ぶっている感覚は無いのですが、

>私の身体を通して、
>ご先祖様たちの涙が流れたのかな、
>と思います。

とKOUさんは書いておられた。

 

そして、たぶん、あのエネルギーの中には両親のもあって

きっと彼らも私が産まれたときは

「うれしくてうれしくて」仕方なかったんだろうなと思った。

いまとなっては、ほんとうに関係性が難しい部分があるし

これからどうしようと、途方に暮れるものではあるのだけど、

たぶん、それはそうだったんだろう。

そして、みんなきっと、目に見える存在からも、そうでない存在からも

生まれたときにもらった「祝福の量」は半端じゃないという確信を得た。

 

そして、そのワークの終わりごろに、血縁関係ではないが、

深いご縁のある方の笑顔が出てきたりするので、

これはなんだかおかしかった。(これは血縁の祖先のはずなんだけどな……)

 

さらにワークは進み、

身体は熱くなるし、胸にはドーンとくるし、頭や額はびりびりするし

一体何が行われているんだろう…とKOUさんを見ると

ほんとうに武士のように一点に一心にスーと集中して座っておられる。

わたしも、昨晩2時間睡眠だったのに、眠くなかった。

(寝落ちしたと言っていた方々はいたが、私はほんとに眠くなかった!)

 

そして今度は

「スピリットガイド」なるものにアクセスをすると…

冒頭の女の子が出てきた。

いつもと一緒で、ひとりで歌っている。

周りでは、妖精みたいな(たぶん日本人じゃない)ものも

たくさん遊んでいるのに。

わたしは彼女を遠目でみていた。

 

そして最後に、

「魂の願いに自分の細胞まで共鳴させていく」ということを

やったときに、お腹の中にものすごい熱の塊があって

更にそれがすごい速度で動いているように感じられ、そして、また涙が出てきた。

そのあと、また、「あの子」が出てきた。

 

わたしたちは二人並んで断崖絶壁みたいなところに座っている。

髪が長くてウェービーでちょっと日本人離れしているのが私らしい。

そして、横に女の子が座っている。

おかしな二人だ。

そして「私」ははじめて女の子の方を向いて、彼女の顔を見ようとした。

彼女も私の方を見上げている。

その彼女の顔は、観たことないくらいの破顔で、

ニコーと足をぶらぶらさせながら、見上げて笑っている。

取り付く島の無い一人の好きな子だと思っていたけど、

その顔は、そりゃあもう童顔で笑いすぎて輪郭もとけそうになっている顔だ。

そして、わたしは「帰ろうか」と声に出すことなく立ち上がって

断崖のほうに背を向けて、なんとなく奥地へと歩きはじめるた。

向こう側に誰かが居るのが見える。

その隣には、「家」がある。

黒い人影が何となく手を振っているようだ。

「家」には、明かりがついているのが見える。

何となく、影絵に色がついたみたいな世界だ。

私たちはそちらに手をつないで歩き始めた。

 

…ところで、ワークが終わった。

 

あまりに「熱い」何かがおなかにあること

全身が「それ」に共鳴してものすごく熱くなっていること…

それらの体感はすごかったし、

KOUさんが

「この状態で毎日を生きるんです」

と言った。

そして、この状態で生きるためには

自分の真実を生きることです。

と仰った。

 

今感じられた

「カー!」と熱いこれよりももっともっともっと魂の願いというのはくて

「ここに生まれることを決めた魂の願いは半端なものではないんです」

 

この状態でまいにちを生きたとしたら。

 

それを想像しただけで、身体がまた熱くなった。

 

 

去年、インドでババが

「自分の魂の指定席を、はっきりさせることです。

指定席がはっきりしさえすれば、あなたは自分の映画を見ることが出来る」

と言っていたけれど

もう、きっと、そういう時期なのだ。

「恐さ」のなかにヒントがある。

 

あのヴァイブレーションを知ってしまったからには

もう、元に戻ったらいけないのだ。

 

あそこに自分の日々を

近づけていこう、

恐れている場合じゃない。

 

ということで…!

 

文京区の申請にも行ってまいりました!

最後の最後で人数が足りました。

ご協力くださったかたがたに、ほんとに感謝。

(長くて突飛な文章をここまで読んでくれている気がしないが・・・笑)

 

これからが正念場です。

ダンスする身体と心

昨日夜、タバコを吸おうと思って

(うそだけど)

夜外に出たら…

月が凄いことになってた。

雲がうろこ状にずっと続いていて、その中に「目」みたいな

まん丸お月様とその輪郭が七色みたいに輝いた光の環!!!

