日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

完璧な降参についてのベリーライトなメモ

糧を得る仕事と、

立ち上げるものと、

踊りと、

分散するんじゃなくて、統合していきたくて、

つながるものを探している(^^;

 

さて。

そんななかで、久々にわたしはなんだか

ちょっと力(?)が入ってきてる……気がする。

7月の終わりから力が入らなくなって、それはそのまま8月も続き

なんだかメキシコから帰り、至福の状態が続いていた。

それが、新月をさかいに、何かパキっと変わった、という感覚。

 

はなしは全然変わりますが。

「みんな忙しくて、すぐに、最短で一番効果的な方法を教えてください!」

っていうんだけど……(ずるいな、と感じると。)

と、わざわざバクティの先生が濁しながらもいうのは、

かならずしも回り道をする必要はないかもだけど、

ぜ~んぶショートカットしていける近道なぞない、ってことだと思う。

 

心地よさとか楽しさとかは大事なんだとおもうけど、

なんとなく、通る道は違っても、頂上までいくのには

あれじゃなかったけ、物理とかの法則でたしか、

重さ×高さ×何とかとかがあって、結局同じなんじゃなかったっけ。

 なんとかの保存の法則。

そうだよ、結局変わらんのだよ多分。

 

ただし、道を行くのに

必要な通行手形はただひとつ!!

 

完璧な「サレンダー」!

 

ドーン!!

 

なのかなと。

なんかもうめちゃくちゃですいませんが(笑)

これって、たぶん、簡単な人には、簡単、

難しい人はできないしろものなのかもしれないですよね(;_;)

サレンダー。

 

U先生も「この人は20年もかよっていて、降参できない」

って何かの拍子にぽろっと言ってたことがあったが、

それとこれとはおんなじことのような気がする。

 

降参、できるかできないか…

(一体何に?の答えは自分でみつけなきゃいけない)

 

 

クリシュナのために泣いた5歳の男の子は、半年の内にクリシュナを得た。

なぜなら、その子は、クリシュナのために、泣いたからだ。

なぜなら、その子は、もう心のうちで決めていたからだ。

クリシュナがほしいと。

君はクリシュナのために、泣けるかい?

泣けない?

そのほかのことでは、泣けるのに?

…それは、君のハートが固まっている証拠だ。

泣けない?

…それは、クリシュナを欲しいなんて、これっぽっちも君が思ってないからだ。

君が得たいのは、マーヤだ。クリシュナじゃない。

そして、君が得るのは、マーヤだ。

(意訳)

 

 

19分くらいから ・・・来るんですけどね、この問答。

(この方は、ヴァガヴァット・ギーターの翻訳で有名な

プラブパーダの弟子のゴウラ・ゴーヴィンダ・スワミと言うかただ)

 

Evening Darshan - A Lecture on Guru Tattva - YouTube

 

ぬおー私がミスター・ペーターだったらこれ言われたら多分

ショックだろうなああああ…… 

 

泣くことについて、こんなに本質的な事ってないんじゃないかな、と。

<クリシュナ>ってことばにになじみがなければ、

他の適切だと思われる言葉にしたらいいのかなと思う(いやダメかもだけど)。

でも、自分のエゴのために泣くなよっていうことで

それだけ涙には気を付けないとなのだな。 

 

涙というのが、ものすごい浄化力があるとしったのは、8月のある日だ。

まぁ、それまでもほんとにボロボロ泣いていたんだけれど

(それはクリシュナのためじゃなくて、勝手に出てきてしまったからだけど)

あるときルンルでそれが始まってしまった。

内側がものすごい静かなのに、あっつい涙がずっと流れる。

先生にそれをいうと、「ただ、涙が出る、んだよ」と言った。

余計な解釈をしようとしていた自分から、はっと戻ってきた。

そうか、ただ、「涙が出る」んだ、と。

そういう涙もあるんだ、と。

さらに、ある言葉をかけてくれた。

それはそれは、しみいる言葉だった。

その日のあと、わたしのなかでは

なんというか、元に戻ることのない変化が起きた。

 

 

そうだ。

落ち着いて、

今日も、ちゃんと働き、ちゃんとご飯を食べ、

ちゃんと寝て、祈ろう。

 

だってね。

今日の空は、ピンク色だったのですよ。

(よじ登りました!)

