日月日誌 hitsuki nisshi  

来し方行くさき今の日誌

オオカミみたいな女になりたい

ル・グィンがなくなり、石牟礼道子さんがなくなり、

そして、金子兜太がなくなった。

 

最も好きな文学者3人が立て続けになくなった。

 

こうして「次の時代」なるものが押し寄せてくる

のかもしれない。

 

わたしはある俳句雑誌の編集をしていたのだけれど

金子兜太の句が何といっても、いちばん好きだった。

 

こんな句があるんだよ。

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

 

 

ちょうど寒紅梅が後半の時期に入って、白梅や普通の紅梅が咲き出す。重なる時期があるんですよ。その時期が春の盛り上がるという感じですね。
 
山田:  それを詠まれたのが今の歌ですか。
 
金子:  ええ。「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」
 
山田:  「青鮫が来ている」?
 
金子:  その頃から既にずっと庭全体が、朝なんか特に青さめているんです。海の底みたいな感じ。青っぽい空気ですね。こう春の気が立ち込めているというか。要するに、春のいのちが訪れたというか、そんな感じになるんですね。それで朝起きてヒョイと見てね、青鮫が泳いでいる、というような感覚を持ったんですよ。それですぐできた句なんですけどね。私の場合だと、見たままを、そのまま丁寧に書くということよりも、それを見ることによって感じたもの、その感じたものからいろんなことを想像して書く、というふうなことがほとんどなんですね。想像の中にうそが入ったり、ほんとが入ったりしていい加減なんですけどね。それが自分では面白いんで。

 

こんな句も。

 

水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る

 

昭和二十年、敗戦。補給を絶たれたトラック島では、餓死が相次ぎ、金子さんの部下も次々と命を落としていました。彼らの非業の死は自分の責任である。金子さんは激しい自責の念を募(つの)らせ島を去ります。
 

 
生きるとか死ぬとか、ということを言わないで、これからもひたすら生きてやろう、と。そういう思いを書いた。帰りの船の島から出る時に、
 
     水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
 
こうずっと船が走っている水脈(みお)がずっと見えていますね。ちょうど夕暮れ時でしたけど、炎天のもとで、桟橋から出てくるわけですけども、ずっと水脈(みお)がひいていますね。その水脈(みお)の向こうに去って来た島があるわけですね。その島には死んだ人たちの墓碑がある、という思いですね。「炎天の墓碑を置いて去る」というところに、この人たちに報いたい、という思いがあった、込められていた。その辺になってくると、とにかく生きる、と。そして死者に報いたいという思いがあった。これは思想というよりも、思いというふうに思ってもらった方がいいかも。実感の出てきた思い―思想じゃないですね。

 

 これを読んだとき、ぶわーっと風景が目の前にひろがった。

何にも感情の解説もないのに、悲しみと決意とが心に広がってゆく。

俳句は、すごい、と思った。

 

兜太先生の句は、躍動していて、破天荒で、いのちそのもの

という気がする。

 

 湾曲し火傷し爆心地のマラソン
 
長崎の原爆の地ですからね。それに向かってふんだんな批評を込めて作った句なんです。「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」ちょうど山里の被爆の中心地がありまして、まだ黒こげが残っていましたけどね。そこへ人間がマラソンして元気のいい人たちが走って来ると。そうすると、被爆地の黒こげのところに入ると、火傷(やけど)をして歪んでいるという。そういう如何にもなんか人間が悲惨に潰れているという、その思いを書いた句なんです。この句なんかが前衛俳句と言われた私の時期の代表句になるわけです。つまり原爆の爆心部の見方が、既にその中に露骨にあるわけですよ。あってそういう句が出てくるわけですね。自分の肉体の中に死臭が染みているわけです。その肉体に染みているものがあるから、そういう句ができる。
 