 

慌ててケータイを取りに走って

疾走しながら柵をよじ登って屋上へ。

カメラでパシャ!

あれおかしいな…とれてない

 

もう一度、パシャ!

あれ?なぜか画像が出てこない。

 

もう一度パシャ!

おおお!今度とれたの真っ暗だぞ!

 

f:id:akikologue:20171008001404j:plain

 

 

と思ったら一個前にまん丸お月様がとれているのが出現した!!

 

 

 

f:id:akikologue:20171008001402j:plain

 

・・・なんじゃこの時間差は!?

 

ははーん、これはあれだな。

 

 

クリシュナのいたずら!

 

ですな。

 

そして、しばらく仰向けになってじっと見ていたら。

 

あれ?

なんか、これはラーダ―とクリシュナだ。

と感じられた。

根拠は全くないのですが、なんだか一緒にいる気がしていて

そういう感じは初めてだったので

今度は慌てて、「今日はクリシュナのいいいたずらがあるといいね」

とか言ってくれてた(あったよ!)Mさんと

それからインドのババにもメールを打った。

 

ババに「ラーダとクリシュナが一緒にいる気がするんだけど」

と言ったら、ババは

「そうです。彼らはダンスしてる。Rasa Prnimaだ」

と。

 

いうことです。

 

今日は、成り行き上、5人くらいとボディ・ワークをやったのだけれど

緊張したけれど、「感じながら丁寧に人と共にやる」ワークほんとうに

身体がほぐれる。

自分の体が一番ほぐれたんじゃないかと言うくらいだ。

 

みんな、途中から「ネムイネムイ」言っていて、けっこう緩んだ。

胴体がうまく使えてくると本当に身体の運びが楽になる。

もっともっと身体のことが知りたい。もっとも使ってみたい。

だって、みんなダンスできる身体と心をもって

生まれてきたんだから、余計なものがなくなったら、

できるはずなんだ。

 

ダンスは、クリシュナとラーダ―だけの特権じゃない。

十五夜付近からのきっぱり感、その他

今日はハンディの人とともに踊る会の代行だったので…

仕事を終えてダッシュで場所に行って

1時間半くらいからだと場を慣らしてから行なったのだけど、

かなりうまくいった。

でもって、ちょー楽しかった!

とはいえ、

代行自体ももう5年位やってるので、超遅い進歩なのだけど…(^^;

 

でもほんとに、やるごとになにも「やってはいけない」んだなと思う。

語弊あるかもしれないけど・・・

場を整えて、身体をほぐす手伝いを最大限やったうえで

あとはそこ何が起きるかお任せするのが一番だなと毎回思う。

それを「待つ」ことができるかどうかが勝負というか。

 

今日は、木の棒をつかってダンスを組み立てるということをしてみたのだけど

みんな素晴らしかった・・・

そんじょそこらのアートは目じゃない、ってくらい

そこで立ち現れては消えてゆくものが美しかった。

そういう現場は、言葉を失って見入ってしまう。

 

「余計なことをしない」

こと

「自分のエゴでまげたりしない」

こと

だと思う。

 

余計って、計らいが余剰だってことだもんね。

 

それにしても自分が教える立場になるとほんとうに学ぶことが多い。

いかに、いいかげんにやってちゃだめかということが思い知らされる(^^;

あとは「慣れ」ないことだなって思う。

 

十五夜さんくらいから何だかものすごくエネルギーが変わってきている気がする。

なんか、シャキっとなったし、みるものの輪郭がすごくくっきりしている。

視力が上がったのかな・・・と勘違いする位だ(上がったのか?!)

 

そして、少しお酒が飲めるようになってきた気がする・・・(^^;

飲めない方が安上がりだしいいのだけど・・・

なんなんだろうね?