 

メキシコに祈ります。

 

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踊ること、やってみること、現実的で決意的なおはなし。

昨日、ひさびさにソロで踊ってみて、

以前はまるでできなかった複合系が簡単に出来るようになっていることに驚いた。

 

舞踏は、あらゆる感覚を使って踊っていいというのが特徴で

嗅覚も、聴覚も、身体の内部の感覚も、皮膚感覚も、言語感覚も、イメージも

そのすべてを総動員して、踊っていく。

 

でも、以前は、そのどれかひとつを使うのに精一杯で、

「一つしかできないのは子供の証拠。

人間は複雑なんだから、複合してできないと大人とはいえない」

とさんざん、言われておりました。

そして、わたしは、そのとおりだなと思ってたわけです。

踊りについて言われることに関しては、ほんとに「その通り」と思います。

が。「わかっちゃいるけど……出来ない」。

 

でも、昨日は違った。

「同時にたくさん使う」ことの自由度の高さを知った。

そして踊る前にとっさにマリア様に祈ったら、

大きなエネルギーが、やってきた…すごかった(^^;

 

たぶん、わたしは踊りを大事にしないといけないんだと思った。

どうしたらいいのか、ほんとうに分からなかったのだけど、

好きか嫌いか、できるかできないか、食えるか食えないか

そんなこともとっても大事だけど

今のところ、踊りは自分の中で自分を「測れる」

たったひとつのものさしであることはたしかです。

そして、多分、これはわたしの「特徴」でもあるんだろうな…と。

社会との接点を作るにしても、ここを失くすとだめかもしれない。

 

・・・・・・・・

 

実は、この半年くらいずっとあたためていたことがあります。

それは、

「障害のあるひととともに踊る」という試みを、

自分でもやる

ということでした。

踊りを始めてからずっと関わってるから、もう9年位になりますが

奥が深いな…とか、

私まだまだ<すべては一つ>的に物事みれてないわ…とか

思い知らされることも多い仕事です。

 

そんなことを思っていたら、師匠も

「わたしのやってきた仕事を引き継いでほしい」とか

「どこかにつくれば?」

と言ってくれるようになった。

 

さらに、具体的にどうしたらいいか、

現実的なアドバイスをくれる人にめぐまれた。

 

それでも腰の重い私ですので

決心するまで半年間位右往左往していたんですが、

一昨日ようやく決意して、ひとつ自分でクラスをつくってみることにしました。

やるからには、いろんな人に会いたいし、自分の糧にしたいと思ってます。

 

で。

 

文京区の施設を借りようとしているのですが、

文京区の方が5名いらっしゃると、施設がかりやすくなります。

 

協力してくれる方がなんだかもう何人か声をかけてくださり、

あと2人位で申請ができるようになりそうです。

もし、文京区に通勤、在住している方がいらっしゃって、

協力してくださる方がいたら、

わたしまでご連絡いただけたら、とても幸いです。

 

でも、まあ、気軽に気楽にやっていきたいと思ってます。

それから興味のある方は声をかけてください。

 

今日は、新月です。

はじめてこのブログでまじめなこと(?)を

書いたようなきがしてます…

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

Calling you, インド

インドへ行くことになった。

 

しかも来月だ。 

 

こんな展開になるなんて……。

 

本当はこの10月にとても行きたいインドツアーがあったし、

来年とっても行きたいインドツアーもあるし

でもそれらは今の私の財力では無理かろうということで、

涙を呑んでいたわけです。

 

それなのに何故に、と思うでしょう。(わたしもそう思う)

 

古くからの友人Aは、

学生時代から(大学は違うのに)ずっと仲良くしていて、

わたしの数々の愚行を端から端までしっている人だ。

(本当にワタシの愚行の数々は、放送禁止なのだ…(^^;)

 

更に、彼女とは不思議な縁、なのだ。

 