山田:  一貫性という、そういうものこそを詠っていくべきだ、ということを強く思われた、ということですか。
 
金子:  基本的に人間がどう生きているか、という問題。それを肉体でどう消化していくか、という。その方だけが基本であって、それ以外のことはみんな付けたりだ、という思いが強いです。今でもその思いです。だから季語というのは美しい日本語だからどんどん使いたいけども、なければならんという、そんな規制は絶対受けたくない。とにかく世の中で無ければならんというのはない、というのが、私の考え方になっているわけです。自分の肉体が納得するものだけがある、という。そういう考え方なんですよ。だからそういうルールみたいなものは一切要らない。どうも根っから自由人―自由人に憧れて俳句に入っているわけだけども―どうも子どもの頃から私はそういう一種の自由人の素質を持っているということにもなるんでしょうかね。どうも絞められるのがダメですね。

 

 

金子先生は、東京帝国大学卒、日銀入社

のバリバリのエリートだけれど

戦争を経験しているから、なんというか、底が抜けている。

金子さんは、大正八年に生まれました。かつてニホンオオカミが棲んでいたという険しい峰々に囲まれた秩父。ここで金子さんの命が育まれたと言います。
 

  
金子:  キラキラ見えているところ、山の向こうに。屋根が見えているでしょう、たくさん。荒川がこう行っているでしょう。そこの小高い山とキラキラした荒川との境面辺りが私の育ったとこですね。山の向こうです。夕焼けになった時―ちょうど西ですよ―ちょうど赤く染まって、補陀落(ふだらく)とか言うでしょう、浄土の世界。ああいう感じになるんです。

 

 
 おおかみに螢が一つ付いていた
 
これも、俳句。
 
どんどん、どんどん、戦争に向かっていく気配のある国で
気骨のある魂がいなくなっていく
 
かつて日本にいた「おおかみ」は絶滅しちゃったんだろうか。
それとも、どこかにまだ息をひそめて隠れてるんだろうか。
兜太先生は、秩父には、まだオオカミはいきていると思うと
どこかで言ってた気がする。
 
オオカミは大神と奇しくも同じ音。
どこかに潜んでいて、絶体絶命の時だけ現れて
敵をかみ殺して、疲れ果てた旅人の傍で寝て、目覚める前に立ち去って
仲間の窮地にはみんなで助け合って、
誰にもなつかず、孤高のようでいて、ひとりではなくて
優しいのがオオカミだ。
 
 
地に足をつけて、天と繋がって、
吐く息と一緒に余分な力を解き放って、
ここぞというときに大きな力を出せるようになりたい。
オオカミみたいな日本の女でありたいと思うのだ私は。
 
 

右の手のすることを左の手に知らせてはならない。

「灰の水曜日」の礼拝に出た。

今年は、2月14日(木)がそれにあたっていて

この日は「四旬節」という、キリストが復活するまでの40日間の最初の日にあたる、らしい。

 

すごく象徴的で、額に、灰で「+」(cross)マークを司祭がつけてくれるのです。

しかも、この日はわたしのたいへんに好きな司祭でございました。

 

いつもイグナチオ教会にはお世話になっていて

小さな冊子を配ってくれ、そこにその日のいろんな意味の込められた

詩編がちりばめられている。

 

四旬節の初めにあたって、事あるごとに、次ように書かれている。

 

ー隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい

 

つまり、父は、隠れたところにおられるのだ。

マタイ6・1-6、16-18には繰り返し次のように書かれている。 


【そのとき、イエスは弟子たちに言われた】

1、見てもらおうとして人の前で善行をしないように注意しなさい。

さもないとあなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

2、だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく、彼らは既に報いを受けている。

3、施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。

4、あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

……

あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 

みんな、いいコトは、コッソリやろうね!

 

ってことですね。

 

「いいことこ~んなにしちゃった♡」みたいな教祖のところには

近寄っちゃだめだめ!

 

ってことですね。

 

         ☆☆☆

 

今日は、昨日の出張が堪えて、半日フラフラしておりました。

 

自分のきゃぱしてぃーなるものの小ささに驚きつつ、

これでもこの歳まで生きてこられたことに驚きを隠せません。

 

今作っている本は、宇宙経済学、なるもので、

経済も科学も物理も最終的には、神様の存在を無視できない

という大変すばらしいものであります。

 

神はほんとにある、んだよね。

 

ですからきゃぱしてぃーのなさに驚きつつも安心して、

これからも生きていこうと思います!