 

 

釈迦にはスジャータがいて。

何だかいきなり10月に入り目の回るような忙しさだ。

でも超元気だ・・・・気力に満ちている。

人と会ってその人がうれしくなると、

わたしもうれしいしかなしいとかなしいしという、

実にシンプルなところに立ち戻った気がする。

 

今日は、同居人だった後輩Kちゃんの

記念すべき人生の岐路とともに居た気がする。

少しでも身体が楽になるように手伝えたことはわたしの学びになった。

 

シンクロナイズドスイミングに満ち溢れた日々は

これは、もう人知を超えたところの話だし、

自分ではなにもしないように、計らわないように。

うけ取り下手なわたしだが、

これだけは、感謝して受け取りたいのだ。 

 

昨日は徹夜で本を読んでしまった。

 

今朝、それでも目はらんらんとして、本を読みながら電車に乗り

職場に着き、仕事を終えたら空から羽が落ちてきた。

 

スジャータについて読おもいめぐらしていたら

スジャータのミルク粥」についていきなりMさんからメールが入ってあわてた。

さらに、一年半くらい購入するか迷っていた(迷いすぎですが)

クシャ草のヨガマットをひょんなきっかけからMさんがくださった!

(欲しいものをしっている・・・。)

 

クシャ草はなんだかとても「安心」なエネルギーでかつ、

大好きな黄色だ。

すごいのだ。

ありがとうなのだ。

(下記一部。)

f:id:akikologue:20171006005504j:plain

 きれいだな。

 

長いこと、釈迦のありかたについて疑問があったのだけど

それについてなんだか妙に腑に落ちる本に出合った。

(何の本か知りたい奇特な人がいたら個別にメールください)。

 

そこには「スジャータをどうとらえるかが大乗と小乗の違い」とあり

「釈迦はスジャータの目を見て心を動かされて粥を受け取った」とあり

「決して男を誘惑する気持ちではなくて、子供のような純粋無垢な気持ちで

釈迦を高貴な人として接した」ドラヴィダ人スジャータの無垢な慈愛の心と

釈迦の慈悲慈愛の心が響き合ったことで、

「釈迦はバラモンを超えて、一瞬にして大悟の悟りを得た。」

 

そしてさらに

釈迦はスジャータに対して一番先に説法をしたかったのでしょう。

とあった。

 

わたしは、今生では女性だから、やはり女性として物を見るし、

女性としてものを考えるし、

でもはて、いろんなすばらしい修行などについての女の位置の低さよ・・・

と思ってぷんぷんしていたわけで。

 

>釈迦はほんとうは一番最初にスジャータに説法をしたかった

 

そうだよ。

 

そうに決まってるじゃないか!

 

そして、釈迦がもしほんとうにそう思っていたのなら、

そしてほんとうにそういう経緯で悟ったのなら

すごいことだなぁ・・・。見方変わるなあ。

(それにしても命の恩人に「説法」ってね。もっとなんとかなんないのかね) 

 

スジャータもマリア様も、

地母神のあらわれなのでしょうか。

 

わたしには真偽のほどはわかりませんが、

でもこの本に出合ったことで、胸のつかえがするっと落ちて

「これでいいのだ」と思った。

そして、釈迦についてももっと知りたくなった。 

 

今日クシャマットを持ってきてくださった魂の先輩Mさんにあって、

その話をしていると、それを聞いたMさんが

開口一番

「だからさ、イエスにもマグダラのマリアがいてさあ~!」

と来たよ。

 

それー!

それが、言いたかったんです、まさに今。

何も言う必要ないのかもしれませんね。

 

 

(私個人の全く勝手な見解ですが!)

 

エスにもマリアさまが居て、

釈迦にもスジャータがいて

クリシュナにはラーダーラーニーがいる。

 

それぞれのシャクティ

陰と陽はふたつでひとつ。

 そして、それらの女は、圧倒的な「利他」。

 

 

ずっと、釈迦と女性の関係性について疑問を持ってたし

仏教ヒンドゥー教も)の中での女性のステイタスというか、

そういうのに?だったし、

それが氷解してきたことがあって

わたし、今生で女に生まれて良かったな、、、、と思ったのだ。

ほんとうに。

 

今度のインドの旅で、

わたしはスジャータ村に泊まることになっているのです。

すごいうれしいですが

生きて行ってこなければ。

 

そのまえにビザか。 

 

 

full moon

getting closer.

f:id:akikologue:20171004172309j:plain



満月を意識した。(無意識的に……)

f:id:akikologue:20171003233317j:plain



7、8、9月とこの3ヶ月の波はなんだかものすごかったです……

何だか摩可不思議な3ヶ月だ。
なんとなく10月は総まとめ的な…気配。
はくと、の<と>ですし(受け売りです)。

気力の満ちるほうへと、いきたいです。
心して。

もとむ、文京区在住、在勤、在学者~あと一人!
help me~ プリーズ!