誕生日がものすごく近い。

名前(私の名と彼女の姓)がとても近い。

私が海外放浪していた時に文通していたし

昨年まで勤めていた会社が目と鼻の先(かつ、彼女の勤務先はいわば親会社)だし

昨年、インドから帰ってきて一番最初にプラサーダを渡したのが彼女で

メキシコに行っている間にトゥラシーを預かってくれていたのは彼女のお父さんで 

私の母親が私の友人として安心しているのも彼女くらいで、

いつも踊りを見に来てくれ、言葉で気遣ってくれ、お互いにお互いの進捗を話し合える珍しい人だ。

 

そんな彼女が、インドに行きたいと。

ちょうど、私が昨年行った(そのときは何故か参加者は私一人だった(^^;)

プログラムがあったのだ。

そして行くかどうか「私に任せる」と言ってきた。

わたしは「う~ん」と相当悩みつつ、とりあえず各方面にどうなのかを伺ってみて

それでだめだったらだめってことだろうな!(あきらめもつくよ)と思った。

 

そうこうしてるうちに全てが猛スピードで整ってしまった。

格安フライトOK

カールティックという期間に入るため空いているか分からなかった寺院の宿も

2人の相部屋がOKとすぐに連絡がきたらしい

更に今度は誰かがお金を拠出してくれるわけではないから金銭面が悩ましかったが

「これ以上は絶対に出せない」という予算にぴったりとはまった。

 

内心、若干焦った。

 

状況は整ってもいつまでもいつまでも耳元で聞こえる声がある。

「そんなことしてたらもう現実社会に戻れなくなるよ?

そんなに甘くないよ?」

「9月末ってリミットを決めたんじゃないの?

「踊りのメンバーになんていうの?」

「お金大事にしないと」

等々。

 

行先は、ヴリンダ―ヴァンで、

Aは、たぶん生来の気質で、信仰心が篤いものあって、

わたしの旅の話を読み現地にあこがれを持ったのだというが

わたしはもともとの発端が、『ギーター』に衝撃を受けたからで、

ヴリンダ―ヴァンに行く前に結構必死で話を聞き、マントラを唱えていたのと

ヨガに親しんでいたのと、ヒッピー時代の免疫から

インドに対する「壁」が全然なかった。

(ヨガをやっている人は、知らず知らずのうちに

インドに対する何らかのバリアーが消えているのだと思う)

 

でも、彼女はそうではない。

更に、スパイス料理が食べられないというので

あの特殊な環境に行くの大丈夫かな…という思いが正直あった。

(だって、毎日カレーで、マハ―マントラが四六時中大音響で流れているのだよ)

とりあえず、ブリンダ―ヴァンに通い、バクティを教えている人のところで

話を聞いてみることをすすめた。

そうしたら、なんとなく様子がわかるだろうな…とおもった。

 

そんでもって昨日、行ってきた彼女に

「大丈夫だった?」

とメールで聞いたのだが、一向に返事がない。

 

わたしは、やはり相いれなかったんじゃないかなーと思った。

まだ、取りやめることは出来るし、止める勇気は尊いものだ

とか思って、

その辺をしっかり話して明らかにしておこうという思いで夜、電話をした。

 

すると、驚愕の事実が発覚。

 

私のメールが向こうに

「大丈夫だ」

と届いているのだということだった。

 

だから彼女は「聖地に行っても大丈夫だ!」って太鼓判押されたんだと思った…

と言って、自分でビザの手配をはじめているといった。

 

 

クリシュナ先生……

 

ほんとうにギャグセンスに長けてますよね……

 

ていうか、ただの深読み?

う~ん、、、 でも何だか、やはり、自分の意図を超えてるものが。

 

続けて彼女は

「ギーターを読んで行ったから、昨日の話はよくわかったよ」

と言った。

なんだか、嬉しい。 

 

というわけで

「行かなくてはいけなくなった」

(^◇^;)

 

正直、別の不安も少々あるのですが、

昨年、心残りだったことがひとつあって、

それが達せられるのなら、行きたい…と思っています。

 

でも、とにかくそれまでに、

あれとこれとそれを、あーやってこーやって、こうしていくのだ!