おやすみなさい。

明日は映画を観ます。

 

 

 

気持ちとともに踊ろうとすることはあなたの財産である

今日は…

休んでいいのかよくわからない状態だったのだけれど

仕事を強硬的に半分休みヨガに出席した。

そのぶん朝からの仕事はむっちゃ急いだ。

 

平日仕事をしていたら、ヨガには出られなくなるのだが

これは極めて自分の精神的にはよろしくない。

月に1回でもヨガがあることはかなり自分を客観視する機会を与えられる。

 

ヨガで頂く視点はかけがえない。

今日は特に、バストリカーとライオンのポーズがグットきてハっとした。

今の私にはこの2つのポーズと呼吸法が極めて必要だ。

詳細はかけませんが、とくに、バストリカーでは

もっともっと「ゆったり」すること(胸ではなく肚!)を肝に銘じられ

ライオンは、わたくしはこれをやり込まなければならないと痛感した。

 

うおー!試演会までこれ毎日やるぞー!

 

と思った。

 

肚!肚!肚!とブツブツ念仏のように唱えながら稽古に向かったところ

 

踊りが踊れなくなってしまった!!!

 

そして、気合入れて中腰になりすぎた関係で筋肉痛が半端ない。

 

だけど

踊りの出だけはなんだかすごいよかったらしく

「気持ちと共に踊ろうとすることはあなたの財産かもしれない」

と先生に言われた。

 

私の中ではこれを受けて2つのリアクションが起きた。

1つ。わたしは気持ち無くしては踊れない。だからこれはうれしい。

2つ。だがしかし。昨日読んだ新体道の本にはこのように書かれてあった。

機械のように何の気持ちも入れずにこれを繰り返すことが出来て初めて

「型」の持つ先人からの叡智が身体に入って来る(意訳)

だから、気持ちにこだわっているのはわたしのエゴだ。

 

今日ヨガでも、すんごい達者な方の話題になった時

機械のように何の心の揺れもなくそのポーズをなさるというお話があった。

それはもんのすごく大事なことだと思う。

 

わたしは「気持ちが無いと動けない」人間で

それが足かせになることがままある。

気持ちじゃない、形だ!

と思いながら、

形なんてなんだ!気持ちが大事だ!

 

で揺れに揺れる。

 

たぶん、両方あって完成なんでしょうね。

 

わたくしは、多分みなさんご存知の通り

カタワなんですよね。

 

まぁ、そんなこんなで、今日一日生きながらえた。

 

生きている時間がもうあまりない気がして(何故か)

割と生き急いでいる私です。

 

Calm Down!

 

 

この電車はシヴァ行きです

「まもなく、2番線に電車が参ります。

この電車は、シヴァ 行きです」

 

というアナウンスが聞こえてきて一瞬耳を疑った。

 

 

えーと・・・・


 

 

うーんと・・・・


 


 

千葉行きだった(^▽^)

 

 

 

わたくしはこう見えて義理堅いため

クリシュナに悪いと思いシヴァ神マントラはこれまで唱えてこなかった。

(ムリティユンジャヤとかは別だけど)

 

なのだけれど、前回のヨガの時に

オームナマシヴァヤを詠唱する機会を得てから

なんとなく口ずさむようになり

 

そのすごさが最近身に染みる・・・・・

 

クリシュナはもうだいぶ唱えているのに、

一切そういう感じないんだけどシヴァはすごい。

どうすごいか口ではなかなか説明できないんだけど

唱えたあとの気持ちのあり方が唱える前と全然変わる。

 

確か、以前スワミ・カレスワールがどこかで講話した記録に

‛クリシュナに〇年唱えるより、シヴァに〇か月(だか〇年だか)だ’

のようなことがどこかに書かれてあり

そのときは「フーン・・・・(なんか納得いかない)」

と思っていたのだけれど、実際、そうなのかもしれない。

 

すんごい唱えやすいし。

 

神様の名前を唱える、というのは、すごいことだなー・・・・と

あらためて思う。

(そしてクリシュナはつれないよな・・・・とも思う)

 

「意味づける」ことがあふれている世界で

意味づけることなく、くりかえすことはほんと大事だと思う。

 

         ☆☆☆

 

 

昨日友達と話をしているとき、

話の流れで彼女が出したひとつの分析が

「青森に居る自分と東京にいる自分がうまくつながらない。

東京に来て、身体性みたいなものが失われて

それが自分の所在なさに繋がっている気がする。」

 

というもので、わたしは、ああーそういう側面はほんとにあるよね!