 

 

 

 

天赦日。メキシコ最終章

なんだか昨日のブログの閲覧数が半端なくなっていて

Coccoのライブレポートを書いたときをはるかに凌ぐ

すごいことになっていたのですが、

18日は天赦日というとても吉兆な日だったということ。

Wikipediaによれば

この日は、百神が天に昇り、天が万物の罪を赦(ゆる)す日とされ、

最上の大吉日である。

そのため、天赦日にのみ「万(よろづ)よし」とも注記される

 

そんな日に書いたなにかが、どこかの誰かの何らかの興味にヒットしたのでしょうか。

わたしはMさんと一緒に、「聖母マリアの秘密」を語る会にいってきました。

しかも、わたしの地元に来てくださるという…(偶然ですが(^^; ありがとうございました)

 

 

Kさんのお話を伺っていると、

もう…仏教キリスト教神道もとにかく、神事なんでもカモン!

宇宙ネットワークはみなつながっている!という感じで、

古今東西八百万の神様ともうめっぽう

果てしないわけですが(もちろん中心はマリア様ですが)

インド系なのにマリア様とかってどうなの……

浮気性なんじゃないの……

なんて悩んでる自分は相当かわいいもんだよな!(ちっぽけなもんだな!)

と思うに至りました。(詳しくは昨日の記事をご覧ください)

 

108人くらいの心から愛する神様がいても、

何ら問題ないのかもしれません。

(とてもそんなに愛する体力はありませんが)

 

ところで、昨日もある人と会ったときもそう思ったのだけれど、

一緒に時を過ごしているとだんだんと空気がきれいになっていく人がいる。

場がパキっとしていてとっても清浄になって、

その場合視力がすごく上がった感覚でわかります。

今日も、そんな感じがしました。

 

映像で「マリア様ご出現」の様子を見せていただいたのですが、

ご出現されたときの幻視者の表情が、

一瞬でものすごく美しいものに変化するので見入ってしまいました。

ほんとうに一瞬にして頬がばら色になって目に光が宿るのです。

さらに、マリア様が消えていくときの一瞬の表情の変化と動作などが、

ものすごくて「うおおお~!」と思いました。

 

いまでもメジュゴリエで続くマリア様の幻視者のメッセージがあり、

直近のメッセージは、8月25日。

「祈りが神様と出会うための秘密の鍵であることを覚えていてください」

とある、ここははじめてお伝えされたことなんです、

祈りが、鍵なんです、とKさんはおっしゃっていた。

 

マリア様の祈りを教えていただいたので、

これで我が家のマリア様にもちゃんと祈ることが出来るので、嬉しくなった。

壁に貼って覚えよう・・・( *´艸`)

 

終わりのときに、マリア様にまつわる聖水をかけていただき

サンダルウッドを練ったものを額に付けていただいた。

額を指で触れたときにKさんが

「ん?第三の目が開いているか、開きかけてるかですね…。」と仰った。

 

・・・触っただけで、よく分りますよね、、、、ほんとすごいですね…。

。。。そうなんですよね……何をかくそう、、、、

ここ1か月くらいですごくここの部分の感覚がうずくときがあるんです。

 

自分では何となくそう思ってただけで、言語化したことなかったので、

なんか今日は「ガツーン」ときました。

(第三の目がついてないことで、踊りで何度怒鳴られたか分からないので

それがちょっとでも踊りの際に効いてくれるならもうそれだけでいい)

 

サンダルウッドの香りは、バラみたいで、ちょっと美しすぎる香りでした。

 

瞑想の後、ものすごく澄んだ水晶を打つ音で感覚を戻してきたのですが、

会が終わった後、台風一過も手伝って、ものすごく澄んだ街路を

Mさんと一緒にしばらく散歩しながら、

ものすごいクリアになった自分の気持ちも手伝って、

気持ちがいいねーと言いあいながら歩いた。

神様は、ほんとにすぐ近くにいるように思われた。

 

ふと、わたしは「グアダルーペのマリア様」に親近感を覚えたのであって、

たぶん、それ以外のマリア様だったら、そうは思われなかっただろうなとおもった。

ヨーロッパのマリア様は、わたしには、少し、まぶしすぎる。

褐色の肌をされておられて、ちょっとものうげで、色づかいも決して透明彩色でない、

そういうマリア様だったから、わたしでも

近寄らせてもらうことが出来たんだな、と思った。

メキシコで出逢うことができたのは、

ほんとうにちゃんと計らいのあった恩寵だったのだと、今日、感じました。

 

今日の会を教えてくれたMさん、ほんとに

ありがとございました。

 

テペヤックの丘から、ふもとの教会を望む。

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グアダルーペの聖母マリア。メキシコその4

一体私はどこに向かっているのだろうか。

今日は何となく現実社会で生きる「スイッチ」が押された気がしたのですが、

それは「聞いてくれる人」に恵まれたからだな…。

一体私はどこに向かっているのだろうか。っていうのは、自爆しないための自分への問でもあって、ちゃんと、現実に足を張って生きたい…。

 

話はまた飛ぶのだけれど、私の中に一番深くあるのは、アニミズムです。

、、、石にも葉っぱにも森にも動物にも神様はいる…という、それはあたりまえかもなのだけど、地元の山や川のなかで過ごした時間や、神社裏で犬や猫を拾って育てていたときや、裏山の山の神様に守ってもらっていると感じたことや、トーテムポールとインディアンに憧れていたときや、御嶽で木立の隙間から日が昇るのを見ていた時や、ヴリンダ―ヴァンで葉っぱの一枚一枚が「生き」てることが感じ取れたことや…

で、確信になっている私の核のような気がする。

「自然」の傍にいるときに、わたしは常に元気になる。

 

で、それはたぶんこの先もゆらがないと思うと同時に、ただ「たったひとつの根源的な神様」はあって、そこからはじまる世界に一緒に生きているんだよなとは想う。

それは何の信仰とも何の宗教とも対立しないという気がするから、わたしはひとり「これでいいのだ~!」と勝手にそう思っている。

だからわたしは、今もこれからも何の宗教にも属さない。

 

ですが。

ですがですね、

わたしはしいて言うならインド系なのに、なんでマリア様?とも思っていたわけです。なんか浮気性の甲斐性なしみたいじゃないか……と(^^;

だいいち、ヨーロッパを旅していても、マリア様に祈ることなんて、一度もしたことがなかったのに。

 

……ううむ。

 

ほんとに前置きが長いメキシコシリーズ(^^;

前回はこちらです。

線はいつしか交差する。メキシコその3 - 日月日誌 hitsuki nisshi

 

メキシコ最終日。

思いがけず自由な半日がやってきたのだった。

 

わたしが「それでは、実はグアダルーペの教会に行きたいのですが」と言うと、案の定、一人で出歩くのは危険だから、「テンプロ・マヨール」と「人類学博物館」にもう一人のスタッフとふたりで一緒にと行くべし、とお達しが来た。

はい! と言ったのち、相談のうえで「君も僕も自分が行きたいところに一番最初に行った方がいい」という察しのいい相方にめぐまれたお陰で、わたしたちはメトロの途中で別れ、4時間後に待ち合わせることにした。

テンプロ・マヨールにも間に合ったし、すごかったけど、いかんせんボリュームがありすぎて、次は一日かけてみたい)。

 

グアダルーペの寺院に着いた。

旧教会にも、新教会にも、もう人がいらっしゃったが、平日の朝早い時間だったからか混んではいなかった。教会のなかは、たくさんの人がいても、シンとしている。

そして、新教会の奥で、人々がみんな上を見上げているさきに、「マントに現れた聖母」の姿があった。なんかとてつもなくそこの場が「優しい」(うまい言葉がみつからない)。

みんな歩く歩道で行ったり来たりしている。

わたしは、写真を撮った。

 

そして、わたしはテペヤックの丘に行ってみたかった。

 

アステカの女神の場所であり、マリア様が現れた場所なんてとんでもないと思った。

階段を上っていく人はまばらだ。

ただ、登っていくと明らかに場所の気配が全然ちがうのが私にでもわかった。

小さな礼拝堂に着くと、簡易椅子がもうけられて、そこで何かが始まろうとしていた。わたしが去ろうかどうしようか悩んでいると、うしろから促されて、席に着いた。

言葉が全然わからなかった(ほんとうに残念だった!)。

ただ、司祭の方が飲み物を飲み、パンをひたしていたから、これは「ミサ」だろうと思った。

 

みなで祈りをささげた後、たぶん「隣の人と分かち合いなさい」的なことが言われたんだろうと思う。みんながそれぞれ、見ず知らずの前後左右の人と握手をして微笑みはじめたので、わたしもあわてて真似をして、何人かと握手をした。