と思った。

ただでさえ、東京に居たら、自分の所在が薄くなっていく感じがある。

 

すべて均一的で、はみ出すことなく、整然と分けられ、

わかりやすく、清潔で、効率的で、能率的であれと。

 

それは、そうあるほうが統治しやすいから以外の何物でもないと思う。

策略以外の何物でもないと、思う。

 

だから、そこから意識的に抜け出すために

あらがってぶち壊す勇気と

やさしさでもってちょっとやそっとの破たんをカバーし合える人とのつながりと

愛するっていうことをもう一度自分の中で

つくりあげていかないといけないと

思うのだ。

 

そしてそれはたぶん、もともともっていたものをもう一回

取り戻す作業でもあるのだと思う。

 

ううむ。

なんか、うまくいえないが、なんかそんな感じを想う

今日この頃です。

 

ぜんぜん関係ないですけど。

好きなんだよねーこの気の強さと美しさ♡→ Miss Dior


(我々) I love you ! 愛してる!


(クリシュナ) Prove it ! 証明したまえ!


みたいな。



マザーのエネルギー

ここのところ、3日フルで頑張ると1日どうにもこうにも起き上がれない

みたいな日が続いている。

こんこんと寝続ける、みたいな。

わたしどれだけ寝られるんだろう!と思うときもある。

 

何かに集中し出すと一日中寝ても覚めてもそのことの類を考えてたりする

状態になったりするから、かなり頭の疲労もあるだろうと思うけ

今日粟沢さんとお会いして

巫女体質があるので、影響を受けやすい部分があるのではないか

と言われて、そういう部分もあるかもしれないなと思った。

そしてそういう部分は日を追って敏感になってきている。

 

同時に、昔よりはガードが出来てきたかもしれなくて。

昔の自分はあまりに無自覚で

それが自分の性格とか根性の無さとか心根の卑しさとか

そういうもののせいだと思ってたりしたけど

そうでもなかったんじゃないかな、という肯定感が出てきた。

 

自分の体調の波には確実に自分の力では及ばない「理由」があることに

肯定感がもてるようになったことは、よかったと思う。

だからそこを無理くり叱咤激励しなくなった。

 

 

仕事であまり「声」を使わなくなり

身体を使っただけでは消化しきれない何かがあるとき、

溜まったものを吐き出したくなるため必要があるときは、

歌いに行くワタクシなのでありますが

歌う曲はこれまた、暗いor暗くも明るくもない曲であります。

 

我が根は暗いのでありますね。

 

ただ

わたしは孤独であって、孤独ではないです、今は。

 

昔は、、、

誰といても、どこにいても、何をしていても

孤独で、虚無感があって、何にもつながっていない。

そういう気持ちで生きていたし

恋人ができても、結婚が出来てたとしても

こりゃあ埋まらない何かだ、とおもっていたのだけど

最近は、確実に何かに繋がっていることが実感としてあるから

孤独であって、孤独ではないです。

 

この先、恋人ができても結婚が出来たとしても

孤独であって孤独ではない、という感じで生きていくのがいい。

と同時に、孤独であって孤独ではないという人と

一緒にいたいな・・・と思います。

 

本日は朝起き上がれなかったのだけど

すばらしいマザーのエネルギーに包まれて復活した。

マザーのエネルギーにふれて

「いつも感じているやつだ。それでよかったんだ。やっぱりいつもそこにいるんだ」

と、思った。

 

リアルワールドから、引用です。

 

このブラウンさんの啓示ではないが、実は誰でも啓示は受ける事ができる。

元テロリストや犯罪者でなくても、日本に生きている普通の我々でも。

もちろん、その状態の個人差というか感じ方や啓示の強弱はあるが、経歴や能力に関係なく、また、キリスト教であろうが仏教徒であろうが、今まで無神論者で祈ったことがなくても。