 

そのあと、司祭が去るとすぐに、20人位の参加者が各々、前方に群がった。係りの人が、水を飛ばす。手持ちのグッズに水をかけて頂くためなんだと分かった。

わたしは下の教会でたまたま買って持っていた絵があって、それなら問題ないだろうとおもい、聖水を頂いた。さらにとっさにずっと手に持っていたマーラーを差し出していた。なんだか、すごく有難く思えた。

 持って行ったフィルムカメラが、テペヤックの丘で写真を撮った瞬間に終わったので、キリスト教徒でもないのに、何となく目的が果たされたような気持になって、同時になにかがとても、満たされた。帰りぎわにラーダ・クンドでふいたみたいな風がふいた。

 

で。

日本に帰国して、何日か時差ボケに苦しんでいるとき、一番最初にある方にさそっていただいたのが「聖母マリアの秘密」のお話会だったのには、びっくりした。

さらに、眼科で順番待ちをしていると、隣の人が各種マリア様のカードの本を読んでいて「グアダルーペのマリア」というところでページが停まる。

そんな不思議なシンクロが続いて、正直、どう解釈していいかわからなかったのですが…

『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』を読んでいて腑に落ちてきたところは、それが、主人公がマリア様を通して「神様の女性性」というところに触れて、変化していく物語だったことだった。

なんだかそれがすごく、グワっと来た。

 

わたしの家には、童のお釈迦様の置物と少年のそれの像があるだけで、人間の形をしたものや絵はあと指人形とふくろう三兄弟くらいだったのだけれど、マリア様が来て、なんだか空気がずいぶん変わったと思う。

思い過ごしかもしれないけど、それはなんだか、不思議に嬉しい感じで、いまはそれをそのまま受け取りたくて、意味づけはしないでいていいのかなとおもってます。

 

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マリア様、メキシコにいかせてくださり、

ありがとうございました。 

線はいつしか交差する。メキシコその3

先日、ボブ・サムのお話に心を射貫かれて、書いたのがこれですが、、、

たましいについて語ることを、恐れるなかれ。 - 日月日誌 hitsuki nisshi

 

その次の日、ある出版社のMさんに非常に美味しいご飯をご馳走になった際、

なんとなくその話になると「星野道夫は、先輩だった」

というのに加え、「ボブは、うちにも顔出して行ったよ~」と

n言うではありませんか。

なんとなく、私の中でボブはもうお亡くなりになった(すいません)くらいの

伝説の人になっていたので、なんか拍子抜けして…

さらに色んな話も伺ってしまいました。

ガイアシンフォニーにも出ているらしいですね。

私、この映画多分これからも見ない気がしているのであれですが。。。

(何度も観ようとしたのに、なぜか観れていない(^^;)。

ボブは、すごく有名人だったのだ。 

 

その後、本を下さるというので、出版社のオフィスまで遊びに行くと

前々から気になっていた本が棚差しになっていた。

『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』

パウロ・コエーリョの本だ。

 

もともとパウロの『アルケミスト』も地湧社(あ、言っちゃった)

から出版されていたのだと伺って、ほお~と思った。

(、、、しかし、地湧社の本は、ほんとうに何年たっても色あせないばかりかあたらしいものばかりだ)

「あ、これ前から気になっていたので、買います!」と購入して

帰ってから読みはじめると、

何とこの本は、聖母マリアの幻視者のお話だったので

椅子から転げ落ちるかと思った(なぜかは、この後書いていきます)。

 

しかも、わたしは海外放浪時代に

ほんとうは「カミノデサンティアーゴ」(サンティアゴ巡礼の道)

に行きたくて、でも装備も無いので、

その本に出てくる付近のフランスースペイン国境をフラフラしていたことがあるので、

光景が瞼に浮かんできた。

 

さて。伏線が大変長い地味にメキシコシリーズその3です。

前回はこちら。

ラテンの血?メキシコその2 - 日月日誌 hitsuki nisshi

 

 アルバというのは

「日の出の一番最初にさしてくる一筋の光」という意味なんだそうだ。

良い名前だ。

わたしたちは、I氏が連れて行ってくれた小さくてきれいな湖で遊覧船に乗りながら、あるときこんな会話をした。 

 