ただし、一つだけ条件がある。

仮にでもいいから、it、つまり「それ」という存在に向き合えるか。

「それ」はキリストと呼びたければキリストでもいいし。

マリアさまでもいいし。

ブッダでも大日如来でも観音様でもいい。

シバ神でもカーリーでもいい。

宗教的なものが苦手なら、宇宙意識でもいい。

とにかく、自分を超えた大いなる存在。

 

自分を生かしてくれていて、この世に出してくれて、導いてくれている存在。

 

それは遠くにあるのではなく、実は今この瞬間にもあなたに寄り添って見守っている。

それに背を向けずに、まっすぐに向き合えるか。

 

 

 

Oh! it's Love itself

トラータカという、ろうそくの光を凝視する瞑想方法があって

ろうそくの火が好きな私は、わりかしよくこれをするのですが、

先日、「終わった後ろうそくの火は手で一発で消すのも修行の内」

というお話を伺い

そりゃあさっそく!と思ったワタクシは

それを実践。

 

一日目はすんなりきえた。

2日目は、、、、、、

 

f:id:akikologue:20180126011332j:plain

 

消す前に邪念が横切った瞬間

手でろうそくをたおして

 

ヒマラヤ山羊ちゃんの絨毯に

ろうそくがまき散らされた!

 

がびーん・・・・

 

あわてて手でかき集めるワタクシ。

しかし、かなり広範囲にろうが飛び散り

牛乳をこぼしたみたいになっちゃった。。。。。。

 

さすがは天中殺、、、

 

いやいやいや、いやいやいやいや!!

こういうのはよくあることだ。

これをきれいにする方法やいかに!

 

 

ドライヤーで再度溶かして、キッチンペーパーで拭き取ったら

跡形もなく消えた( ;∀;)

 

よかった・・・・( ;∀;)

 

 

         ★★★

 

仕事と踊りのバランスを見つける日々がまた始まった。

どうもわたしはこの二つのバランスを取るのが苦手だ。

とりわけ、公演が迫っているときは、

日常性を抜け出さないと、社会性を捨てないと踊りにはならないので

二つはどうにも折り合わない。

 

そんで、折り合わなくなってくると

正直なワタクシの身体は炎上を起こすのであります。

(ほんと解り易いです)。

 

 

ほぼほぼ9年間、この件で苦労をし続けてきて

この「マッチポンプ」のような日々に、

四谷三丁目から新宿まで歩く道すがら

どんだけ路傍の電柱に当たったかしれない。

 

だがな。

いまのわたしには、必殺!祈りの技法、なるものがある。

 

なんか思うに、

人が一日に「想う」ことのできる「総量」のようなものは決まっている気がする。

(そりゃあそうだ、一日は有限時間内に生きている)

想う時間の凝縮度合とか切実さとかでその密度は変わるとは思うけれど

その日のうちにどれだけ自分が

はからいのない想いに身を置けたかが

その人が一日にどれだけ進歩できるかなような気がしている。

(あくまでワタクシの個人的な見解です)

 

そういう意味で、一日のうちに何度か「我に返る」時間が必要だと思う。

 

トラ―タカはいい。

余計な思考が消えていく上に、火が何かを燃やしてくれるし

揺れている火は「愛」そのものである。

 

なんつって( *´艸`)

 

 

いやこれほんと。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

アトリエ公演詳細決まりました。 

3/9 ・10(金/土)19:30~ 四谷三丁目ランプ坂ギャラリー 

CCAAのランプ坂ギャラリー施設詳細

料金:1000円  ご予約受付中です!

uminiikimasho-asap★docomo.ne.jp ★=@

f:id:akikologue:20180125235028j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒマラヤ山羊と立春

立春

 

立春だ。

 

私は戌亥天中殺(http://www.webyou2.jp/3mei/戌亥同士.pdf)なので、

これからは気を付けなくてはならない。

天中殺に入るのである。

マントラを唱えまくるべし、地に足をつけるべし

・・・ということを、はらかずも恐らくは先日

ヨガファミリーたちに示唆されたのだと思う。

(はじめて達人のマントラをよく聞く機会にめぐまれました)

 

あ、天中殺が何か知らない方、ご自分の天中殺を知りたい方は・・・

算命学・天中殺・等でどうぞ検索ください!笑

 

そして。立春の前の日。

 

私の部屋にあるものが届きました。

 

実は 

ワタクシのメインのお部屋には絨毯がなく(キッチンにはあるのに・・)

毎年冬に凍えておりまして

今年の冬は例年にも増して悶絶級でございました。

 

しかし、ヨガファミリーたちが

ギャッベギャッベ。」とおっしゃるのを横目に

「いいな~でも超絶高いよな~ギャッベ(無理だな・・・・)」

と思っていたワタクシ。 

 

ギャッベとはこちら!⇒ ギャッベ - Wikipedia

 

が。

ある日自転車で隣町の公民館から自転車で帰る際に

 

 

おや?