わたし「メキシコの街角には、たくさんマリア様がいらっしゃるけど、みんなだいたいカトリックなの?アルバも?」

アルバ「そうね。あれは、グアダルーペのマリアというのよ」

わたし「あ、あれもそうなの。そのお名前は日本に来る前にたまたま本で読んだの。もしもメキシコシティで時間があったら、そこの場所に行きたいのね。」

アルバ「あ、あそこはほんとうに中心地なの。ぜひ行ってほしいわ。」

すかさずI氏「マリア様がお守りしてくれるよ」

はは~ん、さすが中身もイケメン!

が、それらの会話がなんだか非常にうれしく心に残った。

 

というのは、たまたま渡航前のひまな時間に

ヨガの先生におすすめしていただいて読んだ

『聖母マリアの秘密』 と言う本がとても不思議に興味深くて、

なんとなくマリア様に意識が向いていたからだ。

この本は、著者の方が、何かに導かれるように聖母マリアにまつわる聖地をまわり、

今なお続く、聖母マリアの幻視者のと出会いを重ねる記録で、

それはそれは、不思議な本だった。

 

その本を読み進めていくと最後の方に、

メキシコでのマリア様の出現のお話が書いてあった。

それが「グアダルーペのマリア」で、

メキシコシティにあるテペヤックの丘というところに現れたそうなのだ。

 この「ご出現」は、正式にカトリック教会によって認められているという。

 

地球の歩き方」で確認したら、小さい配分ながら紹介されてあった。

もともとは、先住民のアステカの女神のいらっしゃる場所でもあったという。

今は新旧の大きな教会があり、ご出現した時に「しるし」として

幻視者のマントの中に現れたマリア様の絵がかかげてあるという。

その前は人だかりができてしまうので、

「歩く歩道」が用意されているというので笑った。

テペヤック丘の上にも小さな礼拝堂が建っているとあった。

 

たぶん、わたしたちに自由時間はほぼ与えられないだろうと思っていた私ですが

それでも最後の最後のメキシコシティで、

もし奇跡的に少しの時間でもできるようなら

なんとか集団行動を抜け出して行くことができないかなと思いながら本を閉じた。

 

 つづく~!

 

Basílica de Nuestra Señora de Guadalupe

グアダルーペのマリア様の教会(左が新・右が旧)

この後ろの方に「テペヤックの丘」があった。

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ラテンの血?メキシコその2

なんだかもうわけがわからないほどの、

シンクロナイズドーー!!!的事態がたくさんおきるので、

もうほんとうにわけがわからなくなりそうですが……

シンクロは「うまくいっているしるし」ということでしたし、

良いことなんでしょうね!

でも「これはどういうことなの!?」とは思うと同時に

たぶん、わたしには読み解けないどんでん返しもありそうな気もする。

でもさ。もうこのまま、

10億円くらい引き寄せられるんじゃないでしょうかー。(笑)

 

さて。メキシコです。

(地味にメキシコシリーズです・・・)

 身体の力は戻らない。 メキシコ前夜 - 日月日誌 hitsuki nisshi

 onchoの鐘は鳴る。メキシコその1 - 日月日誌 hitsuki nisshi

 

メキシコ渡航に際して、わたしは密かに戦略を練っておりました。

それは

<最後の最後まで自分を出さない>

そして

<最後の最後で一番大事な時に自分をあますところなく出す(それもさりげなく)>

というものでありました。

というのも、不用意に自分を出すと、かならずことごと<潰される>(よくない方向へ行く)という方程式がここ8年ほどの間に身にしみてわかっていたからです。

 

ということで。

メキシコ公演が終わるまでは、

ひとりでこっそり空き時間にホテルを抜け出しててくてく散歩する程度(やめてくれと言われていたが)を楽しみ、あとは<スタッフ>に徹しておりました。

 

事実、公演の数日前からはほんとうにおおわらわで、わたしは怒鳴られまくりながらも英語と日本語とカタコトのスペイン語で、現地のスタッフとなんとかかんとかやりとりした。