 

なんと!

 

なんと!!?

 

商店街の期間限定店舗に吸い寄せられるワタクシ。

 

 

おおおおお!ギャッベ(らしきじゅうたん)が・・・・!

 

いつのまにか自転車を止め。

ふらりと中にはいるワタクシ。

「覗いてみるだけならいうね・・・・・」 

 

美しい、、、、

 

そして

 

すんばらしい手触りだ・・・・。 

 

卸売業者だけあって、玄関マットくらいが1万5000円で売っている。 

 

おじさん「お姉さん!今日最終日!原価割れなければいいから!安くしとくよ!」

あ「これギャッベですか?」

お「あぁ、これはね、ヒマラヤ山羊。ギャッベより毛が短くて細いんです。

これはね、絶対強くて暖かくて、毛が抜けないから。

ものすごい手触り良いでしょう。

何代にもわたって使えますよ。うちは卸だから。

昔NHKのシルクロードの番組を案内した関係で、かなり手広くやってるんだ。

年商〇億です。」

 

あ「(え?そんなこと聞いてないけど●億!?)

とってもきもちいいですねえ・・・・(と言って玄関マットくらいのものを手に取る)」

 

お「今日最終日だから。減らしたいの在庫。安くしとくよ。いくらがいい?」

 

あ「(う~ん、玄関マットに1万5000円はちょっと・・・・・もぞもぞ。その隣に展示されてある、大きいめの黄土色の素敵な絨毯を手に取りながら)

ありゃあ~これいいですねえ~。」

 

お「いくらなら買う?(卸定価180,000円。デパートでの通常価格360,000とある)」

 

あ「いやいやいやいやいやいやいやいやいや。

いやいやいやいやいやいやいやいや。はっはっはっは、、、無理っす。」

 

お「・・・・・・・・・・・・(わたしの顔を見る。)

じゃあね。〇円!どうだ!そんでこのマットもあげるよ!(といって、さっきの玄関マットをバンバン叩く)もう在庫一個でも減らしたいの!」

 

 あ「・・・・・・・〇円。(一瞬声を失う)

かかかかか買います買いますかいますかいます買わせていただきます(即決)。

 ありがとうございます、死ぬほどうれしいですこれ。」

 

 

ということで。

 

我が家には、とんでもなく美しく、とんでもなく気持ちのいい

ヒマラヤ山羊のマットがやってきました。

 

この上で寝ると・・・・・・とてつもなく、気持ちが、いい。

 

そして体が休まる。

 

この値段でよかったのだろうか(原価割れはしなかったはず)

模様がまた、原始からの文様のようで、伝統文様らしい。

 

すばらしい・・・

 

f:id:akikologue:20180203150212j:plain

 

意識を変えるには、

下着とか、部屋の模様とか、見えないところが一番効く

というのは良く知られた話ですが

身をもってよく分る気がいたします。

 

これに寝ると、なんだか

大事にされてる気がしてくるのです。

 

               ☆☆☆

 

今日は、桜神宮に行ってきました。

仕事だったけど、休憩中に小さな祠にお参りに行ったら

なんと。

後ろからさーっと雲が晴れて光が差し込んできたのです。

 

こりゃあいいことありますね!

ということにしたいと思います、天中殺!

 

そして、袋にはいったまま落ちていた彼がかわいそうだったので、連れて帰りました。

 家にあって異質。

 

f:id:akikologue:20180204233215j:plain

 

タダでつけてくれたすばらしいマット↑とともに。

 

ありがとございます!

 

みなさま、よい一年の始まりを!2018年はなんかすごいと思うよ!