「はやく!照明、セントロだよ、インだよ、はやく!!」

とか

「マスグランデお願いします!!」

とか

「オッケー!シー!ぺるふぇくとー!(ぱーふぇくとのこと)!!!」

とかいいながら、

結局はスタッフの皆さんと非常に仲良くなれたことは、わたしの気持ちを楽にした。

 

公演も、成功裏に終わり、新聞にはシショウの写真とインタビュー記事がトップ記事で載っていたし、幾つかの大事な再会もあったとのことです。

 

わたしの師匠のメキシコでの知名度はすごくて(振付をすごいしている)、それはメキシコの文化の層の厚さが師匠の芸術性を受容できるだけの土台があった(古代的な素朴な豊かな文化とか、シャーマニスティックな部分とか、すごい親和性があると思った)ということを、わたしは この度で肌で感じ取りました。

また。

メキシコのひとたちの、最後の踏ん張りはすごかったし、みんな心から協力をしてくれたことが、ほんとうに心に残りました。

 

イギリス公演のときは、スタッフも嫌々で冷たく、わたしは疲れでほんとうに半泣き状態のような大変な思いをしましたから、それに比べたら天国と地獄で、「人」が「仕事」をしているという感じがしたし、ここでの人の温かさに触れながらの仕事は、不思議と精神的に全く疲れなかったのです。

 

で。

公演が終わった日の晩、

わたしが肉体疲労がドバっと来て気も消さずに寝てしまっていたところ

どこからともなくかそけき声がする。

a...ki...ko.....

ん?

わたしの名である。

あーきーこー

ん?やっぱり…窓の外で、誰か呼んでる・・・?

と、若干の身震いと共に起きると、「コンコン」とドアがノックされた。

 

 

急いで服を着てドアをあけると、

そこにはにんまり笑ったスタッフの女性たちがいらした。

わたしは面食らいつつもその人たちと一緒に中庭に出ると

主要スタッフたちがそのホテルの中庭で宴会をしているではないか。

しかも、市の職員で、非常に忍耐つよく付き添い、

運転手をしてくれていたイケメンI氏もいる!

さらに市の職員の上役も一緒になって飲んでいる(制服のママ)!!

 

メキシコ・・・・おそるべし無礼講。

わたしが階段を下っていくと、

I氏がニコニコしながら「オーアキコー!」というではないか・・

これでは輪に加わらないわけにはいかない。

というわけで、それから、夜の宴会が始まった。

わたしも、現地のメスカールという強いお酒を少し飲んだ。

 

日本の本を見たいというので、ただ一冊持って行っていた

カルロス・カスタネダの小難しい本(笑)を持って行くと

「これが日本語のカルロスカスタネダなのか!!!

どっちからめくるんだ!どっちから読むんだ!?カスタネダは面白いのか!」

とかみんなが驚愕していて笑えました。

 

さらに皆、肩を組みながらホテルのプールの周りをダンスしてまわったあげく

プールに飛び込み、

「次は、ハーポン(日本のこと)だろう!君が飛び込めば他の女性も飛び込むぞ!」

と脅され、しぶしぶ女性陣とともにプールに飛び込んだところで

宴会はクライマックスを迎えた。

 

なんなんだろう・・・・この展開は一体、、、、(^^;

と思いながらも、その晩は徹夜。

「アキコ、マエストロは何時に起きるんだ?」

「7時位かな・・・」

と言った瞬間、皆が身支度を整えて、

「このあたりで一番うまいレストランがあるから朝食を食べに行こう」

ということで、市の職員の運転する車に乗り込み、

みんなで朝ご飯を食べに行く運びとなった。

 

「君は日本人じゃなくて、若干ラテンの血がはいってるんじゃないか。

もうここに住め!」

とディレクターのH氏が言うと、みんな、そうだそうだと言った。

 

そうか…わたしはラテンの血が入っているのか、そりゃすごいな…

まぁ、一部お世辞が入ってるとしても、結構うれしいもんだな……

と思った。

 

そしてずっと付き添いをしてくれていた、とってもまじめで頭の良いアルバと、メキシコの信仰についてちょっとだけ話すことになった。

  

そんな朝も終わりを迎え、わたしは何事もなかったように自分の部屋へと戻り、

1時間程度の仮眠を取って、次の目的地へいく車に乗り込みました。

(目的地まで爆睡)

 

つづく~